静寂。暗がり。聞こえないものに耳を傾ける。身体の老化も。
内なる彷徨。時間の停止。喜怒哀楽を薬の効力でねじ伏せる。
何も考えない。外出をする。薬を飲む。それが主治医の勧め。
ある時期に反乱を企ててはみたが、やはり、冷静に考えれば、
処方に従うことが、長生きできそうな気がして。ゆえに喪失
の一年を生きていた私。脳の配線が、ほとんど麻痺していた。
薬の効果に慣れてきたからか、服用を意図的に忘れることが
あるからか、最近の私は、ややマトモである。うつが傍らで、
私をビルの屋上から突き落としてしまおうと、ほくそ笑んで
いるのかもしれないが、私は、配線をふたたび活性化したい。
それはそれとして、しかたのない一年だったと思う。すでに
カウントダウンがはじまっている残りの人生で、私はなにを
するのか。行動があってこそ報われるはずの人の生涯である。
昨日は午前中がんばって掃除などをしたので、午後はずっと
カメラのことを考えていた。機能のことはほとんど考えずに、
いいデザインのカメラばかりを探していた。いくつか欲しく
てたまらなくなりそうなものがあった。どれもUsed品で千円
ほどの中古~オークション価格。買えないことはないが、今
はやはり無理である。来月の生活費が足りなくなってしまう
だろう。そんな自問自答の、平穏で幸福な時間がありました。
今朝は5時に起床。睡眠時間は4時間ほど。室内の気温12度。
コーヒーがおいしい。タバコも。小鳥を順にかごから出して、
遊ばせた。みな手乗りである。近いうちに写真をアップする。
3つある部屋すべてで掃除機を使い、ベランダも掃除~盆栽
の簡単な手入れも。窓や棚などには雑巾がけを。ガラス戸が
ついた本棚に、カメラを保管するコーナーを作る。関連する
本をまとめてならべる。今日の作業のメニューは以上である。
午後は年代物のカメラのメンテナンスを。試写をするために。
夕方になったらポテトサラダを作ろう。3日分ほどまとめて。
伊達得夫 ニコライ堂、で検索したら、わずかなサイトが。
懐かしいユリイカやタルホの名前が。だが何かを思い出す
ことに抵抗があり、めまいを感じて、意識を別のところへ。
テレビはほとんど見なくなった。新聞は大きな見出しのみ
に視線を向ける。どんなことであれ、興味のあることに対
してさえ、意識を集中することが出来なくなってひさしい。
と書きながら、禁煙を視野にいれはじめた私だが、とくに
夜になると、タバコをつづけざまに吸っている。いらだち
が原因ではないかと、医師がいう。私もそう思う。なにに
いらだっているかは、今の私の頭ではよくわからない。
マンモスは、人が運んできた病原体により絶滅したという
説があったような、テレビで見たような記憶が。
「ためらいの倫理学」は文庫があったから、年が明けたら
図書館へリクエストして読んでみようと思う。
たそがれは都心に沈み
少年はビルのかどで
少女をまちながら
口笛をふいてゐる
伊達得夫
神田お茶の水のニコライ堂は
本当に長く改修中だったので
中を見たことがないが
この詩の断片だけで心が温かくなるのは
なぜだろう
今日は珍しく一日家に籠っていた
ためにためた業界紙の切り抜きを読み
米国の大学出版局のカタログを見て
遠い「世界」に思いを馳せ
これまたたまった英単語帳を作成し
ニューイングランドの観光案内書の
歴史部分の筆写をし
(清教徒たちが1620年にプリマスに最初のコロニーを作るころまでには、すでにフランスやスペインやイギリスが散々ニューイングランドを荒らしていたが、インディアンたちの人口を恐ろしく削減したのは近代武器ではなく、ヨーロッパ人が持ち込んだウイルスだった。なぜならインディアンはそれらの菌に何の免疫も持たなかったから)
夜はだらだらとテレビを眺めていた
テレビが完璧に堕落して久しいが
新聞までもが意識操作を容易にしているのは
秋元康が先日、ポロッともらしていたように
それを求める視聴者がいるからだなあ
私が生涯を通じて最大に同意できる著作「ためらいの倫理学」で
内田樹が
・・・<戦争>における”国民”の任務は「憎悪と敵意」の供給である・・・
と語るように、メディアは憎悪と敵意と、愛情までも供給してくれる
で、何を見ればいい?