1999

~外れた予言~

脳出血後遺症(1)

2006-10-16 04:03:27 | Weblog

私は、ある中年女性の自宅を訪れていた。
親戚でも知人でもなんでもなく、
ごく偶然の縁での、何の目的もない訪問だった。

その女性は、
とても不自由な生活を、ずっと何年も続けていた。
それは、本人でなければ想像もできないような、
苦しみに満ちたものだった。

彼女は、自分で立つことができなかった。
歩くこともできなかった。
24時間、寝たきりの状態だった。
床ずれ予防のための介護用ベッドの上で、
ひたすら横になっている毎日だった。

彼女は、声を出すことができなかった。
文字通りまったく声を出せないのである。
「痛い」とも「かゆい」とも発することができず、
ほかの誰かと会話することは不可能だった。

食事を口から取ることもできなかった。
喉を通して飲み込むことが困難で、
胃からみぞおちの皮膚に穴を開けられて、
チューブのような管を通して、
栄養液や水分を、毎日何回かに分けて、
口や喉を通さずに直接胃の中に注入されていた。

喉には、気管に1cm強の穴を開けられていた。
痰がからんで窒息しないために。
朝も昼も、夕も夜も、
そして深夜や早朝にも、ひどく痰がからんだ時に、
彼女と一緒に住んでいる家族が、
吸引器を使って痰を吸い取る必要があった。

家族・・・
その中年女性は、夫と二人で住んでいた。
彼女の生活と生命の維持は、
彼女の夫が、自分の時間を彼女に捧げることによって、
かろうじて支えられていた。

彼女は、もう何年も前になるそうだが、
若くして脳出血である日突然倒れ、
危篤状態に陥ったものの、かろうじて一命をとりとめ、
手足に麻痺が後遺症として残ったまま、
一言も話せないまま、
口から飲み込むこともできないまま、
生きながらえているのだった。

それが何年も続いていた。
そのような危うげで不自由極まりない生活が。
彼女と、夫の二人で。


はじめに

2006-10-16 03:59:36 | Weblog

私が小学生の頃、
日本中でノストラダムスの予言が大流行していた。
「1999年の7月に人類は滅亡する!」
という例のお騒がせ終末予言である。

1999年には自分は30才を越えているな、とか、
その頃の自分は何をしているんだろう、などと、
私はいろいろと想像せずにはいられなかった。

子供ながらに私は、
この予言は全然信じていなかった。
人類は、そう簡単に滅んだりはしないだろうと、
なんとなく漠然と思っていた。

どちらかというと、
ロマンのない子供だったのかもしれない。
占いやおみくじを信じたことはなかったし、
神や仏や悪魔に祈ったこともなかった。

大人になって社会に出て働きだして、
あくせくと忙しく日々を過ごしながら、
1999年は、
ありふれた日常の中で、あっさりと過ぎていった。

人類は滅ばなかった。


ノストラダムスの、
あの、よくわからない意味不明であいまいな予言詩が、
実際に人類の破局を意味していたかどうかは疑問だ。
彼は直接的な表現としては滅亡とも破滅ともいってない。
そんなことはひとことも書かれてはいない。

要するに、
あとづけで当時の日本人が勝手に解釈して、
それを日本中で老若男女が騒いで楽しんでいただけだ。


私は、心霊現象や超能力は信じていない。
UFOも宇宙人も地底人も海底人もいないと思っている。
ただこれでは、
ずいぶんとロマンのない生き方かな、とも感じる。

これからここで、
1999年に起こるかもしれなかった人類の壊滅的破局を、
誰にも知られずにこっそりと回避した人たちがいた・・・
という設定で、
荒唐無稽なストーリーを描いてみたい。

無論、100%完全なフィクションである。