Manabus Column

路地裏から尾根道を行く

水戸市の配水塔

2024-06-06 | Weblog
阿字ヶ浦から水戸市内に移動してきた。
水戸と言えば水戸黄門、水戸納豆、それと偕楽園なんかが有名。

偕楽園は、徳川最後の将軍である慶喜のお父さんである徳川斉昭が作ったとのことであった。
今年の初めに司馬遼太郎の本を読んだこともあり、斉昭と慶喜のことが書かれていたが、流石に偕楽園のことは書いてなかった。
梅干しは戦の時の非常食として考えられていたが、最初に握り飯に梅干しを入れたのは誰であったのだろうとどうでも良いことを思ってしまう。

因みに納豆は、昔大豆を運んでいたときに山で遭難しかけて、背負っていた半分腐った大豆を食ったら美味かったのが最初らしい。
これは漫画日本昔ばなしで見たのだけど、これも本当かどうかは分からない。

で、水戸市内に寄ったのは昭和7年に建造された配水塔を見る為であった。
これはゴシック風な建造物で、登録文化財とかにも成っている。







少し、空が怪しく成ってきたが、それでも派手な建物は日本のものらしくないヨーロピアンな感じがする。
夜になると一応ライトアップするのだろうか、大掛かりなライトまで見受けられた。





流石に水戸城は堀の後だけ残されただけであったが、何やら昔の井戸があった。
ご丁寧に、『江戸時代の古井戸』という表示まで掲げている。





しかしなんとも地味な観光である。
普通であれば国営のひたち海浜公園のネモフィラあたりを見にいくだろうが、申し訳ないがあれには全く興味がない。
茨城は地味なところが好きなんである。

そういえば昔、ハウンドドッグファンの友達に連れられて、水戸市内のどこかでコンサートを見にきたのを思い出す。
僕も茨城出身だけど、それでも水戸市内の女学生どもがみんな訛っていて驚いた。
しかも、帰りの常磐線がボックス席で、途中まで車内でタバコが吸えたんだよなあと変なことだけ思えてる。
まあ昔のことだけどね。





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