何故こんなデザインなのか。私は理解しづらい。そもそも橋の
中央にこんなものが必要なのか。街灯なのか。わかった。また、
いつか夜に来てみよう。奇妙なもの~丸いものが光っているの
かもしれない。だとしても、このフォルムへの、私の嫌悪感が
消えるわけもないが。誰がデザインをして、誰が許可を与える
のだろうか。誰が費用を払っているのか。誰もたぶん何も言わ
ないから、こんなものがあちこちに立ってしまうのだ。街の中
にあるモニュメント?などにも不満がある。以後、見つけたら
写真に撮るつもり。そろそろ陽が落ちるころだ。にぶい角度で
建物に西日が射している。気分を変えるために、愛犬キャルを
撮影してみた。かわいい子だ。長生きしてくれよ。
この橋の下の河原に、我が家で20年ほど飼っていた猫を埋めて
いる。死んでもう10年ほどになるだろうか。母の猫だ。彼女は
大泣きしていた。夜中に私ひとりで埋めにきた。今は、その母
もいない。私もやがていなくなる。愛犬もいなくなる。考える
のはここまでに。私の場合、死はいつも頭の中で身近にあるが、
それはいかにも机上のもの、ただの概念だけなのかもしれない。
しかし、私は現実の、多くの人の死に立ち会ってもきた。さま
ざまな死があった。とにかく私が最後の一族の名を持っている。
私が死ねばその名~名字は消えてしまう。子供たちは別の名字。
もう違和感はない。(以上、今月の初旬に書いていたもの)
今朝また卵が。マメルリハの青が。5個になった。彼女はいま
餌入れの中に。まだ産むつもりなのか。餌入れを、中にもぐり
込みにくい、蓋のない磁器製のものに、そろそろかえてみよう
かと思うが、今週はまだようすをみたい。
昨日はラットのゲージを掃除した。今日はハムスターのものを。
4匹飼っている。ゲージは4つ。この子たちは3匹が生後2年
近くになる。寿命をむかえるころ。1匹は昨年の秋に産まれた
黒いハムスター。ネットを利用して買った。たまにしか遊んで
やらないので、まだよくなれていない。午後からは読書。他は
なにもしない。なにもできない。じっと息をひそめて。