♱ シャローム(主にある平安・平和)

シャローム:神様との和解 命溢れる真の平安 争いのない平和
十字架に秘められている死と罪からの解放・復活、そこに希望

2020年クリスマスおめでとうございます

2020-12-24 | Fuのこと

「電気シェーバーが壊れたので、持って来てください」と、この前病院から電話がありました。それで、新しいのを買って持って行ったのですが、受付の事務の方に面会をかたくかたくお断りされてしまいました。

しかたないですね、私のために、病院にクラスターが発生したら大ごとですものね・・・。

でも、容態は特に変わりないとのことでした。

 

袴田さん事件、高裁に差し戻しですって。良かったですね。これを皮切りに石川さんにも光が射し込みますように!

「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」に、希望を!

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。
この言は初めに神と共にあった。
すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。
この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。
光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。(ヨハネによる福音書1:1~5)

 

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暑い日が続きました。

2020-08-24 | Fuのこと

病院、コロナでまだ面会が解禁になっておりません。 病棟への電話情報だけですが、暑いので少し汗もらしき湿疹がある程度で他は特に変わりないとのことです。

「もっと、色々やりたいこともあっただろうのにな、無念だろうな」と、時々思いますが、でも、かえって中途半端に意識があるより、今は天国のここちして安らいでいるのかな、すべてに時がある・・・、これも神様の決められた時なのかな、と思えたり・・・。

彼と出会った頃のこととか、 これまでのことが色々思い出されます。。。

毎日暑い日が続いています。コロナ、熱中症など、皆様の健康が守られますように。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。

神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。(旧約聖書 伝道の書 3:11)

 

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新型コロナウィルス

2020-02-25 | Fuのこと
 
*入院費の支払い、これまでは病院の会計窓口で現金
  のみの受け付けでした。しかし、コロナ感染予防のた
   め、3月分以後は振り込みか現金書留で送ってくださ
   いとの手紙が、病院から届きました。
 
*散髪屋さんに、そろそろお願いしなければと思ってい
   ましたが、どうしたらいいのでしょう?
 
*2020年3月9日より
   コロナ感染予防のため、ついに「家族の面会もお断
   り」となってしまいました。
  神様は、新型コロナウィルスを通して全世界に
          何を告げようとされているのでしょうか?
 
    「み国を来たらせてください 
          みこころが天になるように、地にもなさせてください」
-----------------------------------------
日頃は、夫、Fuのことでは心におぼえお祈り、またお見舞いなど感謝しております。
 
ところで、今、全世界中で新型コロナウィルス 感染が広がっております。
この感染リスク を極力避けることの一つに、病院への出入りをしないことが良いと言われております。普通の風邪で外来受診する患者さんに新型コロナ肺炎ウィルス感染者が紛れている可能性もあるからです。
 
 どうぞ、この感染が終息するまでは、お見舞いのお気遣いくださいませんよう、よろしくお願いいたします。
 
皆様の健康が守られますよう、お祈りいたします。
              
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2020年健康で祝福された年でありますように(寒中見舞い)

2020-01-14 | Fuのこと

OHさま

長いメールをいただき、気になりながら返信が今日になってしまいましたこと、申し訳ありませんでした。

風邪は、すっかり良くなりましたでしょうか?

インターネットの繋がりが悪く、原因を探るのにたくさんの時間を要し(今も、原因不明で、不完全です)、教会のことでは、弁護士さんに相談しなければならない事が起きて、今までの経過報告のための文書作りに追われ、年賀状は、1月12日にポストに入れた(寒中見舞いとなってしまった)有様でした。

57年目突入の石川さん、多くの方々の支援が強い支えと希望となっておられるようです。

私は、祈りの支援しかしてないので肩身狭しです・・・。

袴田さんのことは、ローマ教皇の来日で少しは変化あるかなと期待してましたが、あまりその兆しは・・・?

ゴーン氏のお金亡者ぶりはひどいなとは思いつつ、日本の司法に対する批判をしてくれたことは、良かったかなと・・・。

司法は、「石川さん、袴田さんは冤罪の可能性大なので死刑には出来ない。が、こけんに関わるので無実にもしたくない。 娑婆で歳を取らせ死を迎えるのを待つ蛇の生殺し。」ということなのでしょうか・・・??

冤罪の苦しみに意味がないならやり切れないです。「知らずして、イエス・キリストの十字架(冤罪によるの贖罪)を証している」ということなのかもしれないなと・・・?

十字架には復活の希望が潜んでいます。希望をもって耐え忍ぶ力が与えられますように。

それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。(聖書 ローマ人への第1の手紙5:3-5

ペシャワール会の中村哲医師が銃殺されたことは、ショックでした。

彼は、30代前半の頃ではなかったかと思うのですが、ここの教会に来られたことがあります ( 奥様といっしょだったような? ) 。

「結核研究所での研修のためこちらに来ましたので、礼拝出席しました」と挨拶されたことを、不思議とおぼえています 。

中村哲医師の宗教を超えた信仰、彼の働きを背後で支えていたのは、どんな信仰だったのだだろうか?知りたく思いました。

わたしは、すべての人に対して自由であるが、できるだけ多くの人を得るために、自ら進んですべての人の奴隷になった。ユダヤ人には、ユダヤ人のようになった。・・・・・弱い人には弱い者になった。弱い人を得るためである。すべての人に対しては、すべての人のようになった。なんとかして幾人かを救うためである。 (聖書 コリント人への第1の手紙9:19-23

石川さん、袴田さん、中村医師、また私たちを含めすべての 一人ひとりの思いを用いそれを超えて(fuが、あの時あのように倒れ、今このような状態にあるのも)、神様が人間の救いの計画を成し遂げようとされている一駒ひとこまなのかなと・・・、人間が主ではなく神様が主となって救いを遂げようとしてるんだなと、思うこの頃です。

”獄友シスターズ”の皆様方、昨年は色々ありがとうございました。今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。

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丸2年になろうとしています。

2019-01-04 | Fuのこと

mm様

お見舞いいただきながら、忙しさにかまけお礼をしないままになっておりましたこと申し訳ございませんでした。

夫fuが2017年1月19日に脳梗塞で倒れて、丸2年になろうとしています。

夫fuはmmさんがお見舞い下さった頃とほとんど変らず、苦しそうなところもなく穏やかな日々を過ごしております。時々、大きな目を見開きじっと私を見詰めているかのような時もありますが、私が話しかけても声を出すでも表情を変えるわけでもなく、周りの情況が全く分かっていない様子です。夢の中で、「自由な所に行き、自由に語ったりして楽しんでいるのかもしれないな」と思えたりします。かえって、自分の今の厳しい状態が分からない方が、本人にとって幸せなのかなと思えたりと、複雑な気持ちです。 

多くの方々がお祈りに覚えてくださっていることに感謝しております。 

mmさんにとって、新しい年が健康が守られ神様に祝福されますように。

主にある平安をお祈り致します。 

色々、どうありがとうございます。

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「獄友(監獄の友)―冤罪者たちの楽しく素敵でおもしろい人間関係―

2018-11-10 | 心の癒し

                                 
 
no様

お礼が遅くなりましたが、お見舞い、ありがとうございました。

ドキュメンタリー映画「獄友」を観て来ました。
とても、とても良かったです。感動しました。
何かの冤罪事件を、作家がストーリー化、そして映画化、それを俳優(他人)が演じるのではなく、冤罪者本人たちの娑婆での話し笑い歌うといった演技ではない現実生活そのままの ドキュメンタリー 。この映画は冤罪を晴らす大きな役割を果たす予感がしました。
この映画は、ちょっと宣伝するだけで一躍有名になれる。そうなれば、グランプリー受賞間違いなしと思いました。
そしたら、担当裁判官、検察官がこの映画を目にせざるを得なくなり「石川さんや、袴田さんは、殺人者ではなかったんだっ !!!」って、恥じ入るのではないかと思いました。それでもまだ、「死刑だっ !!!」って、言い張るなら、彼らは世論の中の裸の王様になること間違いなし。神の目はごまかせない・・・、彼らこそ無罪の人を殺す殺人者そのものとなってしまう逆転。
 
それにしても、冤罪者たちの楽しく素敵な人間関係がおもしろいなと思いました。他の人たちには見られない不思議な関係に興味が湧いて来ました。
 
東村山市で、11月30日(金)にまた映画会が開かれますので、友達を誘ってここも行こうかなと思いました。

「獄友」ホームページ
http://www.gokutomo-movie.com/

話題作「獄友」 多摩地域巡回上映ツアー

http://www.town-t.com/p4715/

 
映画の帰りに、夫fuが入院している病院に寄りました。 そしたら、kさんがお見舞いに来て下さっていたようで、 「獄友 in 関西実行委員会」の冊子が置いてありました。
映画パンフレット 「獄友」を 買ってきましたが、kさんが下さった冊子とはまた違った内容でした。
これらの冊子、どちらもいい内容ですね。書店や知り合いの何かのお店とかにも置いてもらい、支援者以外の普通の人にも、いっぱい買ってもらえたらいなと思いました。
 
夫fuはあの通り、転院当時と特に変わりなく、のどかな顔して横になっています。
「獄友」を見ることが出来たら、どんな感想を言うかな、と思いました。
 
色々、ありがとうございます。
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酷暑の中、お見舞いありがとうございました。

2018-08-31 | Fuのこと

IM 様 

酷暑の中、お見舞いありがとうございました。

「またメール致します。」と言いながら、しないままで申し訳ありませんでした。

出版局で働いたことがあるといっても、私の場合、そんなには長くなかったです。その時、夫Fuと出会いました。。

この出会いで、彼もだったと思いますが、私自身もメンタル的に癒されたのは確かです。。。

でも、唯一淋しかったことは、 彼とは信仰的に通じ合えなかったことです。。。

彼は気を使わないですむ人でした。

お互いがお互いの世界を尊重し、支配しされ合というのではない自由な関係・・・、お互い気楽な間柄だったと思います。

ですから、彼があれだけ熱心に人権差別問題に取り組んでいたにも関わらず、信仰的方向が違う私には、一緒に集会に参加しようとか活動しようとか強要することはありませんでした。

彼は、計算高くなくずる賢くない人、嘘を言わない純粋な人でした(人間ですから、全く嘘をつかなかったとまでは言えませんが、ほとんど嘘をつかない人だった、とういう方が正確かと思いますが・・・)。でも、身近にいた私からすると、皆さんちょっと美化しすぎてるんじゃないかなと、思わないでもないです・・・。

>涼しくなりましたら、一度、お見舞いの前にご連絡して、

>病院の近くでランチかお夕食などご一緒していただくことは

>できますでしょうか。

お誘い、ありがとうございます。

都合が良い時をお知らせください。

ファミレスで良ければ車でご案内させていただければと思います。

お会いするのを、楽しみにしております

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至福感に満たされる時

2018-08-06 | 心の癒し

神様の愛・・・、キリストの愛と恵みを聴き語り合う時ほど、至福感に満たされることはありません。

昨日はとても幸せで嬉しい時を持たせていただき、本当にありがとうございました。

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壮大な救いが、司法の方々に及びますように。。。

2018-07-30 | Fuのこと

「朝顔イラスト」の画像検索結果

mashi様

皆様が一生懸命行動を起こしておられるのを思うと、「祈るだけじゃだめだ、行動に移さなければ」との責めを感じないでもないですが、 狭山事件のことも沖縄基地問題も、本当に手ごわくて私には身動きがとれないといった感じです。。。

 

原罪を背負っている私たち人間の誰しもに襲いかかってくる最大の敵「死という手錠」。

しかしそれにも関わらず、十字架の贖いゆえに私たちはその「手錠」から解放されている・・・。

私たちが神様に対する実罪者(冤罪者ではなく)であるにも関わらず、私たちが無罪判決を勝ち得ているのは、ひとえに十字架に架けられた主イエス・キリストが身代わりに冤罪を負われたがゆえのもの。

私たちの無罪判決は宗教的領域のことで、石川一雄さんの冤罪とは次元が違います。が、でも石川さんの冤罪は正に、イエス・キリストの十字架刑の象徴に、そして必ずや勝ち取るであろう石川さんの無罪判決はイエス・キリストの復活の光栄の象徴になるのではないかと、私には思えるのです。

神様がお墓の重い重い石の蓋を開け主イエス・キリストを復活させられたように、固く固く閉じられた司法の扉を神様が直接介入されることによって開き、石川さんの冤罪が晴らされて見えない手錠がはずされることを通し、神様の壮大な救いの物語の意味が・・・、イエス・キリストの十字架と復活の壮大な救いの意味が、司法の方々をはじめ多くの方々に知れ渡る契機となりますようにと、強く切望しつつ祈っていきたいというのが、私の思いです。

それぞれが置かれているところで、神様から与えられているそれぞれの賜物を生かし、それぞれの使命に向かって歩むのみではないのかな、思えます。。。

聖書(使徒言行録)

12:5 こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。

 12:6 ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。

 12:7 すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、「急いで起き上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。

 12:8 天使が、「帯を締め、履物を履きなさい」と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、「上着を着て、ついて来なさい」と言った。

 12:9 それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。

 12:10 第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。

 12:11 ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」

 

 16:23 そして、何度も鞭で打ってから二人を牢に投げ込み、看守に厳重に見張るように命じた。

 16:24 この命令を受けた看守は、二人をいちばん奥の牢に入れて、足には木の足枷をはめておいた。

 16:25 真夜中ごろ、パウロとシラスが賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた。

 16:26 突然、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった。

 16:27 目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした。

 16:28 パウロは大声で叫んだ。「自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる。」

 16:29 看守は、明かりを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、

 16:30 二人を外へ連れ出して言った。「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか。」

  16:31 二人は言った。「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」

 16:32 そして、看守とその家の人たち全部に主の言葉を語った。

 16:33 まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた。

 16:34 この後、二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族ともども喜んだ。

 16:35 朝になると、高官たちは下役たちを差し向けて、「あの者どもを釈放せよ」と言わせた。

  16:36 それで、看守はパウロにこの言葉を伝えた。「高官たちが、あなたがたを釈放するようにと、言ってよこしました。さあ、牢から出て、安心して行きなさい。」

  16:37 ところが、パウロは下役たちに言った。「高官たちは、ローマ帝国の市民権を持つわたしたちを、裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに釈放しようとするのか。いや、それはいけない。高官たちが自分でここへ来て、わたしたちを連れ出すべきだ。」

  16:38 下役たちは、この言葉を高官たちに報告した。高官たちは、二人がローマ帝国の市民権を持つ者であると聞いて恐れ、

  16:39 出向いて来てわびを言い、二人を牢から連れ出し、町から出て行くように頼んだ。

  16:40 牢を出た二人は、リディアの家に行って兄弟たちに会い、彼らを励ましてから出発した。

私は、最近「アメージンググレース」物語を読みました。

https://www.amazon.co.jp/gp/product/4779118530/ref=oh_aui_detailpage_o03_s00?ie=UTF8&psc=1

「アメージンググレース」の作詞者のジョン・ニュートンは、残酷な奴隷商人でした。彼は「九死に一生を得る」という体験を何回も何回もしながら、神様の恵みによって奇跡的に命を助けられたのみならず、罪塗れの身が悔い改めへと導かれ牧師になりました。後に、クリスチャン議員と協力して奴隷貿易廃止運動に力を注ぎ、ついに英国国会で奴隷制廃止が決定されることとになりました。

夫、Fuも深く関わったわハンセン病国賠訴訟においては、小泉純一郎首相が控訴を断念し勝訴しました。石川さんのことも、良識ある有力な政治家の力を借りることが出来たら何とかなるかもしれないな、という思いがして来ましたです。。。どう思います??

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今の暗いトンネルから明るいところへと一日も早く通り抜け出させてくださいますよう

2018-06-25 | 心の癒し


K様

信仰があっても私の信仰の弱さゆえ、時に人生の土台が揺らぐような感じに襲われて落ち込むことがあります(年に1~3回ぐらい)。人間は、本当に弱い存在だと思います。

 でも、なんだか知らないまに・・・、 聖霊の力によるのだと思いますが・・・、またスーッとその落ち込みが消え去るから不思議です。

 「死は天国の門」、これはキリスト教の教理です。

 それなら、「嫌なことばかりのこの世を離れて、早く死にたい」と思っても良さそうですが、信仰弱いので、やっぱり死は怖いしまだ死にたくないです。そう思うのは、神様が「まだ、この世にいなさい」と言われていることなんでしょうか。。。

「死がいよいよ間際に迫って来た時、私はどう思うだろう?うろたえるかもしれないな」と、そんな事を考えることがあります。でも、死をスーッと乗り越える力が与えられるに違いないと信じたいですし、「乗り越える力を与えてください 」というのが、私の祈りの一つです。

  子供の頃から21歳頃 (受洗前)までの私は、「どんな人も例外なく死ななければならない。死んですべてが終わりなら、目一杯人生を楽しまなきゃ損、損とばかりに面白おかしく生きたとしても、結局のところ虚しさに変わりない。だから、私は人生をはしゃいで生きられないな 。でも、もしかして死に対する答えが、どこかにあるかもしれない・・・きっとあるに違いない」と思うことがありました。

「人生は虚しい、虚しい」の厭世的な私でしたが、私を幸福感で満たしてくれたものもがありました。それは、恋愛でした。しかし、その幸福感は幻にすぎませんでした。 恋愛相手への偶像視。砂漠の中で見る蜃気楼のオアシスのようなものでした。すべての人間は罪を背負う存在であるのに偶像視し、自分の命、自分にとっての神的存在であるとの錯覚上の喜びは、露として消えるしかありませんでした。

神ならぬ者を神とする偶像崇拝の恐ろしさ。あとちょっとでてっぺんに登りつめ手に入れられると思えたその瞬間、一挙に奈落に突き落とされるようなもの・・・。

神仏の存在を全く信じていなかった私でしたが、キリスト教主義の学校に進学。聖書を買わなければならなかったので、売店にあった中で一番安い小型の聖書を買いました。「仏や神社の神は居ないと思うけれど、聖書の神なら存在するかもしれないな・・・。でも居ないかもしれない。どっちだろう?どっちだろう?」と思い巡らしていました。そうこうしている内に失恋の時がやって来ました。自分にとっての唯一の拠り所、神に代わる全存在だと思えていたものが儚い幻だったのですから苦しかったです。この苦しさを抱えて これから 延々と生きなければならないのは耐え切れないと思いました。

そんな時、ふっと「洗礼を受けよう!!今まで、神は居ないと思っていたけれど、これからは神は存在するという人生観を持って生きる方に賭けてみよう。人生観をガラッと変えたら、今の苦しさを紛らわせるかもしれない」という思いが、突然湧き起こって来ました。 誰か(聖霊だと思いますが)に背中をぐんぐん押されながら、「洗礼を受けるんだ!受けるんだ!」と繰り返し思いつつ教会に向かって歩いている私がいました。

 「洗礼を受けたい」と牧師夫人に告げた時、灰色の厚い雲空がどこまでも深く深く続いていると思われたのがわずかに裂けてそこから一条の光が差し込んで来るのが視えた、というよりそういう感覚がしました。その時「イエス・キリストの復活を信じていいんだ、いいんだ」という感激と嬉しさで涙が溢れて来ました。

そして、私は洗礼を受けたのですが、だからといって失恋の苦しさが紛らわされたわけでもなく特に何も変わりませんでした。むしろ、神様から愛されているからもう人の儚い愛は期待しない、けれど、復活の永遠の命が与えられていても、この地上で生涯を共にし愛す対象、パートナーが居ないまま生涯独身でいるような気がして辛かったです。しかし、その後、神様が夫Fuを与えて下さり、私の苦しみは、紛らわすという姑息的なものではない癒し、真実な癒しへと少しずつ少しずつ向かって行きました。

恋愛を通して、エロースの愛とアガペーの愛(神様の愛)とは何かを、神様から教えていただけたことは、私の人生で最も大きな出来事だったと言えると思います。

エロースの愛とは自分にとって価値あると思える者のみを・・・、自分を幸福にする者のみを愛し、そうでなくなった途端に終わる無常の愛。

アガペーの愛とは神様の愛。 キリストの十字架の愛。神様に背を向け裏切っている人間をも永遠に見捨てずどこまでも愛し続け罪と死から救おうとする命そのもの。

いずれにしても「愛」は、人の幸、不幸を大きく左右するもののようです。

受洗の動機が 「今の苦しさを紛らわせるかもしれない 」とは、いい加減で不純 なものでした。でも 振り返ってみるに、神様はその不純さをも良きに変えて用い、洗礼へと導いて下さったんだなあと思えます。私が、もし信仰に導かれなかったとしたら今の私は居なかった・・・、厭世観が強く虚無的だった私は精神を病んでどうにかなっていただろう、とそう思います。

 Kさんが、今の苦しさから一日も早く癒されることを願いつつ書いていましたら、こんなに長くなってしまいました。読んでいただくのが憚れる駄文、躊躇しつつ送信させていただきます。

 

神様、 あの時の苦しさがなければ今の私は居ませんでした。

Kさんにも、そういう日を早く来たらせてください。

Kさんを、どうぞ今の暗いトンネルから一日も早く通り抜けさせ、明るいところへと導いてくださいますよう、お願いいたします。

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電動自転車でのお見舞い

2018-01-23 | Fuのこと

mashi様

21日(日)、はるばる?電動自転車でのお見舞いありがとうございました。

お見舞いのためにもと思って、電動自転車を買ってくださったのでしたら申し訳ないなあ~?

mashiさんが、備え付けておいたミニノートに書き残して下さってたのを見るの忘れ、お見舞いのお礼が今日になってしまい、ごめんなさい。

今日は、家の前の道と、教会の雪かきをした後に、雪が積もった道を歩きで夫Fuが入院している病院に行ってきました。

K教会幼稚園の写真集に、幼稚園教師時代のmashiさんが写っていましたよ・・・、って、写っていない訳ないですけどね。懐かしいです。

 

 

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爪切り

2018-01-20 | Fuのこと
OH様
 
お見舞い時、爪切りまでさせてしまいごめんなさい(看護師さん、お忙しいので爪切りになかなか手がまわらないみたい)。
病院に置き忘れて行ったOHさんの携帯爪やすり、紛失することなくありましたので、床頭台の引き出しにアルコール消毒して保管しておきました。
爪やすり、OHさんのをお借りしないですむようお店で良さそうなのを見つけ買いましたので、床頭台の中に入れて置きました。今度はそれをお使いください・・・、というか、OHさんにお手数かけさせないために、私も頑張って今度はケガさせないようちゃんと爪切りできるようにしたいと思います。

連絡、昨日しようと思いつつ、今日になってしまいごめんなさい。
色々、ありがとね。
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1月19日ちょうど1年になります

2018-01-19 | Fuのこと
tenuさま

新年のご挨拶メールありがとうございました。
返信、今頃になってしまいすみません。

夫、Fuが倒れたのが、昨年の1月19日、今日でちょうど1年になります。
毎日の病院通いと、相変わらず忙しい教会の仕事で、今年は皆様への年賀状も、またメールでの新年のご挨拶さえも怠ってしまい、失礼しております。
せめて、Fuの今の病状報告がてら賀状返信をと思いつつも未だ手つかずでおります。

あれから(といっても、昨年の3月ですが)家近くの病院に転院したのですが、病状は転院時とほとんど同じ状態、回復傾向でもなくさりとて悪化傾向でもないといった情況です。
呼びかけなどの刺激に大きく目を見開くこともあり(赤ちゃんみたいな澄んだ瞳、可愛く思えます・・・、贔屓目かな?)、私と目と目をじっと見つめ合う時もあるのですが「この人だれだろう?どこかで会ったことある人だなあ~・・・」とでも思っていてくれていたらいいのですが、そうでもない感じ・・・。
同じ向きで長く寝ていても寝返りしたいそぶりもなく、鼻腔栄養の管がうっとおしいと感じてる様子もなく、声は全く発っせず(あくびとかしたことがありますが、彼の声は倒れてから一度も聞いたことありません)といった状態。
周りのことはもちろん今の自分の現状が全く分かっていない感じ。それゆえ、精神的に悩み苦しまないですむことは、彼にとってかえって幸せなのかなと思えたりします。また身体的にも特に苦しそうでもなく、いつも穏やかな表情で静かにベッドに臥せっている姿を見ると「ゆったりとした夢心地、至福の境地、今、神様の懐に抱かれ平安な内にいるのかなあ」と思えたりします。

>貴女のことを思い、心配しております。私も長い介護生活をしていましたから…。
>どうぞくれぐれも頑張らないで頑張って下さいね。

頑張らないで頑張って下さい  ← ??  ちょっと笑っちゃいましたです  (^^)/  😅
他の皆様も、Fuのみならず私の健康をも気遣ってくださり感謝しています。
先日は、歯が少しグラっと、そしてちょっと痛かったので、これは歯医者さんに行って抜歯かなと思ったりしたのですが、お正月だったので歯医者さんは休み。それで、ドラッグストアで、ちょっと値段が高めの歯磨き粉を奮発して買って磨いていたら、いつの間にか治ってしまいました。
最近は、歯磨き粉も進化したもんだなあ~と???  ←まさか、そんなことない??一時的に症状が鳴りを潜めているだけかも???(事後注釈:結局3か月後に抜歯と相成りました)
その他は、おかげさまで、私は特に何事もなく健康に過ごしております。

病院は、家から自転車で7、8分ぐらいで近いので助かっています。
また、看護師さん、介護士さん、リハビリの方々は良い方ばかり、感謝です。
 
tenuさんの健康と信仰が守られ、tenuさんの2018年が祝福された年となりますよう、お祈りしております。
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夫、Fuが入院してから、これまでの経過・・・

2018-01-09 | Fuのこと

このお花は、お見舞いに来られた方が持ってきてくださったものです。備え付けのミニノートに気づかなっかったようで、足跡が記されていませんでした。どなたなのでしょう?介護士さんが「体のガッチリした背の高い男の方でしたよ」と言われていました。OHさん曰く「KHさんだと思うよ」。KHさんに連絡しようしようと思いつつ、未だに出来ずじまい。ごめんなさい。

夫、Fuが入院してからまもなく一年になろうとしています。

2017年1月19日の寒い日、狭山事件の高裁前アピールのため、また日本キリスト教団の総会で満場一致で決定した「狭山事件の再審開始を求める決議文」を霞ケ関の高等裁判所に届けるため早朝に出かけて(教団議長と総幹事代行の先生も来られました)その途上、電車の中で倒れ新宿の大学病院に救急搬送されました。 脳梗塞でした。足の付け根からカテーテルを入れての左中大脳動脈血栓除去手術が無事成功しました。しかし、そうこうしているうちにその周囲に小さな脳出血が起き、また右脳にまで脳梗塞を発症してしまいました。更には、肺炎まで併発し高熱と痰のための呼吸困難で苦しみ続けました。そして1月31日に気管切開を行った結果、やっと容態が安定に向かい、2月3日にはICU(集中治療室)から、一般病棟に移ることができました。 しかし、左右の脳にダメージを受けたため外部の刺激に目を開けたりする体の反応は示しますが、自分の思いを意思表示することはもとより寝返りや飲食をしようとすることも(鼻腔栄養)声を発することもしないといった周りの情況が理解できていない様子の、寝たきり状態となってしまいました。

その後2月14日に板橋の病院に、さらに3月14日には家近くの病院に転院することが出来、今に至っています。

現在の病状は、気管切開後の状態とあまり変わりなく、回復傾向というわけでもなく、さりとて悪化傾向でもないといった状態です。

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