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BREEZE ~ そよ風が吹く丘で

日々思ったことをつらつらと・・・

<出逢い> 最終回 未来の出逢い

2005-12-31 10:44:57 | <出逢い>
最終回 未来の出逢い

このシリーズを書き始めたのは3ヶ月前.ずっと先のように感じていた今日が,ものすごくあっという間にやってきた気がします.

最終回のテーマは“未来の出逢い”.

最終回はこのテーマでいこう,と考えていた頃は,失恋したばっかりで,いつかきっと出逢えるだろう“運命の人”について書こうと思っていました.でも今は,出逢っちゃいましたからね.運命の人かどうかはわかりませんが.

失恋したばかりの頃,私はよく自分に言い聞かせていました.大丈夫.きっといつか出逢えるから,って.私を愛してくれる人に.
そしたら出逢っちゃったわけです.信じる者は救われる.

さて.テーマに沿って書かなければですよね.

うむ.難しい.
でも,私はまだ22歳.きっとこれからたくさんの“出逢い”が待っているんだろうなぁって思います.
それは,愛する人であったり,親友と呼べるような友であったり,よき師であったり,またバンドに惚れるかもしれない.FANATIC◇CRISISの元ボーカル,石月努さんの新しい音楽とだって,これから出会えるだろうし.

それだけではなく,これからもっとたくさんのことに目を向けていきたいと思っています.
3月からは1人暮らしです.とりあえず卒論が書きあがれば,少しは余裕が出てくると思います.そしたら今よりももっといろんなことに挑戦してみたいなって思っています.そこにはきっと新しい人との出会いもあるだろうし,自分の価値観を変えるような存在との出会いもあるかと思います.

そんな未来の出逢いたちに思いを馳せて,このシリーズを締めくくりたいと思います.

<出逢い> 第6回 愛する人との出会い

2005-12-03 23:24:40 | <出逢い>
第6回 愛する人との出会い

<出逢い>シリーズを始めるに当たって,あらかじめこんなテーマで書こう,ということを考えていたんです.第6回目のテーマは“愛する人”―

でも今の私は,このテーマをうまく書くことができません.
テーマを決めた頃は好きだった先輩に振られてもがいてた時期で,自分の気持ちに必死に整理をつけようとしていました.
それが今,私は別な人に恋をしています.これが恋なのかどうか,本当に好きなのかどうか,正直今でもわかりません.ただ一緒にいる時間が楽しくて,愛おしくて,少しでもそばにいたいと願ってしまう.


私は高3の夏に本気の恋をしました.本気で人を好きになったのはあのときが初めてで,好きになり過ぎて忘れられなくて,相手にはたくさん迷惑もかけたし,今思えばバカだなぁってこともたくさんしたけれど,彼との出会いがあったからこそ,今の私がいるんだって,そう思います.


大学に入ってすぐに,私はまた恋をしました.彼は私にバスケをする楽しさを教えてくれました.彼のおかげで私はもう1度バスケをしようと思えたんです.

そんな彼とはほんの一瞬だけ付き合いました.彼と別れて以来,私は本気で誰も好きにはならなかったし,なれなかった.恋はしたけど,今思えばあこがれにすぎなかったのかな.

そして先輩との出会い.
化粧も何もせずに,女の子を捨ててた私が,先輩と出会ったおかげで少しだけ女の子を取り戻しました.いい意味で変わったね,強くなったねって言われた.

悲しいことも苦しいこともたくさんあったけれど,先輩と出会って,私は変われた.少しだけ自信もできた.

そして―

私はまた恋をしている.
もう2度と恋はできないと思ったけれど,あまりにも自然な気持ちの変化に,私自身が驚いています.
今はただこの気持ちを大切にしたい.

私はずっと誰かに愛されることを望んでいたんだと思います.だから傷ついても誰かを愛さずにはいられなかったんだと思います.

私はやっぱり愛がないと生きていけない人間なんだなぁと思いました.

<出逢い> 第5回 夢との出会い

2005-11-19 23:26:20 | <出逢い>
第5回 夢との出会い

私の夢は,耳が聞こえない人々に,音楽の素晴らしさを伝えるコト―

前にも少しだけ触れましたが,この夢と出会うきっかけを作ってくれたのは,私の尊敬するバンド,FANATIC◇CRISISの存在でした.

私は彼らと出逢ったことで音楽の素晴らしさを知り,将来はその方面で働きたいと思っていました.自分には音楽の才能はないから,代わりに彼らのような人たちが,音楽をたくさんの人に届ける,それを支える側に立ちたいと思っていました.

だから一時期は本気で大学には行かずに,専門学校で学ぼうと考えたほどです.

私の高校では3年生の前期に“課題研究”というものがあり,1人1人が好きな分野について調べ,発表するという授業がありました.イメージとしては高校レベルの卒論といったカンジで,自由研究に毛が生えたものです.テーマは人それぞれで,おもしろいものでは宝塚についてやコーヒーについてなど,なんでもありでした.

当初私はライブなどにおける音響技術の関係を調べようと思っていました.ところが思うように調査は進まず,と同時に進学についても考えなければならない時期でもあり,もう一度自分のやりたいことについて考え始めたんです.

そんなときでした.普段何気なく聴いていた音楽,小さい頃から当たり前のように存在していた音楽を,知らない人,知ることができない人が,この世界にはたくさんいるのではないか…そんな考えが,ふと頭の中に芽生えたんです.

それが補聴器と出会う最初のきっかけでした.

最終的な目標は今も変わらず,音楽の素晴らしさを多くの人に伝えるコトですが,今はその準備段階として,有効な補聴アルゴリズムの研究を始めたところです.でも,なかなかうまくはいきませんね.

いつか,いつか夢を叶えるために,これからも頑張って研究していきたいと思います.

<出逢い> 第4回 宮城野との出会い

2005-11-05 22:28:57 | <出逢い>
第4回 宮城野との出会い

私は現在,自宅から片道約1時間かけて大学に通っています.高校の頃は在来線を使っていたので,今の倍の時間をかけて通っていました.でも母校,宮城野高校は,それだけの価値のある高校だったと思っています.

宮城野に進学を決めたのは,単純に“総合学科”があったから,でした.
当時の私はバンドにはまり始めたばかりで,とにかく今の自分をかえたくて仕方がなかった.でも地元の高校に進んだら,周りはほとんどが馴染みの顔.となればきっとまた同じ日々を過ごしてしまう.加えて大学進学という面でもかなり無理がありました.
当時はまだ学区制(公立高校では基本的には指定された地区内の高校にしか進学できない)というものががっちりとあって,地元から受験できるのは全県学区の特殊な学科のみでした.今では理系に進んでいますが,その頃は語学を学びたいという気持ちが強く,理数科に進むのはためらわれました.そんなときに見つけたのが宮城野です.
当時の宮城野はできたばかりで(ちなみに私で5回生)県内随一の倍率を誇っていました.

そんなカンジで適当に決めたばかりに,進学してから気づくことがたくさんありました.たとえば部活がないこと.そして進学校だということ…

今思えば,そこまできつくはなかったのですが,入学当初の私には勉強勉強の日々に感じ,息苦しくて,自分をかえたかったハズなのに,相変わらずの日々に,理想と現実のギャップに,とにかくやめたくてやめたくて仕方がなかった記憶ばかりです.

そんな私が宮城野を好きになったのは,悲しいことに高3になってからでした.
あの1年があったからこそ今の私がいるし,宮城野と,そして宮城野のみんなと出会えてよかったと思えるようになりました.

宮城野はいい意味で“変な人”の集まりでした.1人1人が自分の色をしっかりと持っていて,発想がユニーク.いろんなことを考えていて,いろんなことを知っていて,私がもっとも憧れる‘深み’のある人たちばかりでした.それは大学に来てから,よりはっきりと気づかされたことでもあります.と同時に,自分の薄っぺらさも―

今でもときどき宮城野の仲間たちと会うと,なんだかホッとします.みんなの活躍を聞くたびに,あぁ,やっぱり宮城野はすごいなぁと思います.

私が宮城野に進んでよかったと思うのは,大学選びにもつながっています.進学校と言っても,受験勉強ばかりをしてきた訳ではなく,なぜ進学するのかをしっかりと考える機会がたくさんありました.おかげで私は今の大学に進んだことを後悔していないし,夢にもたどり着けました.

最近は母校についてあまりいい噂を聞かなくなりました.時代と共に変わってしまうことは避けられないし,それを受け止める必要があることもわかります.でも,変わって欲しくないところ,“宮城野らしさ”を失って欲しくないなって思います.正直,それが何なのかを言葉で述べることは難しいけれど,宮城野に進んでよかったと思える人がこれからもたくさんいてくれることを願って,第4回を締めたいと思います.

<出逢い> 第3回 死との出会い

2005-10-22 23:10:34 | <出逢い>
第3回 死との出会い

今回は少し重いテーマ,『死』について書いてみようと思います.

私が初めて『死』と出会ったのは,小学校1年生の頃でした.飼い猫が死産してしまったんです.
もちろんそれまでの間に,死と全く無縁だったわけではありませんが,あまりにも幼かったことと,死,そのものと向き合ったことがなく,そういった意味で初めて死と直面したのがこの頃でした.

当時飼っていた猫は初めて飼うペットで,飼い方のノウハウも何も知らないまま,放し飼いにしていました.そしたらいつの間にか妊娠し,出産も私と祖母が気づいたときには1匹目がすでに冷たくなって,母猫のそばに横たわっていました.

そのあまりにも小さく冷たいカラダに触れたとき,涙があふれて止まりませんでした.この世の光を知ることもなく死んでしまった名も無き子猫.もう動くことがない,そのことがどうしても信じられず,理不尽に思えて仕方がなかったように思います.
その後,2匹目,3匹目は自力で出てくることができず,母猫も入院することになり,結局は死産だったことを聞きました.
母猫は2度目の出産で病気を併発し,病院で1匹で寂しく死んでしまいました.

小学校に入る前か低学年の頃,私は『死』というものが恐ろしくてなりませんでした.夜中に眠れなくなって,父と泣きながら話したこともあります.

私がおびえていたコト.それは『死』を境にして訪れる“無”でした.死んでしまったら,それまでの痛みや苦しみだけじゃなく,喜びも悲しみも,感情のすべてが消えてしまう.存在のすべてが消えてしまう.
そのことが幼い私にはどうしても理解できず,眠るのが怖くなることがしばしばありました.

そんな私が今では軽々しく『死』を口にする.
いつからだろう.いつから死を恐れなくなったのだろう.

今でも私は死を恐れています.死ぬのが怖いし,死にたくない.でも明らかにあの頃とは違う気がします.

今回はちょっと<出逢い>というテーマからはそれてしまいましたね…

でも,『死』を理解しているのは人間だけだとする説があるらしいですよ.
知能を得た人間は,ずっと先の未来を考える力を得た.しかしそれは同時に,やがてわが身にも起こりうる『死』というものの存在に気づかされる結果となった…

とすると,『死』におびえ始めたあの頃は,少しだけ大人に近づいた証拠だったのかもしれませんね.

<出逢い> 第2回 後藤正規選手との出会い

2005-10-09 00:14:25 | <出逢い>
第2回 後藤正規選手との出会い

2回目の今回はバスケットボール選手,後藤正規さん(元アイシンシーホース)について書きたいと思います.

その前に,私とバスケットとの出会いから,軽く触れることにします.
私がバスケットと出会ったのは,小学校2年も終わる頃.3歳離れた姉が友達に誘われてミニバスに入ったことがきっかけでした.
当時,ママさんバレーをしている母について行って体育館で遊んでいたのですが,その頃から姉と母が練習前にシューティングをするようになって,そんな様子を見ていた私は仲間外れになるのが嫌で,斯くして私もミニバスに入ることになったんです.
その後の小学校時代はまさにバスケ一色.
でもさまざまな理由から,多くは逃げの気持ちだったと思いますが,中学,高校とバスケ部には入らず,そしてまた大学から始めることにしたんです.

6年間のブランクは,自分が想像していた以上に大きいもので,周りとのレベルの差に,自分の不甲斐なさに何度も辞めようと思いました.

そんなときに出会ったのが正規さんです.

大学に入って半年が過ぎた頃,ネットをいじっていてJBL(日本最高峰の実業団リーグ.今年度からは別にプロリーグができてしまいましたが…)のホームページにたどり着きました.そこのトップに写真が載っていたのが正規さんでした.
第一印象は決していいものではありませんでした.でもトップページに載るくらいの方だから,すごい人な訳で,その後もちょくちょくと記事を見かけるようになります.
すると,どうやらホントにすごい人,技術的な話だけじゃなく,精神面でもすごい人らしいということがわかってきました.

そして初めてプレーを観た日―

気が付いたら目が離せなくなっていました.確か初めて試合を観たのはビデオだったと思うのですが,あるプレーだけ何度も巻き戻して見た記憶があります.

その年は宮城に来たときももちろん観に行き,ファイナルを観に東京まで行ったほどでした(ちなみにこの年,アイシンは初優勝し,翌年2連覇を達成しました).

正規さんは言葉は悪いかもしれないけれど,“華”のある選手ではないと思います.JBLをあまり知らない人だと,バスケをしてても正規さんを知らないという人は多いと思います.少なくとも私の周りはそうでした.

でも正規さんは本当にすごいんです.
正規さんのすごさは,その存在感にあるのだと思います.
目立つプレーではないけれど,チームをがっしりと支えている.

正規さんのすごさは,ピンチのときのシュート.絶対ここで1本ほしいというときほど,しっかりと決めてくる.
そしてなんと言っても鉄壁のディフェンスです.相手チームのエースを完全に押さえ込むんです.
そして,バスケに対しても何に対しても,すごく厳しいところ.

厳密に言えば,正規さんと私のポジションは違いますが,それでもあのシュートやディフェンスは私の目標でした.

結局私は途中で投げ出す形になってしまったけれど,それでも1年から2年にかけてはすごく頑張れたし,技術的な面でも少しは成長できたと思っています.
正規さんと出会えたからこそあそこまで頑張れたんだと思うし,今があるのだと思います.

正規さんは昨シーズンで選手を引退し,今は大学で指導者になるための勉強をしているそうです.
いつか正規さん率いるチームを応援できる日を楽しみにして―

<出逢い> 第1回 運命を変えた出逢い~バンド編

2005-09-24 08:43:57 | <出逢い>
第1回 運命を変えた出逢い~バンド編

人にはそれぞれ,運命を変えた出逢いがあるハズ.自分の人生観に影響を与えた人,将来の夢を与えてくれた人….人に限らず,音楽や本もその1つ.
そんな出逢いについて,シリーズ的に書いてみようかなぁと思っています.どれだけ続くかわかりませんが,とりあえず2週間に1回更新するペースでやろうと思っています.

そんな1回目は私の人生を180度変えたであろう出逢い,FANATIC◇CRISISとの出逢いについて書いてみたいと思います.

ファナさんと出逢ったのは,中3の夏.ちょうどバンドブームの時代で,あの頃はどこの音楽番組をつけても,必ずといっていいほどバンドが出ていた時代.そんな時代に私はファナと出逢いました.

今でもあの日のコトははっきりと覚えています.あの曲を聴く度に,あの日の衝撃がよみがえってくる―

当時私はバンドには全く興味がなく,むしろ否定的な人間でした.とくに“ヴィジュアル系”と呼ばれた方々は,テレビのチャンネルをものすごい勢いで変えちゃうくらい嫌いでした.
当時の私には,彼らのようなバンドマンって,不良の成れの果てというか,いい加減な人たちなんだと思ってました.なんせ周りの不良を見てるとね…曲を聴こうともせずに,頭っから否定して.今思えばひどい話ですよね.

そんな私が,あの曲と運命的な出逢いをする訳です.FANATIC◇CRISISメジャー5枚目のシングル,『火の鳥』

毎週金曜日に聴いていたラジオ番組があって,そこにMステ帰りの彼らがゲストに出てたんですよね.ボーカルの石月努さんとベースのRYUJIさん.

そして火の鳥がかかった瞬間―

頭をガツンと殴られたような衝撃が,私の中を駆け巡ったんです.
こんなにかっこいい曲があったんだ!!! って.
メロディラインもそうだし,声や音もそうだし,とにかくスベテが私にとっては初めて触れる世界だったんです.音だけの情報だったから,変な先入観もなく,素直に響いてきたのでしょう.

しばらく方針状態だった私は,その後夢中で雑誌のランキングから,彼らが‘FANATIC◇CRISIS’というバンドだということを知りました.

それから先はもうあっという間でしたね.どんどんハマっていきました.彼らの魅力に,音楽に.
そしてそれまでバンドマンに対して抱いていた誤った固定観念を根っこから正してくれたのも,FANATIC◇CRISISでした.

もしファナと出逢えなかったら,石月さんと出逢えなかったら,きっと私は今この場所にいなかったと思います.それくらい私にとっては大きな出逢いでした.
彼らと出逢い,彼らの音楽に,コトバにたくさん救われました.彼らと出逢ったからこそ今の夢にたどり着いて,だから今の研究室を選びました.そう思うと,ファナとの出逢いが今の出逢いを支えてるんだなぁ感じます.

だから私の人生を語るとき,夢を語るとき,そこには必ずFANATIC◇CRISISがいるし,FANATIC◇CRISISなくしては語れないんです.
まだ22年の人生だけど,その中で1番影響を与えた人たちです.

出逢えたコトに感謝して― (2005.9.24)