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日々進歩を願って!

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北鎌倉「八雲神社庚申塔」その2

2011年05月17日 08時03分42秒 | 庚申塔
11基のうち1基は庚申塔ではありませんでした。
鎌倉の庚申塔は308基あるそうです。

  
5.享保12年(1727年)の青面金剛像が刻まれた庚申塔です。
  三面に三猿が刻まれています。
  左側面は言わざる、正面は聞かざる、右側面は見ざる。
  作られた当時は笠付き庚申塔だったと思います。


6.嘉永2年(1849年)の文字だけの庚申塔。


7.万延元年(1860年)の自然石に刻んだ庚申塔です。


8.寛文5年(1665年)の舟形庚申塔です。

  言わざる 聞かざる 見ざるの順に並んでいます。
  鎌倉市最古で、最大のものだそうです。
  昭和40年に、鎌倉市の有形民俗資料に指定されています。
  

9.安政2年(1773年)の庚申塔です。
  猿が塔の上に彫られていたようです。
  このようなものを「頂猿型」の庚申塔というそうです。


10.駒形の庚申塔で、天保15年(1844年)のものです。

このあとは「駆け込み寺」で有名な「東慶寺」に向かいました。


クラス会で庚申塔を話してみましたが、興味はないようです。
私は三猿の並び順をいつかまとめたいと思っています。

北鎌倉「八雲神社庚申塔」その1

2011年05月16日 08時38分51秒 | 庚申塔
クラス会に行く途中、庚申塔を見るため北鎌倉で途中下車。
級友と八雲神社へ着きましたが庚申塔は見当たりません。
階段を上ったり下りたり、神社の裏をのぞいたり。
『ここの生まれだけど知らないな』と車の人に言われました。
あとは階段下の物置のうしろだけ…ありました。
11基も…すご~いの一言です。


1.寛政12年(1800年)の庚申塔です。
  言わざるだけの庚申塔は初めてです。


2.言わざる 聞かざる 見ざるの庚申塔です。
  造立年が不明の舟形庚申塔。


3.寛政9年(1797年)の庚申塔です。


4.青面金剛堂の舟形庚申塔です。
  この庚申塔には足元に邪鬼と三猿が刻まれていました。

言わざる(横向き) 聞かざる 見ざる(横向き)でした。
これも造立年が不明です。

クラス会で『庚申塔は意味がわからない!』と言われました。
お気に入りで毎日訪問してくれている人です。
でも写真を撮るのも鎌倉へ行く目的のひとつでした。
今回は11基を2回でアップします。
残りは明日…自分の記録にしたいのです。
ごめん!

花より庚申塔 6

2011年05月05日 07時36分09秒 | 庚申塔
根津神社の宝永6年(1709年)の庚申塔です。

邪鬼を踏みつける青面金剛の庚申塔です。
この庚申塔は駒型で、将棋の駒の形をとっています。

三猿も彫刻されてありました。

「言わざる 聞かざる 見ざる」の順に並んでいます。
三猿は「悪を見るな、聞くな、言うな」という教えだとされています。

庚申塔の三猿は違う意味で彫刻されています。
「悪行は見ざる 聞かざる 言わざる」と願っているのです。
三尸が天帝に告げ口しないように刻んだのです。

しばらく出合わなかった庚申塔でした。
庚申塔めぐりも再開したいものです。

花より庚申塔 5

2011年05月04日 07時59分06秒 | 庚申塔
6基のうち唯一の文字の庚申塔です。
梵字の庚申塔で、寛永9年(1632年)の石碑です。

文京区内の庚申塔では最も古いものだそうです。

その後、三猿像や青面金剛像を彫りつけました。
そして、「庚申塔」等と文字のみ庚申塔になりました。
越後塩沢の龍澤寺のものは昭和55年建立の文字塔でした。
次の庚申年は2040年です。
あと30年後に庚申塔は建立されるのでしょうか?

この日は根津神社へツツジを見に出かけました。
ツツジはまだ3分咲きでした。

ツツジより庚申塔に気を取られ、写真もこの一枚だけ。
花より庚申塔の一日でした。

花より庚申塔 4

2011年05月03日 07時43分25秒 | 庚申塔
延宝8年(1680年)の青面金剛の庚申塔です。

平安時代は天皇や公家たちが集まっていた庚申講。
江戸時代の少し前から庶民の間にも流行しました。
60日に一度の庚申の夜は当番の家で酒食歓談します。
そして供養の庚申塔の建立が盛んになりました。

三猿は、庚申塔のシンボル的な存在です。

この三猿は「言わざる 聞かざる 見ざる」です。

日光はの有名な三猿は「聞かざる 言わざる 見ざる」です。
並び順は時代も地域も関係なく並んでいます。
写真もない時代ですからよく覚えられなかったのだと思います。