blueな日々

( Art で逢いましょう)

生きる場所を

2009年07月20日 | 友人(人々)
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書くことは、自分が生きる場所を探すことにつながる。

人が存在するということには、それなりの意味がある
のだと私は考える。意味があるからには、生きつづけ
なければならない。するといつか、なにかだいじもの
を理解することができるのではないかと。

風の便りを聞いた。好きだった叔母の~私の母の妹の、
ご主人がなくなったそうだ。母がいまも生きていれば、
80歳をこえたころ。叔母はその数歳年した? 叔母の
ご主人は、私の母とおなじくらいの年齢だろうか。

写真はかなり古いもので。いつパソコンにスキャンを
したのかおぼえていない。叔母が十代のころのポート
レイト。レタッチをして、汚れや折れ目などを消した。
年月のゆくえを私は感じている。だれもが必ずいつか、
どこかへいってしまうのは、しかたのないことだと。

書くことは、自分の精神の内部に、なにか、だいじな
ものを探すことでもある。あるいは思い出そうとする
作業でもある。そう思えば、私は救われそうな気分に。




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