blueな日々

( Art で逢いましょう)

いつも感じる植物の不思議

2009年03月22日 | 09~春
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春を暮らすために。行動を。心にゆとりを感じながら。
誰も僕の絵を描けないだろう。とは、あるミュージシャンの
言葉だが。では私の絵を私の内面を、誰かが知るのだろうか。
この不安な存在を、自己の認識を、私は誰かに示したいのか。
そして、誰かの絵を見る必然が、私自身にはあるのだろうか。
私には描けないはずのその絵を。他者の人生を。その内側を。

拒むだけでは生きられない。いや拒んではいないが、接触が
恐ろしい。気が重い。他者との違いが不気味なのだ。人と猿
の遺伝子の違い。おなじように、私と他者との違いは、ごく
わずかなものだろう。だが、そのわずかな違いが、まるで別
の世界に、それぞれが住んでいるような差異を感じてしまう。
私は何故ここに引きこもっているのか。疎外感や無気力など
はいったいなんなのか。私の脳は何を訴えているのだろうか。

昨夜は強い風が吹いていた。テレビの天気予報では日曜日は
また春の嵐に。夕食後コーヒーを飲むため、お湯を沸かして
いる間に、ベランダに置いている盆栽や多肉植物などを室内
に避難させた。鉢が割れたり盆栽自体が傷つくのは嫌だから。
いくつかは、小さな葉や芽をのぞかせていた。いつも感じる
植物の不思議。気がつけば、その急速な成長に驚くことが。

眠る前に本は何を読むか。予定では図書館から借りた女流の
作家の作品か、自閉症の児童と親のドキュメントにしようと。
だが気分が乗らなかった。書棚で目についた『後宮小説』と
いう、ずいぶん前に買った文庫の古書を選んでみた。古代の
中国を舞台にした、少女の成長物語だろうか。小一時間ほど
読んだ。深夜。午前1時を過ぎた。眠剤が効きはじめ、もう
起きていられそうにない。横になろうか。




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