blueな日々

( Art で逢いましょう)

何かが

2006年08月07日 | 2006~奇妙な

D87p

6時起床。すでに日は昇っている。セミも鳴いている。
オレンジ色がかった光の中で、空気には熱気をおびた
緊張感がある。何かが起きそうな予感。今日も~明日
以降もずっと、強烈な暑さになるらしい。台風も接近。
人の生活音は、まだ聞こえてこない。

息苦しいのは、濃密な夏の空気のせいばかりではない。

ユウウツではある。しかしだからといって何もしない
わけにはいかない。この朝、しばらく物思いにふけり、
そして気を取り直す。ユウウツの、複合的な原因の中、
根本的な、内面=性格の問題は、ひとまず置いておき、
むくわれるはずの努力を~しなければならないことを
実行するのみ。私が何事かを確立できれば、おのずと
プラスの要素が、私の愛する人たちにも訪れるはずだ。

提出する複数の書類、急ぐ必要のある資料作り、送付
する書面、いくつかの連絡事項、そして打ち合わせも。
平行して進む私のプラン。忙しいはずなのにこの数日、
身体の具合の悪さに対応するかのように、私はずっと
ユウウツな時間に捕われていた。逃れるために、毎日、
外に出ていた。歩いていた。町なみを、行き交う人を
眺めて、我にかえった自分に~私は出逢いたかった。

今日を生きる心構えが出来るまでに~大げさな言い方
かもしれないが、実感なのだ。それほど私が体感して
いる日々は重圧~今朝は3時間かかった。毎朝、サビ
ついた扉~自分の意識を、どうにか世界=社会に向け、
こじ開けなければ、私の一日は始まらない。

自分の存在に、私はたえず違和感をおぼえているから。
少なくとも、この日本の中にいて、私は異質な生き物。
他者は、私をただの不平不満の分子、というかもしれ
ないが、私は違うと答えたい。何か重要なことが私を
悩ませつづけている。blueが深まることは、同時に何
かのそばにいる、ということでもある。その何かとは、
宇宙と生命に関する~かなりおおざっぱな表現だが~
根本的な問題。あるいは、意識するという問題。
(記事の冒頭に書いている「何か」とは意味が違う)

何も朝から、こんなことを書く必要はないとも思える
のだが、これが私という個性~違和感でもある。

セミの鳴き声に加えて、工事現場~マンション新築の
基礎造り、団地の柴の刈り取り作業、などが重なって、
ものすごい騒音~洪水のごとく押し寄せる。やれやれ
だが、これも人間社会の営みだ。ひどくイヤな思いを
しているわけではない。

撮影の時間帯~早朝、も関係していると思うが、携帯
のカメラの設定を、変える必要があるのかもしれない。
青みがかった色合い~いつか不満に感じる気もする。
(ヒゲは、昨日、剃った~撮影は、先週のこと)


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