中高年の山旅三昧(その2)

■登山遍歴と鎌倉散策の記録■
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奥州街道(白河の道);第5回;2日目(2);金売吉次墓から稲荷山公園へ

2017年07月27日 22時19分09秒 | 奥州街道

                              <稲荷山公園からの眺望>

  奥州街道(白河の道);第5回;2日目(2);金売吉次墓から稲荷山公園へ
            (クラブツーリズム)
        2017年7月12日(水)~18日(木)

2日目;2017年7月13日(木) (つづき) 

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<ルート地図>



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<金売吉次兄弟の墓>

■皮籠の集落に入る
 雨が今にも降り出しそうな雲が相変わらず上空を覆っている.私たちは国道294号線に沿って北へ,北へと歩き続ける.
 ”目的地に到着するまで,何とか雨が降らずに待ってくれ…”
と祈るような気分で,8時38分,皮籠の集落に入る.それにしても皮籠とは面白い地名である.
 9時40分,「(伝)金売吉次兄弟の墓」という案内板が取り付けられている場所で左折して枝道に入る.
 
<皮籠の集落に入る>                         <(伝)金売吉次兄弟の墓の案内板>

■鬱蒼とした林
 枝道に入ると,すぐ右手にかなり荒れた感じの神社がある.神社の名前も分からないまま直進する.入口近くには数軒の民家があるが,やがて鬱蒼とした森林の中の路になる.
 9時45分,「金売り吉次の墓」と書いてある大きな案内柱が立っているところに到着する.この柱が立っているところで左折して,昼なお暗い林の中に入る.

<大きな案内柱のところで左折する>

■金売吉次3兄弟の墓
 左折してから深い林の中を40~50メートル先へ進んだ突き当たりに金売吉次3兄弟の墓がある.立派な医師が恋の中の五輪塔が3基ならんで祀られている.
 傍らにある案内板(下の写真)によると,中央が吉次の墓である.
 墓の脇の緑陰で,講師の説明を伺う,説明内容は,案内板に書かれている内容とほぼ同じである.
 今日はやけに蒸し暑い.本来ならば林の中なら涼しいはずだが,風もなく一向に涼しくない.そればかりかヤブ蚊が飛んでいる.
 どなたかが,
 「ここは蚊がいて駄目だ…」
と言いながら,日が当たっている入口に移動する.
 「折角,日陰で経慶を撮ろうと思ったのに…」
と講師が思わず愚痴る.


<金売吉次兄弟の墓>

<戊辰の役古戦場>

■セブンイレブンでガリガリ君
 ヤブ蚊のために,休憩をユックリ撮ることもできないまま,9時50分に金売吉次の墓を出発する.往路を辿って,9時55分,元の奥州街道へ戻る.そして,再び奥州街道沿いに歩きつづける.
 10時02分,セブンイレブン白河白坂店に到着する.ここで休憩を取る.
 とにかく蒸し暑いのに閉口する.
 ”こんなときはガリガリ君に限る…”
 私は,何をさておいても,まずはガリガリ君だ.
 この食感,この味,この冷たさ…夏は何といってもガリガリ君である.でも残念ながら,”当たり”ではなかった. 
 
<セブンイレブンで休憩><                                蒸し暑いときはガリガリ君だ>

■一里塚跡
 セブンイレブンでの休憩を終えて,10時21分,セブンイレブンから歩き出す.
10時23分,道路脇の電柱に「一里段」という標示のある場所に到着する.
 10時26分,講師が,
 「…この辺りに一理塚があったようです…」
と説明する…が,今はそれらしい遺構は何もない・
 ただ,丁度その頃,道路の反対側に,立派な石塔が立っているのが見える.
 団体行動中なので,写真を撮るために,むやみに道路を横断するのも憚られるので,道路の反対側から写真だけは撮っておくが,何の石塔かは全く検討が付かない.
 この当たりが団体行動尾もどかしさである.
 ”ひょっとしたら,一里塚の碑かな…”
と勝手に良いように連想する.でも,多分,それは違うだろう.
 地図を見ると,この辺りから東へ1キロメートル余り行ったところに南湖公園がある.ここは松平定信が潅漑用水と藩士の水練場として作られたもので,日本最初の公園と言われているようである(旅行社配付の資料より).
 この公園は奥州街道から外れているので,今回は行かないようである.独り旅なら必ず立ち寄っただろう.ちょっと残念

<道路の反対側に大きな石塔がある.何だろう?>

戊辰の役古戦場に到着
 10時40分,右折して枝道に入る.そして.10時46分,再び国道に合流する.
 10時54分,戊辰の役古戦場に到着する.
 大きな木の下に空き地がある.その空き地の奥に立派な石塔2基が並んで立っている.いきなり全員で見学するのも無理なので,私は他の方々が見学し終わるのを待って.ユックリと2基の石塔を見学する.
 石塔は大分風化していて,何が刻字してあるのか殆ど読めない.
 傍らに説明板が設置されている.
 戊辰の役の経緯は,この説明板に記載されているとおりである.


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<稲荷山公園>

■稲荷山公園の上り坂
 11時02分,石碑の近くにある稲荷山公園の坂道を登る.
 稲荷山公園の入口には「稲荷浜公園」と書かれて大きな看板が立っている.看板脇の坂道を登ると広場に出る.さらに,この広場の左手にある階段道を登って,11時05分,見晴の良い広場に到着する.広場の一角にブランコが設置されている.
 ここからの眺望はなかなかなものである(冒頭の写真).ただ,土地勘がないので,一体どちらの方向を見下ろしているのか,直感的には分からない.
 下の写真の左端で半分切れて写っている丸い山が,戊辰戦争のときに西軍が陣取った跡のようである.
 
<稲荷山公園入口>  <山頂の広場>

■西郷頼舟の歌碑
 山頂を一廻りする.
 11時05分,西郷頼舟の歌碑の前で,11時12分まで一休みする.現地の案内文によると頼舟は白川口総督だった人物のようである.
 この歌碑には,
   ”うらやまし
      角をかくしつ
         又のへつ
           心のままに
              身をかくしつ”
という歌が彫られているらしい.
 感受性のにぶい私には,この歌の心情を十分に離隔することができないのが残念である.

<西郷の歌碑>

■稲荷社
 11時12分,西郷の歌碑の前から下山開始.
 途中,11時13分,稲荷社参道入口に到着するが,そのまま通過する.
 稲荷山公園に来ていて,肝心の稲荷社を通過するのはちょっと解せない感じがするが,止むを得ない.
 参道の階段を見上げて,大急ぎで写真を撮る.数十段の改題の先に稲荷社の社殿が見えている.

<稲荷社>

■南湖橋を渡る
 11時22分,谷津田川に架かる南湖橋を渡る.
 いよいよ白河宿の核心部が間近である.

<谷津田川を渡る>
                                         (つづく)
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