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本と音楽とねこと

【旧作】「イエスの方舟」論【斜め読み】

芹沢俊介,1995,「イエスの方舟」論,筑摩書房.(8.6.24)

「イエスの方舟」という宗教団体の若い女性信者10人が行方不明になったと、ある日の新聞が報じた。教祖による誘拐か。マス・メディアの過剰反応によって、波紋は加速度的に大きく広がってゆく。1980年におこったこの「事件」を足がかりに、宗教・家族・女性・共同体の現在を読み解いていく。20枚の書下し論文「1995年のイエスの方舟」を併せて収録する。

 若い女性が出奔して、「おっちゃん」こと「千石イエス」の元で共同生活をおくる。

 娘や配偶者を取り戻すべく、千石を糾弾する家族と、マスコミ。

 本書は、「イエスの方舟」をめぐる事件の経緯をたどり、「方舟」と連合赤軍、旧統一教会とを比較する。

イエスの方舟事件@wiki

 マスコミは、千石という中年すぎの男が、若い女性をかどわかしている、性的搾取をしていると、虚偽のことを報じた。

 わたしたちが、パパ活やら愛人契約やらをおぞましいものとして嫌悪するのは、そこにおいて、インセストタブーが破られているような感覚をもつからでもある。
 それは、女児にグルーミングの果てに性的虐待をはたらく男への嫌悪と一続きのものだ。

 イエスの方舟事件のポルノ的性格、とくに千石イエスに付与されたじめついた恐るべき性的非行者のイメージは既成の性道徳が崩壊しつくされようとしている社会において、その事実を自分の家族においてだけは認めまいとする大衆の家族の心理的な機制が打ちあげたものである。この集合的なイメージには性におけるタブーが現在、境界をぐちゃぐちゃに突き崩されているという認識が最後に寄りつこうとしている一角がみえる。すなわち、親が子を犯すこと、あるいは親のような年齢の男が娘のような年齢の女性を犯すことのタブーという一角である。家族の意向を拡大的に反映したマス・メディアの反応には、近親相姦のタブーの意識の強化とともに、家族の長幼の秩序の不可慢性の意識がこれまでになく強化されていることに注目しよう。これらをつきつめていけば千石イエスに付与された中年すぎの強烈な性的非行者というポルノの主人公のイメージは、女性に女性であることを強いるいっさいの枠組みが崩れてしまった現実の鋭い反映であることが知れる。いいかえれば、女性という概念の崩壊状況を押しすすめる力の象徴として社会と家族が排除しようとしたものである。このとき、排除の対象となるのは決して既知の存在ではなく、未知の存在、異界を形成するような存在である。
(pp.183-184)

 「方舟」に身を寄せた女性たちが惹かれた千石の考え方の一つが、女性を性的身体として「他者化」しないというものであった。

 ここを具体的に千石剛賢は性欲を例にとりながら説明している。原罪がないイエスは性欲の悩みがない。したがって原罪のない人間は「他人」がない。原罪ということにおいて「他人」が生じるのであって「他人」がないということは、他者のなかに自己を見ている状態を指している。それゆえ他者のなかに自己を見ることができるならば、そこで「他人」は消滅するというように。ここでいう「他人」というのは、自己の性欲を充たす手段としての存在のことである。自他をこのような「他人」として扱ったり扱われたりするあり方が、すでに罪の権力下に置かれるということを物語っている。イエスにはそのような他人がないと、千石は言う。他者のなかに自己をみるということについて、千石剛賢はもう少し分かりやすい例を引いてくる。「創世記」のなかの「アダム言けるは此こそわが骨の骨わが肉の肉なれば此は男より取りたる者なれば之を女と名くべしと」という箇所についてつぎのように解説を加える。わが骨の骨が肉の肉ということは、自分という存在と角度の違う存在として、他者のなかに自己を見ているのだ。アダムはエバに自分と違う角度の存在としての自己を見ているのだ。エバはアダムにとって受け身としての自己なのだということ。アダムが受けた神の言葉、知恵を具体的に表現する他者がエバなのである。これが女の定義であるというのだ。男女が相互に性的な欲望の対象となるということは、アダムとエバの陥罪以後に生じた状態であり、とりもなおさず男女が罪の権力下にあることを告げているのである。確かに神を介して見たときの男を能動的な自己とみなし、女を受動的な自己とみなすという解釈はすぐれたものだと思う。けれども、すべての人が原罪の権力下にあるという発想は、方舟らしからぬ<宗教〉への逸脱という印象を拭い切れないのだ。
(pp.234-235)

 他者のなかに自分があり、自分のなかに他者がある──これが実践されれば、女性身体の性的客体化=モノ化を防ぐことができる。

 これが、千石の「隣人愛」の中身なのであった。

 千石の死後、「方舟」の拠点は、中洲から香椎、そして古賀市へと変遷し、その共同体は、なおも持続している。

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目次
生成論
構造論
女性論
エロス論
漂流論


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