blueな日々

( Art で逢いましょう)

余命は短い、酸素がたりない

2007年01月09日 | 07~また一年を

G48p

昨日、ひさしぶりにカメラを持って出かけた。図書館から
の帰りに、最近よく歩く道を撮影してみた。住宅街の中に
ある団地と中学校の間の細い道。強い風の中で、私はふら
ついていたような。頼りない存在でもあると再認識したり。
………
図書館や書店で、棚に並べられた本を見るため、しゃがん
だり立ちあがったりする時、ひんぱんに起きる立ちくらみ。
昨日は大げさではなく死を意識してしまった。急にめまい
と吐き気をもよおし呼吸が困難になり、立っていられずに、
しばらくうずくまっていた。脳溢血か脳梗塞か、あるいは
心筋梗塞の前触れか、などと恐れた。いつもの立ちくらみ
とは明らかに違う身体の不具合、不調だった。私も中年に
なり、いや初老をむかえようとする年代である。突然死も
充分にありえること。生にもまた死にも、惑う自分である。
淋しさや侘しさや悲哀や無念さ、といった感情が真に迫る。
………
そんなわけで、昨日は、家を出た時は、荒れた天気であれ、
図書館からのびる商店街を、散歩するつもりになっていた
私だったが、具合が悪くて、バスに乗って、すぐに帰った。
家に帰りついても長い時間、呼吸の困難さがつづいていた。
いつもの立ちくらみなら、目を開けていても視野が暗転し、
無数の小さな光が瞬き、何かにつかまって、しばらく我慢
すれば、正常な状態に戻るのだが、今回は、そんなことは
なく、意識もはっきりしていたのに、急激な気分の悪さに
襲われた。微妙な質感を持った金属音も、脳内にひびいて
いたような。どこかの血栓が悪さをしたのだろうか。おだ
やかならぬ病的な感覚をともなった、身体の急変だった。
………
風の強い日にはストーブをつけても暖まらない仕事部屋で、
書類作りなどをしていたが、いっこうに気分が良くならず、
横になることにした。祝日の午後の、いやでも身体の弱化
や老化を実感させられた悲しみが深まる時間。人生が終盤
をむかえている。私は長生きはできない。悔いても悔やみ
きれない愚かな半生。などと自虐にひたってもいた。
………
火曜日。9日。ようやく晴れ間が見える世界。今日も寒さ
はつづいているが負けるものかと痩せ我慢を。重要な案件
を進めなければならない。あれこれを右往左往はしていら
れないのだ。身体の具合は通常に戻っている。つまり虚弱
ながらも持病を抱えながらも、なんとか生きている。自分
の余命は長いものではないだろう。身体をいたわる、病気
の早期発見や治療に努める、などといった意識は、私には
ほとんどなく、ただ多くを現状のままに、また多くが悪化
しながらも何となく流されつづけるだけ。ここにいるだけ。
………
これではいけないと今、少し反省しているのだが、自身へ
の不信感も私は強く根強く、この先も、もちろんどうなる
のかもあいかわらずに、不確かなままである。問題はまず、
自分の思考形態、その歪みにあるのかもしれない。そして
身体への直接的な悪影響の原因は、喫煙にこそあるだろう。
この肉体内で、酸素がおおいに欠乏しているわけだ。


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