中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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奥州街道(白河の道);第5回;2日目(1);境の明神から白坂宿へ

2017年07月26日 05時52分08秒 | 奥州街道

                                                               <茨城県と福島県の県境かあ歩き出す>

     奥州街道(白河の道);第5回;2日目(1);境の明神から白坂宿へ
            (クラブツーリズム)
         2017年7月12日(水)~18日(木)

2日目;2017年7月13日(木) 

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/30d3cf707af0006e351c5799601a0a21

<ルート地図>


■2日目全体図

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■境の明神・白坂宿

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<白河の朝>

■今日も天気が悪そうだ
 4時40分に目が覚める.昨夜は,どうやら,まあ,まあ,良く眠れた方である.早速,テレビで天気予報を確かめる.
 どうやら今日も天候には恵まれていないようである.午前中は曇,午後から雨とのご託宣語である.降水確率は午前中40パーセント,午後60パーセントとのことである.今日の白河地区の予想最高気温は28℃.
 ”また雨か…! 蒸し暑そうだな…”
 梅雨時だから仕方がないとはいえ,天気予報が外れるように願わずにはいられない,

<今日の天気予報>

■鬱陶しい空模様
 部屋の窓から外を眺める.
 霧が掛かっている.今にも雨が降り出しそうな感じである.
 ”参ったナ…これは!”
 霧を通して新幹線の高架が見えている.


<ホテルの窓からの眺め>

■朝食まで未だ時間がある
 朝食は6時30分から.
 まだ時間はタップリある.1階の大浴場で朝風呂を楽しむのも良いが,わざわざ1回まで行くのも面倒である.
 そこで,ノートを広げて昨日のデータ整理の続きやら,落書きやらをしながら,6時20分頃まで過ごす.


■朝食はバイキング
 6時20分,未だ少し早いかなと思ったが,1階ロビーへ向かう.
 意外なことに,こんな早い時間なのにレストランの前に十名余りの列ができている.過半数は私たちのグループメンバーである.
 朝食はバイキング軽視である.
 メニューはなかなか豊富である.その中から選んだメニューが下の写真の通りである.私にはこの程度でも多すぎるかも知れない.
 ”さて,何処へ座ろうかな…”
とキョロキョロしていると,空く目の前に居る男性が,
 「宜しければここへどうぞ…」
と私に声を掛けてくれる.
 奥州街道の旅で,数回,一緒になった方である.
 ”それでは…”
ということでこの男性のトイ面の席に座る.そして雑談をしながら,ユックリと朝食を済ませる.

<今朝の私の朝食>

■テレビを見ながら暇潰し
 6時53分,朝食を終える.
 ロビーで無料モーニングコーヒーを紙コップに入れ,今朝の読売新聞を頂いて,自室に戻る.そして,テレビを見ながら熱いコーヒーを楽しむ.
 テレビでは,つい先日生まれた赤ちゃんパンダが順調に育っていて,体長29セントメートルになったと報じている.
 今日の読売新聞のトップ記事は「電通違法残業正式裁判」である.
 ”オレもサラリーマン時代に,ずいぶんとサービス残業をしたな…”
と,戦後の混乱期のサラリーマン時代をほろ苦い感じで懐かしく回想する.あの頃,親や家族の死以外の理由で会社を休むなんて考えられなかった.正に滅私奉公だったな…
 それでも,その内に残業規制が始まった.当然の成り行きだが,残業をしないと仕事が間に合わないので,しばしば仕事を家に持ち帰ったなぁ~…
 テレビでは,懐かしい昭和の歩行者天国の映像が紹介されている.


<境の明神から歩き出す>

■専用バスで境の明神へ
 今日の出発時間は8時丁度である.
 15分前の7時45分にロビーへ降りる.もう大半の方が集まっている.毎度のことながら,全員がパンクチュアルなので気持ちが良い.
 すぐに専用バスに乗車する.
 昨日と座席が変わって,私の席は進行方向左側.今日より少し前の席になっている.2人分を1人で使用するので,今日を楽な旅ができそうである.
 7時58分,定刻2分前に,私たちを乗せた専用バスは,ホテルルートイン新白河駅東から覇者する.
 
<ホテルルートイン新白河駅東を出発>

峠の明神から歩き出す
 8時13分,峠の明神駐車場に到着する.
 まずは,講師の音頭で簡単なストレッチを済ませてから,8時20分に駐車場から歩き出す.
 鬱蒼と頭上まで茂る緑陰中を通り抜けて(冒頭の写真),まずは,境の明神(福島)を詣でる.
<境の明神(福島)>

■領界石
 8時23分,境の明神と道を挟んで反対側にある領界石を見物する.
 数段の石段を登ると薄暗い森の中にちょっとした空き地がある,空き地右手のちょっと小高い所に領界石が置かれている,
 井氏の近くに,領界石の由来などについて詳述した説明文が掲示されているが,ヤブ蚊が気になって立ち止まって読む気になれない.取りあえずは写真でも撮っておこう…ということで撮ったのが下の写真である.
 残念ながらこの写真,見るに堪えない.要は松平定信がここに二所の関が会ったと断定して,「古関蹟」としたということらしい.古来,大和政権が蝦夷対策の一環として何カ所か設けた関の一つだということらしい.


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■衣替えの清水
 8時26分,衣替えの清水に到着する.
 「衣替えの清水」の案内板に沿って,道路の左側の斜面を少し下る.一度に沢山の人が入れる所ではないので,後ろの方からモタモタとついて歩いている私は,一番最後にこの坂を下りる.

<衣替えの清水>

■夏草が繁茂する清水
 やっと順番が廻ってくる.坂の下まで降りて衣替えの清水を眺めるが,威勢の良い夏草が清水を殆ど完全に覆っていて,僅かにそれらしいものが見えるだけである.
 清水の側に案内板が立っている.この記事によると,この清水は集落の飲み水として使用されていたらしい.かつて弘法大師がこの水で身体を清めて衣替えをしたとのこと.
 弘法大師が杖でひと突きしたらこの清水が湧き出たという伝説があるようだ.秦野にも弘法清水というのがある.さらには弘法大師ではないが鎌倉には日蓮が杖で一突きしたら清水がわきでたという日蓮乞水というのがある.この種の伝説はどうやら至る所にあるような気がするので,調べてみたら面白いなと,ふと,思う…が,どうせ面倒がって調べる気はないだろう.


<衣替えの清水>

<白坂宿に入る>

■白坂宿馬洗場跡
 8時29分,「白坂宿馬洗場跡」に到着する.いよいよ白坂宿に入る.
 旅行社が配布した資料によると,白坂宿の規模は「本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠27軒,総家数71軒,人口289人」であった.
 ここは「奥州最初の宿場である.天正18年(1590年),豊臣秀吉は小田原北条氏との戦に勝利する前に,伊達政宗に会津への街道整備を命じた.その際,芦野と白河の間が長すぎるので白河を宿場にしたといわれている」とのこと.

<馬洗場跡>
 
■山ノ神
 8時38分,山ノ神参道に到着する.
 木の鳥居の向こうに鬱蒼とした森に囲まれた石段が見えている.ここは素通りのようである.
 ちょっと時間が貰えるなら,急いで石段を登って社殿の写真を撮りたいなと思ったが諦める.

<山ノ神の鳥居>

■石塔群
 山ノ神参道のすぐ脇に多数の石塔が林立している.その中で大勢至菩薩だけはハッキリと刻字が読める.
 ここはどうやら戊辰戦争の碑のようである.
 旅行社の資料によると,「慶応4年(1868年)4月,会津若松への関門となった白河城の攻防線は薩長に加えて大垣・黒羽藩士も参加して,壮絶に繰り広げられた.ここから先には当時の戦死者を葬った塚が多くある.ここにある「戊辰戦没,旧大垣藩士酒井元之丞戦死の所」と彫った小さな碑はそのひとつである」.

<石塔群>

■大垣藩士酒井元之丞戦死の所
 石塔群の一角に,大垣藩士酒井元之丞戦死の所の碑が立っている.其の傍らにある案内板には,旅行社から貰った資料の内容と一緒の説明が書かれている.

<大垣藩士酒井元之丞戦死の所>

■本陣
 8時45分,本陣跡に到着する.
 講師の説明によると,入口の戸に「貞富士商店」と書いてある家屋付近に本陣があったと推定されるとのこと.しかし,今は本陣の面影を残すものは全く残っていない.
 時の流れの哀れさを感じながら,本陣跡を通過する.

<本陣跡>

■白坂郵便局
 8時39分,白坂郵便局の前を通過する.
 この郵便局の位置を頼りに,地図上の現在地を確認する.

<白坂郵便局>

<観音寺>

■観音寺の平和観音と山門
 8時40分,郵便局と道を挟んで反対側にある観音寺駐車場脇の参道入口に到着する.
 数十メートルの参道の奥に平和観音が祀られている.ちょうど駐車場の奥の位置になる.駐車場から平和観音と山門の写真を撮る.立派な山門である.山門を通って,観音寺の境内に入る.

<平和観音と山門>

■観音寺の案内板
 境内の一角に観音寺の案内板がある.この案内板を見ると本堂に向かって右側に進むと観音堂脇を通って,大平八郎の墓所まで行けるようである.
 ここは天台宗の寺院である.それ以上のことは.帰宅後,観音寺の由来などをインターネットで調べたが,今のところ良く分からない. 

<観音寺の案内図>

■観音寺本堂
 まずは観音寺本堂をお参りする.大きくて立派な寺である.
 参拝後,講師から観音堂と金売り吉次伝説の話を伺う.
 「吉次は藤原秀衡に仕え,源義経の後援者として有名」とのこと.吉次は「数十頭の馬に皮袋にれた砂金を背負わせて運搬中に皮篭(かわご)の集落を通行中に300人余りの盗賊に襲われた.吉次の他に同行した吉内,吉六の3兄弟も殺された.
 このとき吉次は『朝日さす夕日さすからすの横ばえすずめのちょんちょん三つ葉うつぎの下にある』という謎のことばを残した.」という.
 ここで,
    朝日=>満願寺朝日堂
     夕日=>観音堂
ということから,この砂金はこの二つの堂の中間に位置する金堀の集落か,観音堂のちかくに埋められているという伝説が生まれた.
 また,近隣の住民の間では,堂の下の土をお守りにすれば裕福になれるという言い伝えがある.そのため堂の下の土が減ってしまう」という(以上,旅行社が配付した資料から要約).


<観音寺本堂>

■観音堂(夕陽堂)
 講師の先導で大平八郎の墓へ向かう.
 その途中で,観音堂(夕日観音堂)の前を通過する.赤い屋根のお堂が印象的である.お堂の前のアジサイが見頃を迎えている.
 観音堂の前を左に曲がって,墓地の中の石段登る.

<観音堂>

■大平八郎の墓
 階段の突き当たりに,大平八郎の墓がある.下の写真の真ん中の石塔が大平は治療の墓のようである(下の写真の案内文参照).
 私には大平八郎の予備知識は全くないが,さきほど寺の入口にあった案内板の記事によると,大平八郎(1828~1870年)は「白坂若野屋の長子.戊辰戦争で西軍に属し功の褒美として鎮台からピストル1丁を下賜され,西郷山根1万石の庄屋となった.白坂宿鶴屋旅館に滞在中に田辺軍次という人物により惨殺された」という.
 向かって左側にちょっと見えている灯籠は,伯爵川村純義海軍大将(薩摩藩四番隊長)が検討したもの(案内板の記事から引用).


<大平八郎の墓>

<馬頭観音と太陽光発電>

■JAみなみ白坂
 9時03分,観音寺の参拝と見学を終えて,再び奥州街道の続きを歩き始める.
 9時07分,JAみなみ白坂営業所前を通過する.

<JAみなみ白坂営業所>

■馬頭観音と牛頭観音
 9時21分,2基の石塔が並んでいるところを通過する.馬頭観音と牛頭観音である.
 緩やかな上り勾配の道が続く.相変わらず蒸し暑い.前方の空は分厚い雲に覆われている.今にも雨が降り出しそうな雰囲気である.

<馬頭観音と牛頭観音>

■大規模な太陽光発電
 9時27分頃,進行方向右手にかなり大規模に太陽光発電のパネルが並んでいるところに到着する.
 時代の成り行きで太陽光発電もやむを得ないかもしれないが,無惨にも伐採された美しい森林跡を見るのがとても辛い.私は特定のイデオロギーを持っているわけではないが,やっぱり私には自然破壊の惨状のようにしか見えない.
 ”本当にこれで良いのだろうか…”
と率直な疑問を持つ.
 将来,日本から森林が消えて,全部太陽光発電パネルで埋め尽くされ,パネルの下にしか住む場所がなくなる…宇宙から見ると日本列島全体が太陽光発電のパネルでピカピカ輝いて見える…そんのSFそこのけのおぞましい姿を連想してしまう.
 戦後の惨めな生活を体験している私は,戦後のような生活まで戻ろうとは言わないが,もう少し抜本的な省エネ生活をしないとダメだなと,このパネル群を横目で見ながら,つくづく思う.

<太陽光発電パネル群の脇を通過する>
                                     (つづく)
つづきの記事
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「奥州街道」の目次
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「奥州街道」の索引
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