見出し画像

本と音楽とねこと

戦争する国の道徳──安保・沖縄・福島

小林よしのり・宮台真司・東浩紀,2015,戦争する国の道徳──安保・沖縄・福島
,幻冬舎.(8.2.24)

国民を舐めきった政治家に、激怒せよ!
もはや日本に道徳はなく、損得しかないのか!?
今、つくりだすべき倫理とは?

日本は戦争する国になった。これは怒ることを忘れ、日米安保に甘えた国民の責任だ。安保法制化も、沖縄県民だけに押し付けてきた米軍基地の問題も、当事者以外の意見を封じる福島の原発問題も背景にあるのは、怒りや苦しみによる連帯ができず、すべて他人事として受け流す日本人の感情の劣化だ。しかし、今度こそ怒らねば、そして怒りつづけねばならない。戦争する現実を直視しつつ、舐めた政治家たちに恐怖を与えねばならない。この危機に、かつて罵り合った小林よしのり氏と宮台真司氏、さらには東浩紀氏という日本を代表する論客三人が集い怒り合った。暴走する権力を阻止し、共闘することを誓った一冊。

感情を抑えるな! 絶望に囚われるな!
〇日本を変えるにはときには政治家へのテロしかない場合もある
〇国民国家間の戦争は本当にありえるのか
〇インターネットが持っていた連帯の可能性もいまは消えた
〇かつては日本が戦争を仕掛けたという事実を水に流してはいけない
〇「崩れた民主主義」の行きつく先
〇保守でも革新でもない、新しい日本像をつくる

 本書が出版されて5年後に起こったことを思い起こすと、テロを正当化できるかどうかの議論は、先見の明があったと言うほかない。
 というか、小林と宮台は、5年後に起きることを期待していたのではないか。

 日本に米軍基地や原発が必要なのであれば、その便益(と期待されるもの)を享受する大都市の近くにおくべきである。

 実際は、有事の際に米軍が日本の国土を防衛する保証はどこにもないし、原発は、いったんシビアアクシデントが起きれば保険原理では補償できない被害が生じる。また、プルサーマル計画は事実上破綻しており、核廃棄物の最終処分の目処もまったくたっていない。さらに言えば、ウランの採掘、生成の段階から、作業に従事する人々は致命的な健康被害を受ける。

 沖縄なりフクシマなりに犠牲を押しつけたまま、平気でいられる連中の感情は、まともではない。
 結局、じゃ、まともな感情をどうやってインストールするのよ、という教育の課題に行き着く。

 小林と宮台が意気投合しているのが興味深い。

 ほんとそうだよなあという共感しかない討議内容だ。

目次
第1部 日本を変えるにはテロしかないのか
行動する人間は必要だがその行動が間違っている
なかなか本音を言えない沖縄人のタテマエの連帯
沖縄には基地そのものがいらない。でも基地の利権ができあがりすぎている
復興という動機が「結局カネでしょ」という内地の軽蔑につながる
復讐のつもりで始めた「あえてする依存」が、いつのまにかなしではいられない依存に ほか
第2部 国民国家間の戦争はあり得るか
「日本人」とは誰のことか
「水に流して」はいけない
「手打ち」という解決の流儀
国民国家同士の戦争はもう起きない?
アフリカの子どもたちより貧しい日本の子ども ほか


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事