アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争

社会構造を分析しています。

敵の出現による闘争本能に直結する危機意識

2012年09月24日 | 記事
今までの危機感としては、“経済破局”や“環境破壊”、 “精神破壊”などを、数字や意識潮流などの現象事実を積み上げ、ことの重大性を理解し意識の深くに定着していった。いわば、観念主導で捉えた社会的な危機意識であった。

しかし、今回の衆議院選挙におけるマスコミ報道に端を発した、上記アメリカ支配の現実に至っては、(もちろん情報は上記投稿のような観念が契機となっているが)刺激される部分が、心の奥底を直撃するような危機感であることが、大きく異なる点である。

これは一体どういうことか!?

戦後から一貫して、原爆を落とした敵国であったアメリカを、日本人は手の平を返したように好意的に受止め、むしろ“憧れのアメリカ”として、あらゆる活動に“アメリカナイズ”を目指してきた。今までのアメリカの関与をむしろ“好意”として捉え、一種の“信頼”を抱いている日本人もかなりの割合で存在する。外国に対する“非情な行為”も“日本に対しては別!”という“お人よしにも程がある”ような意識でいる人も相当数存在する。これは、日本人の縄文体質=本源体質が生んだ意識であると思うが、逆にアメリカはそれを悉く利用し、一般大衆を“太陽の方法論”(:耳障りのいい価値観念を駆使した世論操作)で日本人を共認支配してきたということだと思う。

しかし、近年のヘッジファンドの暗躍、アメリカ資本の日本侵食、(グローバルスタンダードという名の元に)アメリカ基準の押し付けによる(各産業界での)規制緩和など、アメリカの傍若無人な私権闘争圧力を(たとえその報道が一部の事実しか伝えていなかったとしても)脅威として感じられるようになってきた。このいわば“北風の方法論”(:力による強制共認)に転じたことよって、嘗ての“信頼”する国が一変して、庶民にも“敵”として意識付けられるようになったのだと思う。(そのかわり様には、市場拡大停止によって“博打市場”に頼らねばならないアメリカの“焦り”も感じられる。)

先にあげた「心の奥底を直撃するような危機感」は、敵の出現による闘争本能に直結する危機意識だということになる。このことは、日本に非常に大きな転換期が到来したことを意味すると思う。この状況で、アメリカが政治家やマスコミに対する支配を強めるとどうなるか。目に見える私権闘争圧力とそれを水で薄めようとする政治家・マスコミ。その矛盾や欺瞞が膨らみ、ある時期一気に噴出するのではないか。
しかも、今や情報はマスコミのみから発信されるわけではなく、インターネットによる庶民の実感や情報もどんどん増えていっている。しかも、庶民の適応主体としての可能性探索≒観念(答え)探索も進んでいくという状況にある。

このことからも、今、目指すべきは、事実認識をもってこのアメリカの私権闘争の実態や、政治家・マスコミの“アメリカ言いなり”の状況をつぶさに抑えていき、庶民に芽生えた危機意識を顕在化させることではないか?そのことが、より早くに観念探索に可能性収束する道ではないかと思う。


佐藤祥司