昼前、バスに乗って友人の会社へ行った。犬やカメラのことなども
話しあった。次は地下鉄に乗って動物管理センターへ。里親募集の
チラシを事務所の入り口の掲示板に貼ってもらった。飼育できなく
なった事情を話した。よろしくお願いします。5年前ここの譲渡会
で生後2週間の子犬をもらった。説明会にも参加した。飼育の心構
えなども聞いた。団地で飼うことになるが大丈夫だろうか、と職員
に聞いた。どんな答えだったのか。記憶にない。自己責任でという
ことだったのだろう。私は過ちを犯したのだ。犬との暮らしをはじ
めることで、私は生きのびようと考えていたのかもしれない。切羽
つまった精神状態で。後日そうしたように、当時、私は心療内科へ
こそ相談に行くべきだったのかもしれない。
その近くのホームセンターで小鳥とハムスターの餌を買った。さき
ほどから降りはじめた雨。自宅まで歩くことに。一時間ほどかかる
だろうか。今日は傘を持って家を出た。準備はいいのだ。おかしな
話かもしれないが、冷静でいたいので、今朝は薬を飲んでいない。
意識が薄れ、思考が自分のものではないようになってしまうことを
嫌ったのだ。心療内科で処方される薬は治療というより、現実逃避
のためのもの、といった印象が私には感じられる。なるべくものを
考えない。ぼんやりと過ごす。そうなるために服用する。現実から
離れていられる。薬の効果がある間は。うつ状態がやがて、徐々に、
緩和される。そういうことなのか。このことはいずれいつかまた。
歩いているうちに寒さは感じなくなったが、心は沈みがちに。孤立
してしまいさまよう自分の姿が、雨の向こうにも見えるような気が。
こんな状態のままで私は老いてゆく。内面には年相応の落ちつきも
慣れもないまま。そんなものが人にあるとしてだが。ようやく家が
見えてきた。恐れの色に染まりはじめている我が家と近隣。やはり
私は人間がいちばん怖い。正誤の問題は別にしても。愚かでぶざま
な姿を世間にさらしている気分も。そして私の精神は今回のことで、
本当に萎縮してしまったのだろうか。自己の分析も必要なことだと
思うのだが。自分の今後を知るうえでも。いい意味で、私が自分と
つきあうために。あと何年か何十年か。そんなことを考えながら。