evergreen の ふぃ~るど・のおと

~「ふるさと」の自然やくらしのなかで 気になる話題につぶやいてみる~

共有するということ

2007年06月25日 | Weblog
昨日は今シーズン初の川下りをした。いつもの川をいつものように進む。目新しい風景はないが、仲間とともに特別な時間の流れを共有できる空間にはいつも新鮮さを感じる。それは不安定さに身を置くことも手伝う。車の操作のようには上手くいかないし、動力もない。けれど、そんな不便さ・不都合さを共有することで味わえる何かがある。(頓別川・弥生)
コメント

変わらないもの

2007年06月22日 | Weblog
札幌千秋庵の山親爺(やまおやじ)というお煎餅をご存じだろうか?かなり前だがTVコマーシャルでも流れていたほど北海道ではポピュラーなお菓子で、天皇陛下に献上までされたらしい。その山親爺に入っているパンフレットの写真はこのマチで撮られた牧場風景だ。45年ほど前に撮影されたものなので今と建物に少し違いはあるものの、半世紀を過ぎようとしても背景の山並みは全く変わっていない。当たり前といえばそれまでだが、「唯一昔と変わらないのは山のカタチ」と寂しげに語った亡き父の言葉を思い出した。(旭台)
コメント

こどもの居場所

2007年06月19日 | Weblog
先の日曜日のピンネシリ岳山開き。こどもの応援団長(?)友人O氏は小さな笑顔に囲まれていた。ポニーやウサギたちとともに会場に持ち込まれたミニトラクターのハンドルを握ったこどもたちは、おそらくソフトクリームや焼き鳥よりも魅力的な体験をしただろう。嬉しそうにはしゃぐこどもの姿にメガネの奥の彼の目がますます細くなっていた。(道の駅 ピンネシリ)
コメント

はじまりの川

2007年06月11日 | Weblog
それほど深く山へ入り込まなくとも美しい川と出会える魅力がこのマチにはある。生きものたちのにぎわいを感じ、思わず水に手を浸したくなる衝動に駆られる。濃淡の緑につつまれた清流の、木洩れ陽がさす姿には精霊たちの気配さえする。遠い昔、先人たちが一攫千金を夢見た爪あとを見つけることはもう難しいが、自然とともに生きる歴史のはじまりがこの川であったことを想うと、もう少し眺めていたくなった。(尻無川・弥生)
コメント

オジロワシVSミサゴ

2007年06月08日 | Weblog
何日か前のこと。頓別川沿いの農道を走っていたとき、空高くから悲鳴に似た声が聞こえた。見上げるとオジロワシがミサゴに襲われてる(?)・・・そんなことはないのだろうが、オジロワシは防戦一方だった。近くにミサゴの巣があるのだろうか?そういえば、春から秋にこの辺りではミサゴの姿をよく見かける。ミサゴというと海の猛禽といったイメージが強いが、山頂で見ることもある。白い長めの翼は初夏の青い空によく映える。(頓別川・松音知)
コメント

カッコウ

2007年06月04日 | Weblog
「カッコー、カッコー」の声を聞けば豆を撒くというが、この鳥は初夏を代表する渡り鳥である。カッコウの仲間にはホトトギス、ツツドリ、ジュウイチといるが、ホトトギス以外はこの地域でも普通に見られる。この鳥たちはすべて托卵する野鳥。托卵とは、他の種の巣に自分の卵を産み付け、子育てをその親に任せるという身勝手この上ない行為だ。もちろん托卵される方の親も黙っているわけではなく阻止すべく戦うのだが、托卵された異質な卵は本来の卵より早く孵化し、なおかつ他の卵を背中に乗せて落としてしまう。明らかに違う子どもであるのにせっせと餌を運んで育てるという悲しい性(さが)はもちろん進化の過程だろうが、托卵する種の卵に似せたものを産み落とすとさえいうから恐ろしい。(知駒岳)
コメント