Diamonds performed by George Duke Group feat. Sheila E. at the Berliner Jazztage 1977
フュージョン全盛の70年代後半、ジョージ・デュークは他のミュージシャンとは少し異なるポジションを取っていて、ロック、ファンクとジャズを貪欲に取り入れ「踊れるフュージョン・ファンク」みたいな作品を連発していた。77年はアルバム「リーチ・フォー・イット」をリリースして乗りに乗っており、このドイツでの公演も「リーチ・フォー・イット」のプロモーションが目的で、収録曲である"Diamonds"で聴衆を魅了している。
「リーチ・フォー・イット」リリース当時は気付かなかったが、YouTubeで当ライブのメンバー構成や演奏スタイルから、彼のブラジル音楽への強い憧憬が曲に込められていることを確認した。曲自体は"Diamonds"なのだけど、1980年にリリースされ世界的にヒットしたアルバム「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」の中の"Brazilian sugar"や"Up from the sea it arose and ate rio in one swift bite"のメロディの一部を既に演奏しており、このステージの演奏は「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」のひな型なのだと思う。
当日のステージメンバーと「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」のレコーディングセッションで共通しているのは、シーラ・E(パーカッション)、バイロン・ミラー(ベース)、レオン・チャンクラー(ドラム)の三名。このステージが1977年の11月であり 「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」のレコーディングが1979年4月と、約1年半の期間が空いているものの、このステージにフローラ・プリンとアイアート、ミルトン・ナシメントがいれば、直ぐにでも「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」の全曲を演奏できそうなグルーヴ空間になっている。ジョージ・デュークは「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」を具現化するためにステージで実験していたのかも知れない。
フュージョン全盛の70年代後半、ジョージ・デュークは他のミュージシャンとは少し異なるポジションを取っていて、ロック、ファンクとジャズを貪欲に取り入れ「踊れるフュージョン・ファンク」みたいな作品を連発していた。77年はアルバム「リーチ・フォー・イット」をリリースして乗りに乗っており、このドイツでの公演も「リーチ・フォー・イット」のプロモーションが目的で、収録曲である"Diamonds"で聴衆を魅了している。
「リーチ・フォー・イット」リリース当時は気付かなかったが、YouTubeで当ライブのメンバー構成や演奏スタイルから、彼のブラジル音楽への強い憧憬が曲に込められていることを確認した。曲自体は"Diamonds"なのだけど、1980年にリリースされ世界的にヒットしたアルバム「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」の中の"Brazilian sugar"や"Up from the sea it arose and ate rio in one swift bite"のメロディの一部を既に演奏しており、このステージの演奏は「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」のひな型なのだと思う。
当日のステージメンバーと「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」のレコーディングセッションで共通しているのは、シーラ・E(パーカッション)、バイロン・ミラー(ベース)、レオン・チャンクラー(ドラム)の三名。このステージが1977年の11月であり 「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」のレコーディングが1979年4月と、約1年半の期間が空いているものの、このステージにフローラ・プリンとアイアート、ミルトン・ナシメントがいれば、直ぐにでも「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」の全曲を演奏できそうなグルーヴ空間になっている。ジョージ・デュークは「ア・ブラジリアン・ラヴ・アフェア―」を具現化するためにステージで実験していたのかも知れない。