EQペディア/エラリイ・クイーン事典

エラリイ・クイーンの作品(長編・短編)に登場する人物その他の項目を検索する目的で作られたブログです。

ローマ劇場

2006年06月16日 | EQ雑学事典
192X年9月24日の月曜日。霧雨のブロードウェーは人通りも少なく、寒々としていた。しかし、四十七番街で、ブロードウェイの西側にあるローマ劇場の前には人々がごったがえしていた。

ローマ劇場は当時、ブロードウェイでも新しい部類に属していた。
この日、上演されていた《ピストル騒動》は犯罪社会を扱った三幕の騒々しいどたばた劇で、それは荒々しく、猥雑で、時代を反映し、芝居の観客層の嗜好に合っていた。このため劇場は盛況だった。

『ローマ帽子の謎』と呼ばれる、モンティー・フィールド毒殺事件は、このような状況下で起こった。



そして月日は流れ、196X年、ロレット・スパニアはこの劇場で初演される新作ミュージカルに出演し、歌手としてデビューする。「西四十七番地の古ぼけたローマン劇場」(『顔』尾坂力訳より)は、かつて殺人の舞台となったローマ劇場と同じ劇場であろう。ロレットは、『顔』の事件の被害者で往年の名歌手だったグローリー・ギルドの姪であり相続人である。

ロレットの歌は聴衆を魅了した。そして彼女がアンコールに歌った曲は、亡き伯母グローリー・ギルドが特別に愛した《十二月になっても五月と同じに私を愛して下さる?》だった。この歌は1920年代の終りにニューヨーク市長になったジェームズ・J・ウォーカーが若い頃に作詞し、1905年に発売されたもので、ウォーカーが市長になったとき再発売されて有名になった歌だ。

1905年は、エラリイ・クイーンを創り出したフレデリック・ダネイとマンフレッド・B・リーが生まれた年。1920年代の終りには『ローマ帽子の謎』が刊行されている。


『顔』によると、ウォーカーは、この歌の詩を書いてから四十年後、死を控えた病気になり、急に新しい歌の歌詞を書きはじめたが、それは次のような句で終わっていた。

 十二月は来ない
 恋人よ、忘れないで
 いつも五月だということを。        (尾坂力 訳)

 
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