中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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ルートバーン(52):いよいよ帰国(3)

2011年06月07日 05時42分39秒 | ニュージーランド;ルートバーン

                                  <ルートバーンの地図>

           ルートバーン(52):いよいよ帰国(3)
               湘南カラビナ隊)
          2005年1月25日(金)~2月2日(日)

第10日目:2005年2月6日(日):やっと帰宅

52 いよいよ成田空港

■長くて退屈な機内
 14時19分,飲み物のサービスが始まる.下戸の私には,飲み過ぎかとも思ったが,キューイワインを貰う.乗務員はピーナッツ一袋をサービスに置いていく.
 15時前後,また居眠りを始めるが,1数分後,突然,どこかに落ちたような気がしてギクッとする.同時に目が覚める.機内が少し寒くなっている.
 15時20分,トイレに立つ.隣のフクロウがいつの間にか居なくなっている.彼が読みかけの『週間朝日』を,座席のポケットから取りだして読み始める.16時50分,何処かへ行っていたフクロウが,また,ふらりと隣の古巣に戻ってくる.
 17時丁度に,時計を日本時間に戻す.今,日本時間では,4時間の時差があるから,13時丁度である.ここからは,日本時間で表示することにする.
 いつの間にか,スクリーンでは「プリンセスミヤコ」という映画をやっている.日本語で放映されているようである.でも,あまり見る気がしない.
 13時43分(つまりニュージーランド標準時では17時43分),ドリンクサービスが始まる.こんどはアップルジュースを貰う.またピーナッツ一袋が付いてくる.食べ過ぎるかなと思いながらも,また,このピーナッツを全部食べてしまう.

■昼食
 14時9分,昼食が配られる.すき焼きにご飯,のり巻き2貫,サラダ,デザートなど.14時25分,食事が終わる.食事が終わると,また,フクロウが居なくなる.その後,暫くは,けだるい時間がノロノロと過ぎていく.
 15時14分,機長の英語のアナウンスが流れる.東京都心,横浜,地方都市へのアクセス方法,韓国へのトランシットのやり方などの説明である.
 15時20分,飛行機は次第に高度を下げ始める.
 15時30分,再び,機長から英語で,そして,すぐその後,客室乗務員から日本語で,同じ内容の説明がある.
 「当機は予定より早く,16時05分に成田空港へ到着の予定です.地上からの連絡によりますと,成田の天候は晴,気温摂氏12度です」


■成田到着
 15時30分,飛行機が旋回する.窓から夕日に光って,凪いでいる海が見下ろせる.16時6分,成田空港に着陸する.16時08分,成田空港到着口に到着する.
 16時22分,ディセンバーグ.飛行機から外に出る.少々寒い.すぐビーグルに乗って隣の建物に移動する.
 16時32分,入国審査を済ませる.
 16時50分,バゲージクレイムを終わる.
 ここで,今回のツアーは解散になる.私たちはSさんに挨拶して,帰途につく.


■帰宅,やれやれ
 ふくろう,バーダーさん,ノシイカさん,それに私の4人はYCAT行のバスで,消防署ご一行は京成電車で帰る.仁王様は,どこかのバスでお帰りである.スケルトンさんはどのような経路でお帰りになったか分からない.私はバスの切符売り場へ急ぐ.リュックから,円(Yen)が入っている財布が,なかなか出てこないので,まごつく.
 17時01分,成田発YCAT行のバスに乗車する.夕方5時を過ぎたというのに,外は,まだ少し明るい.ちょっと旅行している間に,随分と日が長くなったなと実感する.バスは,途中,空港内で2カ所に停車する.乗ったときは乗客がまばらだったのに,瞬く間に満席となる.
 バスに揺られながら,私は今回の取材ノートの見直しをする.私の隣の席に,携帯パソコンを持った中年女性が座る.バリバリの現役キャリア女性のように見受けられる.彼女が私のノートを覗き込んで,私に声を掛けてくる.
 「すばらしいイラストですね.画家ですか」
私は照れる.
 17時34分,どの辺りか分からないが,バスは高速を走っている.西の空に夕暮れが残っている.17時40分,千葉北インターを通過する.18時頃,大きな花のような形のネオンキラキラのケバケバ観覧車の脇を通過する.幕張辺りだろうか.この辺りの地理に疎い私には良く分からない.
 18時14分,羽田空港の脇を通過する.
 18時35分,YCATに到着する.ここでフクロウ,バーダー,ノシイカとお別れである.
 18時45分,横浜駅より横須賀線の電車に乗る.土曜日なので,電車は比較的空いている.暫くぶりに,いつもながらの駅の風景に接し,何となくほっとする.
 19時30分頃,無事帰宅する.安堵すると同時に,疲労感がどっと出てくる.自分の部屋に入り,携帯電話とパソコンのメールを開く.山仲間の1人から天狗岳登頂の様子が送られてきているようである.旅行中に,ジャンクメールを含めて300通ほどのメールが未読のままになっている.
 「とにかく,読むのは明日にしよう.」
 夕食も摂らずに,風呂に入った直後,そのまま就寝する.
 こうして,私のルートバーントラックの旅は終わった.
                                          (つづく)

「ルートバーン」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/77873309d2311743e1eba927c1d89f37
「ルートバーン」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6bc428f249ff04f2e40cfe38626b1cc0


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[編集後記]

2011年6月6日(月)
 曇

 梅雨時なのに,まあまあの天気である.暑い.
 午前中は,パソコンに向かったり,キャンバスに向かったり,何となく,忙しいような暇なような時間を過ごす.
 先日,パソコンのOSがおかしくなったときに,ソフトの総入れ替えをしたが,そのとき,うっかり操作を誤ってしまい,まだバックアップを取っていなかったファイルの一部が行方不明になってしまった.ただ,行方不明のファイルは,外付けのHDに入っているものなので,どこかに必ずあるはず.
 そこで,『ファイナルデータ』というソフトを使って,一生懸命に探すが分からない.
 「どうせ,ろくなデータしかないから,無くなっても大したことないな・・」
と負け惜しみを言っているが,でも,ちょっと,勿体ない.
 もう何日を探しているが,本日,ひょんな事から,行方不明のファイルが,ごく小さなファイルの下に紛れ込んでいるのを,たまたま発見する.
 「ああ,良かった・・・」
 その後,30分ほどかけて,紛れ込んだファイルを,元の位置に戻す.
 このファイルの中に,実は,数年間にわたる尊仏山荘のネコちゃんの写真が入っている.6月5日に,尊仏山荘の小屋番Oさんが退職するのを機に,数年来撮り続けてきた「Oさんとミー君」の写真を集めて特集を組もうかと考えている.
 午後から,散策に出る.鎌倉中央公園のある丸山から深沢の谷を下って,大慶寺,等覚寺,泣きっ面橋跡付近をグルグルと歩き回る.そして,深沢にあるコーヒーショップ,愛称「タモリ」で,週刊誌を眺めながら小一時間,ホットコーヒーを味わう.
 店内は近所にお住まいの年配の方々で,賑わっている.
 広いテーブルの片隅に座り込んで,週刊誌をぺらぺらとめくる.客の雑談が小鳥の鳴き声のように重なり合って聞こえてくる.そんな雰囲気に浸りながら,一杯のコーヒーを味わいながら,週刊誌を読んだり,次に描く絵の構想を漫然と考える・・・こんなひとときのことを,きっと「至福の時」と言うんだろうな.
 コーヒーショップを出る.漫然と源氏山公園方面にブラブラ.
 歩きながら,これから描こうとしている水彩画の構想をぼんやりと考える.考えながら歩いている内に,足の方は,完全な自動運転.どこを歩いているか全く頓着無くなる.
 その内に,突然,頭の中で,軍艦マーチが響き始める.鎌倉まつりで聞いた軍艦マーチを連想したからである.
 「……護るも攻めるも黒金(字が違うかな?)の・・・」
と頭の中は二拍子になる.
 私は,我に返ったように,歩く方に意識を転じて,勢いよく歩き始める.そして,梶原から急坂を登って,自宅に戻る.歩行距離5.2キロメートル,7,159歩,155キロカロリーの一寸した散策だった.
 うがい手洗いを済ませて,何となく机に向かう.
 この頃,良く耳にする「絆」という言葉が気になる.
 “絆”って一体何だ?
 “絆”って,どんな構造を持っているんだ?
 “絆”に対して,ITあるいはISはどのような影響を持っているんだ?
 こんな碌でもないことが気になり始める.某学会の研究会に“絆”の特集でも計画するように提案しようか.尊仏山荘のネコと同じ年の瘋癲人間である私が迷い事を言っているのを,もう一人の私が冷静に見つめている.
 そろそろ五十三次洛遊会の鎌倉アジサイ散策の日が近付いている.まじめに散策ルートのチェックをしなければ・・・
                                     (愚痴おわり)



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