EQペディア/エラリイ・クイーン事典

エラリイ・クイーンの作品(長編・短編)に登場する人物その他の項目を検索する目的で作られたブログです。

エラリイの住居

2006年06月16日 | EQ雑学事典
エラリイはニューヨーク西八十七番街にあるアパートに父親のリチャード・クイーン警視と共に住んでいる。

<西八十七番街のクィーン父子のアパートは、暖炉の上のパイプ掛けから、壁に輝いているサーベルまで、どこからどこまでも、男の住居だった。彼らはヴィクトリア時代後期のなごりの三世帯住みの褐色の石造の家の最上階に住んでいた。>

この建物は三階建(半地下室つき?)で、ビル所有者によって管理人が配置されている。『あなたのお金を倍に』(クイーン検察局)に、このビルの管理主任が登場する。


一階部分は<どこまで続くのか見当もつかないくらい長い、陰気な、きちんと整った廊下広間>になっていて、そこから厚い絨毯をしきつめた階段をのぼってゆくと《クイーン寓》という標札のある大きな樫のドアにつきあたる。

<控えの間は、じつをいうと、エラリーの工夫になるものだった。小さくて、狭くて、壁が不自然に高く、塔のように見えた。ユーモラスなしかつめらしさで、一方の壁は、猟銃を描いた壁掛けで完全におおわれていた。(中略)壁掛けの下には、どっしりしたミッション風のテーブルがあり、、その上に羊皮紙の傘のついたスタンドと三巻ものの《アラビアン・ナイト物語》を挟んだ、青銅の本立てが一対おいてあった。>

<次にくる大きな部屋は、隅から隅まで明るくて爽快である。>

ここでは、エラリイの発案に因るとされる、控えの間と居間との対照が強調されている。

<居間は三方にそそり立って、革のにおいを発散している本棚が並び、段々になった棚が重なって天井まで届いていた。四番目の壁には、大きな素朴な暖炉があり、がんじょうな樫の梁をマントルにして、にぶく光る鉄枠が、火床を仕切っていた。>

<大きな広々とした部屋いっぱいに隅なく、電灯がくるめき「、輝いていた。安楽椅子、肘掛け椅子、足台、あかるい色のクッションなどが、至るところに置いてあった。これを要するに、贅沢な趣味を持った二人の知識人紳士が、自分たちの居間として工夫し得るかぎりの、もっとも気持ちのよい部屋だった。>

引用は、井上勇訳『ローマ帽子の謎』より。



ローマ劇場

2006年06月16日 | EQ雑学事典
192X年9月24日の月曜日。霧雨のブロードウェーは人通りも少なく、寒々としていた。しかし、四十七番街で、ブロードウェイの西側にあるローマ劇場の前には人々がごったがえしていた。

ローマ劇場は当時、ブロードウェイでも新しい部類に属していた。
この日、上演されていた《ピストル騒動》は犯罪社会を扱った三幕の騒々しいどたばた劇で、それは荒々しく、猥雑で、時代を反映し、芝居の観客層の嗜好に合っていた。このため劇場は盛況だった。

『ローマ帽子の謎』と呼ばれる、モンティー・フィールド毒殺事件は、このような状況下で起こった。



そして月日は流れ、196X年、ロレット・スパニアはこの劇場で初演される新作ミュージカルに出演し、歌手としてデビューする。「西四十七番地の古ぼけたローマン劇場」(『顔』尾坂力訳より)は、かつて殺人の舞台となったローマ劇場と同じ劇場であろう。ロレットは、『顔』の事件の被害者で往年の名歌手だったグローリー・ギルドの姪であり相続人である。

ロレットの歌は聴衆を魅了した。そして彼女がアンコールに歌った曲は、亡き伯母グローリー・ギルドが特別に愛した《十二月になっても五月と同じに私を愛して下さる?》だった。この歌は1920年代の終りにニューヨーク市長になったジェームズ・J・ウォーカーが若い頃に作詞し、1905年に発売されたもので、ウォーカーが市長になったとき再発売されて有名になった歌だ。

1905年は、エラリイ・クイーンを創り出したフレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーが生まれた年。1920年代の終りには『ローマ帽子の謎』が刊行されている。


『顔』によると、ウォーカーは、この歌の詩を書いてから四十年後、死を控えた病気になり、急に新しい歌の歌詞を書きはじめたが、それは次のような句で終わっていた。

 十二月は来ない
 恋人よ、忘れないで
 いつも五月だということを。        (尾坂力 訳)

 

ダイイング・メッセージ

2006年06月16日 | EQ雑学事典
ダイイング・メッセージといえば、アナグラムとならびクイーンのこだわりを示す定番のアイテムです。

『Xの悲劇』『シャム双子の謎』など、初期の作品にも登場しますけど、後期になると(特に短編で)ダイイング・メッセージの多用に辟易とさせられたりもします。

実はこのダイイング・メッセージは、すでに『ローマ帽子の謎』に登場しています。悪徳弁護士のモンティー・フィールドは死の直前に、《人殺しだ、殺られた》とうめいているんです。ここで犯人の名前まで明かしていたら、エラリイの推理の出番もなかったわけですけど。

処女作にはその作家のすべてがあるとは、よく言われることばですけど、本筋に関係ない部分とはいえ、ダイイング・メッセージが早くも登場していることは、注目に値するでしょう。

嗅ぎ煙草(かぎたばこ)

2006年06月16日 | EQ雑学事典
*嗅ぎ煙草(かぎたばこ)

かぎタバコ 【▼嗅ぎ―】

鼻の穴にすりつけて香りを味わう粉タバコ。スナッフ。(大辞林)


節制家であるクイーン警視の、「たったひとつの、それも程よい程度の道楽」が嗅ぎたばこである。


たばこを燃やさないので、当然副流煙も出ない。本人はともかく、周囲の人間に害をあたえないので、これはほどよい道楽と言えますね。

エラリイの病歴

2006年06月16日 | EQ雑学事典
*エラリーの病歴

●ノイローゼ:『第八の日』

大戦さなか、軍部の指令で戦意高揚の映画作りにハリウッドで酷使されていた。
3~4カ月の間に脚本を20本(軍隊向け10本、民間人向け10本)仕上げるように命じられた。
1日20時間、もっと長いことがしばしばだった。

エラリーはついに、タイプライターに向かい『リチャード・クイーン、リチャード・クイーン、リチャード・クイーン、リチャード・クイーン・・・・・』と無意識に繰り返すようになる。


●両足骨折:『三角形の第四辺』

ライツヴィルでスキーを楽しもうとしていたエラリーは、知りあいの映画監督の雪山シーンに出演。機材を載せたボブスレーがひとりでに滑り出して、接触したエラリーは両足骨折。スキーの片方も折れた。
スェーデン・ノールウェイ病院に入院。主治医はヨハネソン博士。
電話・レコードプレーヤー・テレビ(リモコン付き)完備の個室で、金髪美人看護士と仲よくしている。
毎朝、ベッドから運び出してもらい、日中はアームチェアに王様みたいに座り、晩になるとベッドに運び込んでもらった。
本・雑誌・タバコ・果物・筆記用具・ワインが手の届くところに置かれている。
足の骨が上手く接合しなかったため入院延期。クリスマスも病院で過ごす羽目になり、12月31日に松葉杖をついて退院。


●坐骨神経痛:『クイーン検察局(偽相続人科・タイムズ・スクゥエアの魔女)』

座骨神経症で十日間もベッドで寝たきりだった。寝返りを打つことにも人手を借りる必要があった。事件が持ち込まれるとベッドの上に座れるようになった。


●アレルギー性発疹:『悪魔の報酬』

顔にアレルギー性の発疹ができたために髭剃りができなくなり頬と顎に黒い髭を生やした。発疹が治っても気に入ったひげをそのままにしていた。


●喉頭炎:『悪魔の報酬』

カリフォルニアに来て雨にあったった途端、喉頭炎になってなかなか直らず、しわがれ声になってしまった。


●盲腸炎に腹膜炎:『ドラゴンの歯』

ボー・ランメルと共同で私立探偵事務所を立ち上げた直後、盲腸炎から腹膜炎を併発。三途の川を渡りかける。
『クイーン君は、あの世とこの世の境の門をせわしなく出たり、入ったりして、ただ、このうつし世をさまよっているというだけだった。しかし、依頼人が死んだときくと、とたんに宙ぶらりんをやめて、医者でさえ気味わるがるほど、めきめきと快方に向った』
五月に入院、意識がしっかり戻ったのは既に7月になっていた。さらに退院後6週間の転地療養を必要とした。


●銃創:『ギリシャ棺の謎』

犯人に狙撃される。左の肩を弾丸がかすめた。


written by SergeantVelie



*エラリーと病気*エラリイと病気*病気・怪我(けが)

ハンノキ(榛の木)

2006年06月16日 | EQ雑学事典
Ellery(エラリー)の名前が≪ハンノキ(榛の木)の繁る島≫の意味だというのは、作家クイーンが述べています。
<エラリーというのは、クイーンの一人が少年時代につき合っていた友だちの名前から作られました。ずっと後になってから、この名前はアングロ・サクソン語で“榛の木の繁る島”という意味であることがわかったのです(クイーン談話室より)>

カバノキ科の落葉高木。山野の湿地に自生。幹は直立し、15メートルに達する。水田の畔に稲掛け用に植える。雌雄同株。三月ごろ、葉の出る前に暗紫褐色の尾状の雄花穂と、紅紫色の小さい雌花穂をつける。果実は松かさ状で、染料として用いる。(大辞林)

山や木々に詳しくない一般日本人にとって、ハンノキと聞いてすぐ姿かたちが思い浮かぶことは少ないでしょう。

現代の英名では≪Alnus≫で、もちろんElleryとは似ても似つきません。

アングロ・サクソン語を18世紀ヨーロッパに辿ってみましょう。

ヨーロッパでは、深い森や湖、川のそばに立つハンノキは神話や民話に《森の王》としてよく登場してきます。
ゲーテの『魔王』Erlkonig(※注 oはドイツ語表示不可)はErle(ハンノキ)とkonig(王)
で、文字通り『ハンノキの王』という意味です。
ゲーテはこの着想を、同時代の詩人ヘルダーの詩『魔王の娘(Erlkongs Tocheter)』から得たようです。
このヘルダーも題材をデンマークの民謡『妖精の王(Ellerkonge)』に求めたのですが、低地ドイツ語Eller=Erle(ハンノキ)だったので、“妖精”が“ハンノキ”に誤訳されたままゲーテにもつながっていったようです。

というわけで、エラリーはキングだったという落ちがつきますね(笑)

東京周辺でハンノキを見られるのは、葛飾区金町にある都立水元公園に群生地があります。
水辺の美しい公園ですので、ぜひエラリーの樹をごらんにお立ち寄りください。


Photo & written by SergeantVelie

エラリイと車(愛車)

2006年06月16日 | EQ雑学事典
*エラリイと車(愛車)

エラリイの愛車といえば、デューセンバーグ。

●登場する作品は以下のとおり。(SergeantVelie調べ)

ざっと思い浮かぶのは、初出の『エジプト十字架の謎』
これはアメリカ大陸横断の大活躍でした。

『シャム双生児の謎』
山火事騒ぎの中で敢え無く・・・・のはずでしたが(笑)

『スペイン岬の謎』
登場の印象的なドライブシーン。

『中途の家』
エラリーが女の子を乗せて遊びまくってました。

『第八の日』
砂漠の中に置き去りにされてました。

『最後の一撃』
デューセイの詳細が記録されてましたね。


【追加】エラリイの愛車(matorjiska調べ)

短編ですが、『双頭の犬の冒険』に出てきます。ご参考までに。
国名シリーズあたりはデューセンバーグ。

犯罪カレンダーの5月『ゲッティズバーグのラッパ』に登場。邦訳では車種が特定できないが、原文にはっきりと“ Duesenberg ”とある。
犯罪カレンダーの11月では“古いヨーロッパ車”、詳細不明だったが、これも原文により“old Duesey”と確認される。

『最後の一撃』後半では1957年型コンヴァーティブル。

もう1台追加。
「消えた死体」ではなぜか“強力なキャデラック”(創元推理文庫版p44)に乗ってる。


●エラリイとデューセイについての詳しい考察はこちら

EQ考察:Duesenberg

EQ考察:デューシーレイサーの正体


ドルリー・レーン劇場

2006年06月16日 | EQ雑学事典
*ドルリー・レーン劇場

Drury Lane

作家エラリー・クイーンがバーナビイ・ロス名義で書いた悲劇四部作の名探偵ドルリー・レーン。
引退した元シェークスピア俳優。世界的名声は、隠棲した後も揺ぎないものでした。

一方、現実の世界にもロンドンのコペントガーデンにイギリス最古の王立劇場ドルリー・レーン劇場が17世紀から存在します。
こうしてみると、いかにもドルリー・レーンというシェークスピアの名優が実在して、その名前を冠した劇場という気がするのですが、
実際には、ドルリーレーンという通りに面した劇場と言う意味でしかありません。元来はドルリー家(Drury)の屋敷があった道(Lane)で、theatre Royal ,Drury Laneが正式名称となります。

クイーンが、ロス名義の作品の探偵に引退したシェークスピア俳優と言う設定をしたときに浮かんだのが、この劇場の名前だったのでしょうか。

劇場の建物は、四度にわたって建て直され、現在のものは1812年に建てられたものとなります。
初期にはもちろんシェークスピア劇を演じられていたのですが、最近はポピュラーなミュージカルなどの上演が多いようです。

さて、めんどうなことに、アメリカ合衆国シカゴにもDrury Lane theatre が存在します。
こちらはミュージカル、ブロードウェイのショーなどのライブやディナーショータイプの劇場のようです。
http://www.drurylaneoakbrook.com/



written by SergesntVelie


エラリイと酒(アルコール)

2006年06月16日 | EQ雑学事典
*エラリイと酒(アルコール)

エラリイは「酒に弱いことにかけては評判の男だった」(『神の灯』)などという記述もあるが、実際にはどうだったのか。酒豪というイメージはないものの、普通に飲酒をたしなむ程度ではあったようだ。

スコッチを好み、バーボンは嫌いらしい。ビールも飲む。

エラリイの飲酒シーンをピックアップした、エラリイと酒に関する考察を SergeantVelieさんがまとめているので、ご一読を。

EQ考察:Days of Cocktail and Mysteries




エラリイのライヴァル

2006年06月16日 | EQ雑学事典
探偵エラリイのライヴァルって誰だろう?ファイロ・ヴァンス?


原書房の『名探偵の世紀』の最後のほうの座談会で、森英俊氏がエラリイのライヴァルにピーター・ウィムジー卿をあげているんだけど、これは同感だなぁ。

『中途の家』のエラリイなんて、すごくピーター卿っぽい。

エラリイはいちおう作家ということになっているけど、母方の遺産で暮らしているような高等遊民で、イギリス貴族風のところがある。遅寝遅起きだし。

単にウィムジー卿のほうが、ファイロ・ヴァンスよりかずっと好感が持てるってこともあるんだけどね(笑


エラリイの哲学

2006年06月03日 | EQ雑学事典

エラリイの哲学

<エラリー・クイーンは、決定論者、実用主義者、現実主義者でないと同様、運命論者でもなかった。イズムやオロジーとの唯一の妥協点は、思想の歴史を通じて、多くの名声と成果をあげてきた知性の福音に対する絶対の信仰だった。>(井上勇訳『オランダ靴の謎』より。以下の<引用部分>も同様。)

つまり、この当時のエラリイの哲学・思想の根底にあったのは「知性への絶対の信仰」ということである。理性や知性に対するこの種の「信仰」は、若者らしくもあり、素朴で微笑ましい。

現実主義者、実用主義者でないエラリイは警察の密告者制度や融通のきかない犯罪捜査方法を鼻先で笑っていた。

<「ぼくは、少なくとも、その点では、カントと同意見だ」といいたいところだった。「純粋理性は、人間と呼ぶ、ごった煮のなかでの最高の善である。ひとつの頭が考えうる程度のことは、別の頭が、これを見抜きうるからだ・・・・・・」
 これは彼の哲学をもっとも簡単な言葉で表現したものだった。>



>ひとつの頭が考えうる程度のことは、別の頭が、これを見抜きうる

これが、若きエラリイの哲学であり、信念であり、信仰であった。
でも、これをもって、エラリイの考え方はカントの哲学に基づいていると言い切ってしまってよいものでしょうか。むしろエラリイの思考法は数学的方法であり、デカルト哲学の方法論に近いように思えます。

わたしは、自分のとぼしい知識の範囲で、カントの哲学の最も重要な部分は『純粋理性批判』のなかで「現象(人間が知ることができるもの)」と「本体(物自体=Ding an sich=人間が知ることができないもの)」を論じて、人間の認識の限界を示したところと理解しています。少なくともカントは理性を絶対の信仰の対象としてこなかったと思います。

カントは『純粋理性批判』によって超越神の存在を証明することの不可能さを論じたということでいいと思いますけど、限界のある人間の認識力・理性・知性が信仰の対象にならないことも明らかです。だから若き日のエラリイの哲学をカント哲学と結びつけるのは無理だと思えるのです。


若き日のエラリイの素朴な哲学・信念は、やがて打ち砕かれ、絶対の信仰の対象であった理性・知性・論理に代わるものとして超越神を求めるようになったのではないかという気がするのです。後期クイーン作品に現れてくる神学的テーマは、あたかもエラリイのこころの隙間を埋めようとしているかのようです。こうなったのも、初期のエラリイの素朴な理性信仰と無縁ではないでしょう。