私は、ある中年女性の自宅を訪れていた。
親戚でも知人でもなんでもなく、
ごく偶然の縁での、何の目的もない訪問だった。
その女性は、
とても不自由な生活を、ずっと何年も続けていた。
それは、本人でなければ想像もできないような、
苦しみに満ちたものだった。
彼女は、自分で立つことができなかった。
歩くこともできなかった。
24時間、寝たきりの状態だった。
床ずれ予防のための介護用ベッドの上で、
ひたすら横になっている毎日だった。
彼女は、声を出すことができなかった。
文字通りまったく声を出せないのである。
「痛い」とも「かゆい」とも発することができず、
ほかの誰かと会話することは不可能だった。
食事を口から取ることもできなかった。
喉を通して飲み込むことが困難で、
胃からみぞおちの皮膚に穴を開けられて、
チューブのような管を通して、
栄養液や水分を、毎日何回かに分けて、
口や喉を通さずに直接胃の中に注入されていた。
喉には、気管に1cm強の穴を開けられていた。
痰がからんで窒息しないために。
朝も昼も、夕も夜も、
そして深夜や早朝にも、ひどく痰がからんだ時に、
彼女と一緒に住んでいる家族が、
吸引器を使って痰を吸い取る必要があった。
家族・・・
その中年女性は、夫と二人で住んでいた。
彼女の生活と生命の維持は、
彼女の夫が、自分の時間を彼女に捧げることによって、
かろうじて支えられていた。
彼女は、もう何年も前になるそうだが、
若くして脳出血である日突然倒れ、
危篤状態に陥ったものの、かろうじて一命をとりとめ、
手足に麻痺が後遺症として残ったまま、
一言も話せないまま、
口から飲み込むこともできないまま、
生きながらえているのだった。
それが何年も続いていた。
そのような危うげで不自由極まりない生活が。
彼女と、夫の二人で。