耳順庵日記

60歳を超えて、生き馬の目を抜く首都圏の生活にカムバックした。
浦安太郎が見た、都会の意外な側面を綴ってみたい。

夏祭り

2012年08月28日 10時03分22秒 | 思い出
 マンションの夏祭りが終わった。
 残暑の中、作業員が櫓や提灯を片付ける音が虚ろにこだましている。

 今年の夏祭りには誰も来なかった。以前は孫達とトンボを追い掛けたり
盆踊りの輪に入ったりして楽しかった。 三年前の句である。

     創られた祭り団地の盆踊り
     赤とんぼ子の振る網に戯れよ
     幼子の蝉取り蝉の殻ばかり  蛙蝉


 今年は老妻と二人でビンゴに釣られて中庭に出掛けたが、彼女は見かけた
友達と話し出して、私は置いてけぼり。仕方なく、形通りバザーのイカ焼き
とビールで義理を果して退散した.



子供の頃の夏の思い出といえば、母方の田舎に親戚のみんなが集まったこと
だろう。母の兄弟5人が家族を引き連れて、祖母と同居していた長男宅に押し
掛けたのだ。



 昔は親戚の絆が強かった。
 田植えや稲刈りの時には皆が集まって汗を流し、後はパッチンで夜更かし
したものだ。皆40代前後だから、威勢が良かった。

 夏休みには、12畳の座敷に集まって宴会。あれだけの人数の料理を用意した
叔母さんはさぞや大変だったろう。
 60年前の田舎だから、ガスも水道もまだ無かったと思う。お風呂は五右衛門
風呂で、不安定な板を踏み付けて浸かった。
 夜は大人達は酒を飲んで騒いでいるが、子供達は座敷の大きな蚊帳の中で
雑魚寝だ。暑いから雨戸は開けたままなので、蚊が入らない様蚊帳の裾を
バタバタ払って中に入るのがコツである。

 朝起きたら,蚊帳を畳むのが私の得意技だった。しかし、しまうために押入れ
を開けたら、上からムカデが落ちてきてビックリ。大人は喜んで箸で捕まえて
胡麻油に漬け込んでいた。
 そう言えば、囲炉裏の上の太い梁に青大将が居たという話もよく聞いた。

 久し振りに会った従兄弟たちとは幼稚園時代は一緒に遊んだ仲なので、すぐ
仲良くなった。しかし田舎の子供達の中で我々は北九州の都会育ち、妙な
優越感を持ちながら、田舎の遊びを教わった。



 私の娘達には、磯でのかに釣りくらいしか教えられなかったので、孫達には
昔の我々の遊びを教えたいと思う。

 
 囲碁将棋や百人一首はもう少し大きくなったからだと思うが、ビー玉、メンコ
(我々はパッチンと言っていた)、釘さし、缶蹴り、ゴム銃、虫捕り、魚釣りの為の
ミミズ掘り。
 女の子達は、ゴム飛びとかお手玉、おはじき、どろんこ料理のママゴトなど。

 子供達の周りは楽しい遊びが一杯だった。
 オヤツは竹の皮で包んだ梅干しか塩を振った生の大根。母親の機嫌のいい時には、
サトウキビを一節貰うこともあった。

 こんな子供の生活を教えてやりたいと思っているが、デジタルゲームに汚染された
彼らには、もう無理かもしれないな。


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