のらりくらりSEVEN ART☆

40歳からのぼちぼち人生

抜粋☆

2016-07-18 16:06:11 | 日記
世の中には三種類の人がいる。まず、人の心に毒を盛る人。彼らは人びとを落胆させ、創造性を破壊し、あなたにはムリだと言う。次に、自己中心的な人。彼らは自分のことばかり考えて、他の人に力を貸そうとしない。最後に、人の心に明かりをともす人。彼らは、人びとの生活を豊かにするために、励ましの言葉をかける。私たちは、そういう人になる必要があるし、そういう人とつきあう必要がある。

敬意を表する☆

2016-07-18 16:05:14 | 日記
そもそも

僕がサッカーを始めたのは4つ上の兄のおかげ。
兄はセンスがあり努力しなくても上手かった。
兄のプレーをビデオで何度も見た事もある。

サッカーはじめた頃
プロになりたいとか日本一になりたいとか
全くもってそういうビジョンはなかった。

ただ
漠然とサッカーが楽しくて
仲間とボールを蹴るのが楽しくて
とにかく上手くなりたくて
弱かったから試合もちょっと位は勝ちたくて
試合で得点するのが楽しくて
なんか
毎日ボールを蹴るのが楽しかった。
仲間とサッカーするのが楽しかった。





今の子供達は素晴らしい
素晴らしい目標を持ってる子供達が沢山いる。
僕みたいにガキの頃からちゃらんぽらんではない。

エスペでサッカーやってる子供達で
今の年代からプロ目指してる子供達には
心から敬意を払いたい。


子供の頃の感情に戻り
子供目線に戻り
自分のコーチとしての立ち位置を第三者目線から見る事も大事。




僕がプロになってたら
僕が日本一になってたら

ガミガミ
あーだこーだ
頭の固い固定概念指導をしてるんだろな(笑)


まだまだ微力なコーチですから
子供達の目標を一緒にサポートするしかないのです。



高い目標を持ち素晴らしい行動力の子供達には
心から敬意を払いたい。







抜粋☆

2016-07-18 16:02:50 | 日記
育成の残念を考える

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指導者の大きな違い

井田とか大瀧先生とかを長く見て、他の指導者を見ていて何が違うのかある方に問われた。

「経験」とか一言でいわれるがそれは抽象的であいまい過ぎる。

井田に聞いてみた。
すると

「そりゃ、本を読み芸術に触れ、違う世界から日々学び続けているかだ」
「相手でいうと豊かな人間が率いるところは対戦するのにコワいしワクワクする」
「中学時代の能力高い選手集めたチームに出合い完敗することもあるが、負け惜しみじゃないが、怖いともワクワクとは感じないな」
「先が知れてるというか、生徒の今をすり減らしているって魅力的じゃないだろう」
「まあ監督そのものであり、スタッフそのものだな。大切なのは」

そしてもう一つ。

「自分で彼らを背負い悩むということ。
 選手の責任にしないということだ」
「この勝利、この悔しい経験から、学ばなければいけないのは選手じゃない。監督だ」
「その姿が選手を鼓舞するのだ」

ダメな監督はいつの最後に「選手は学べ、選手のあそこが・・・」と、
棚上げの説教で、変わるチャンスを失うのだ。

自問無き説教は、自問しない賞味期限2.3年のロボット選手を生むだけ。
いつもそうだったしこれからも。
選手に責任を負わせ、いいカッコしたり、自分の安心を得ようとしないこと。