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本と音楽とねこと

コミュニティを再考する

伊豫谷登士翁・齋藤純一・吉原直樹,2013,『コミュニティを再考する』平凡社(新書)('16.8.17)

 1970年代のコミュニティ研究で注目された奥田モデルや鈴木モデルは、能動的、開放的で永住する意識をもった都市新中間層が創る「善きコミュニティ」のそれであったが、中間層の解体、超高齢化が進む現在の地域社会において、そうしたモデルが顧みられることもなくなってしまった。
 モデルなき「コミュニティ・インフレーション」の進行は、国家・自治体の福祉機能履行義務の放棄とそれへの人々の幻滅に起因している。絶望のなかでのモデルなきコミュニティ待望論は、たやすくナショナリズムの熱狂のなかに取り込まれてしまうだろうし、現にそうした事態が進行している。
 「個人化」、少子化が進むなかで、従来の町内会・自治会、子ども会、老人会等の地縁組織を強化しようとすることは、現実的ではないし、危険でさえある。わたしが思うに、いまいちど、社会学のなかでもコミュニティ論と併せて積極的に展開されてきたボランタリー・アソシエーション論を再評価し、アソシエーションが取り結ぶネットワークとしてのコミュニティの可能性を模索すべきではないだろうか。現に、宅老所、小規模多機能デイケアホーム、「子ども食堂」等、そうしたコミュニティを構成するアソシエーションは、日々、その活動水準を向上させているのである。

目次
第1章 政治哲学 コミュニティ再生の両義性―その政治的文脈
コミュニティへの関心の背景
コミュニティにはどんな意味が含まれているか
統治の再編とコミュニティ
コミュニティ再生をめぐる諸課題
コミュニティ再生のポテンシャル
二つのコミュニティの間
第2章 グローバリゼーション・経済 豊かさを共有できた時代の終焉
「共同体」の復権?
「ローカル」のグローバル化
いま格差/貧困の何が問題か
セーフティ・ネットは可能か
第3章 社会学 ポスト3・11の地層から―いまコミュニティを問うことの意味「コミュニティ・インフレーション」化する社会
災害ユートピアとショック・ドクトリンの間で
コミュニティ期待論/願望論とリベラル・ナショナリズム
コミュニティにおける「地域性」と「連帯性」
創発的はコミュニティの可能性
3.11後の「生活の協同」に向けて
鼎談 コミュニティ研究の射程と、現代への問いかけ
近代の捉え直し。コミュニティ論が浮上するわけ
ナショナリズムとコミュニティの相互関係
ナオリベラリズムとグローバリズムの影響
コミュニティは日本でどう論議されてきたか
コミュニティに資源を呼びこむことは?
地域運動の争点とは。それぞれのコミュニティの担い手
「あっったけど、なかった」論

「コミュニティ」という言葉が急速に使われはじめている。しかし、私たちがコミュニティに期待する「つながり」や「絆」、「相互扶助」は、様々な社会的・政治的文脈にさらされ、手放しで喜べるものではなくなっている…。コミュニティの現在を問うことで、ポスト成長社会の課題を浮き彫りにする。政治哲学、経済学、社会学の分野からコミュニティ研究の新たな地平を切り開く!

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