25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

カミロ・カベロetc

2018年02月11日 | 音楽 ポップス
 久しぶりに津に出た。東洋軒でランチをし、目的の音楽CDと幾つかの興味を覚えそうな新書をじっくりとみるつもりだった。それとウィスキーも。

 20歳のキューバ生まれのアメリカ マイアミ育ちのカミロ・カベロ。ミュージシャンステーションで彼女の歌を聴いたとき、ゾクッとした。次の時代の音楽を作る天才が現れたのだと思った。不思議なリズムは体を揺するようである。声に優しさと力強さがある。和製ポップスの作曲能力がめためたに落ちていると、普段から思っていたので、カミロの登場は日本での宇多田ヒカル的登場で、それは世界的だ。帰りの車の中でじっくり聴きながらと思っている。

 書店では、「人工知能と経済の未来ー2030年雇用大崩壊(井上智洋)」と「日本史の内幕(磯田道史)を買った。この頃小説から遠ざかっている。両方ちもベストセラーである。新書のタイトルを見ていると、「投資はやめなさい」
とか「賢い人の筋トレ」とか「大人のコミニュケーション」など出版社のなんとかタイトルで買ってもらおうとする意志が伝わってきて、ちょっと自信がありすぎのタイトルに腰が引けてしまう。
 とくにダイエットや食事論は、去年までは野菜を先に食べ、次はたんぱく質といっていたのが、この頃はそれは間違いだ、と主張される。

 雪が降ってきたので早めに帰ることにした。カメロのCDを聴いた。「ハバナ」という曲です、だけじゃなく、どれも良かった。ついでに宇多田ヒカルはやっぱりたいした才能のあるシンガーソングライターであり、カミロとの共通点も感じられた。メロディックであり、打楽器と男性コーラスの使い方に共通性がある。出てくるものだ、と思いながら聴いていた。
 
 夜、本を取り出して、読み始めた。AI のことである。昔、電話番号をおぼえている電話交換手がいた。切符を切る国鉄の改札口があった。それらは機械化された。印刷会社は活字を取り出して型にはめていた。
 このような変化は徐々に進行した。ITによる技術、医療科学の大きな基礎が今できつつあり、大津波のように大変革が起こるのは2030年ー2040年と予測されている。
 翻訳機はどんな文脈をも読み解き、瞬時に喋ったことが翻訳される。
 ビジネス文書も翻訳にかければ瞬時に間違いなく他言語になる。AIの技術競争でどこが世界の人工知能や物ネットワーク(IoT)やインターネットやブロックチェーンの支配が進むともいう。世界各国は国もひともこの文やでは凌ぎを削っているという。
 この競争のなかで日本は生き残っていけるのか、という疑問がわく。危ない綱渡りをしている日本経済である。金融、財政政策に失敗すれば、回復するまでの期間、おおよそ5年とか10年、停滞することになってしまうのではないか、などと寝床で思ってしまうのである。
 思えば、今のぼくはおおよそ昔考えられなかった手のひらサイズのスマートフォンをパソコン代わりに使っている。
 雨雲の位置も、天体の位置も、世界の時計も、ミュージックや動画や写真、地図、広辞苑以上も情報、近辺にない商品もみなここに詰まっている。
 2040年まで生きたいものだ。物理学者のホーキンス博士は「とても危険」と警鐘を鳴らしているらしいが。

  

副作用

2018年02月10日 | 日記
 風邪をひいているわけではないのに、むせるような咳がでるので、薬局で「龍角散」でも服用sじてみるかと思い、某薬局に出かけた。「風邪のような咳ではないんですけど、そんな咳用のものって龍角散なんですか」と薬剤師らしき人に訊ねた。するとその人はいとも簡単に、今一番搾り売れているのはこれです」と言って「ダスモック」という錠剤を手で示した。「漢方です。うちの夫も飲んでます」と言った。その薬の箱を読んでみると、気管支の汚れをキレイにしながら、しつこい咳、痰、気管支炎を改善、と書いてある。おれは気管支炎なのか、と思ったのだった。清肺湯沢とも言うらしい。龍角散よりこれを勧められるので、「胃腸の弱い人は気をつける」ことも書いてあったが、試しに飲んでみるか、と思い、飲んでみた。

 すると咳が出なくなった。1日めの夜胃に不快感があった。それで2日め一回分飲んで、再度胃の調子を確かめた。やはり不快感がある。これは副作用なのだろう。なんでも副作用はあるものだ、と思い、飲むのを止めた。やっぱり「龍角散」にしようと思っていたのだが、買うのを忘れた。忘れるほどに咳が出なくなっていたのである。

 十年ほど前に激しい頭痛があり、これはヤバイと、緊急に総合病院に運んでもらった。ちょうど紀伊長島で講演中だった。すると頸椎のひとつがつぶれていて、それを支えていた筋肉が少なく弱くなっていつからだと医者言われた。頭痛の90%は首が原因なんですよ、とそ医者は言い、これといった治療はせず、緊張性の頸椎からくる頭痛でしょう、で終わった。その日から、首お異常を意識するようになった。意識すると首の筋肉に凝りが起こる。知り合いの内科医に相談した。すると彼は、筋肉の緊張を緩めるビタミンB群と、「コンスタン」という向精神薬を処方してくれた。向精神薬は筋肉の緊張を緩めるから、と言うのだった。

 しかしながらそれを毎日服用ひていると、気管支と食堂の切り替えをする筋肉や尿を堪える筋肉なども緩んでいるように思えて、結局、首筋をつけるしかないと思うに至り、コンスタンを止めた。やはり薬には副作用があるとつくづく思ったのだった。

 副作用は薬だけではないのは言うまでもない。
 


ソーシャルハウス

2018年02月10日 | 社会・経済・政治
 アパートの新形態である「ソーシャルハウス」というものが出てきて喜んでいる。鍵付き個室があって、共同のリビングやキッチンがあり、フィトネスやクラブ活動まである。その規模は200人くらいまでらしい。大中小と規模は様々なのだろうが、ひとつのコミュニティである。200人と言えば、尾鷲の曽根浦よりも人口が多い。現在は金利も超安なので、銀行はこのような不動産活用には資金を出すらしい。友達いわく、「どれだけでも出すよ」と言っていた。それが、今度はアパート余りになってきた。
 日本は住宅政策には前のめりで、持ち家を持てば、人は保守に回ると思ったのだろうか。今は家をもつのも考えものになってきた。固定資産税、保険、維持費がかかる。この維持費も結構お金を用意しておかないと何が起こるかわからない。年々家屋の価値は下がっていき、土地代も上がるようには思えない。
 時代は変わったと思わせる典型的な事例である。最後には相続という問題がやってくる。
 相続放棄をする人も多く、持ち主のわからない土地家屋も多く、面積でいえば九州の面積ほどあるという。過剰な住宅政策だったのだろう。
 ひとりポツンと一軒家にいるより、家賃を払ってでもソーシャルハウスで暮らす方が楽しいかも知れない。人間関係はいろいろあろうがいろいろあるほうが人間的生活と考えればいいし、暮らす場所では地位や肩書も関係ないから、ずっと気楽なものだろう。
 ソーシャルハウスは3万円くらいからいろいろある。外国人も一緒というところもあれば若い人も老人も一緒、また別々というものもある。
 介護付き老人ホームとは違う。ソーシャルハウスを利用したければ心身ともに元気、健康でなければならない。
 アパートの形態が変わってくるのも、みな知恵を絞っているからだ。今社会に求められるサービス業というのはこういうものだと思う。



株価下落が続いている

2018年02月09日 | 社会・経済・政治
 株価が下落している。機関投資家は一喜一憂するのが仕事だから、リスク回避、資金移動などと手際よく頭を働かせているのだろう。個人投資家は泰然としているものと慌てるものに分かれるのだろう。株価は株を持っている一部の人の道楽である。本当の投資家というのは上場もしていない会社を応援し、発展してもらおうというのが健全な株主だと僕は考えている。会社が株式市場に上場してから何を応援するというのか。上がったら売る。いわば不労所得である。

 経済の話は打ち切った、というところで、株価下落というニュースが入ってきた。なので、また書きたい。

 株で潤う人はほんの少数である。株価が上昇すると経済は良い、などと言い、トリクルダウンもあると言う人もいるが実体経済経済成長ほぼゼロという中で株価上昇というのはなんとも奇妙である。日銀と年金機構が日本株を買い、高値を維持してきた。いつ日銀と年金機構は株を現金に換えるのだろう。このタイミングが難しい。膨大に増える国債をいつから売りに回るのだろう。投資家はじっと見ている。朝日新聞の今日のコラムでもそろそろ出口戦略を探る時期にきているのではないかとコラムニストは書いていた。

 ぼくに言わせれば、それは難題である。ほとんど金融政策は手をうってきて、もう打つ手がなくなっている。日銀の総裁の言葉で「憶測」を呼ぶ。
 アメリカの長期国債の金利が上がるのではないかという「憶測」がアメリカ市場の株価を下げた。すると日本、世界各国の株価が下がった。次の日は様子見だったが、また今日になって下がっている。「憶測」だけでこんなに反応するものかと驚くが、アメリカの実体経済は堅調だから、むしろ過熱気味だった株式市場は冷静なほうに向かっているのかもしれない。それに比べ、日本は実体経済がよろしくない。企業の利益は生産性を上げての利益ではない。為替差益や海外への投資による利益である。しかも日銀と年金で維持されて、上昇してきた。日銀が撤退すれば、投資家もリスク回避をするのが手にとるようにわかる。

 任期を終えようとしている日銀の岩田規久男副総裁は「2年で物価上昇率2%達成できなかったら辞任する」と言っていたが、彼はまだ辞任していない。折り込み済みだった消費税のせいにしている。黒田総裁も辞任するのか続投するのか、頭の痛いところだろう。神経をすり減らす舵取りが連日となる。一度ガラガラポンに内心はしたいことだろう。ガラガラポンとは国民の貯金で借金を返してしまうことをいう。当然国民の貯金はなくなる。その代わり国民の借金もチャラになる。それが終わればまた戦後のようなV字回復となる。日本はギリギリのところにいる。高橋洋一は暢気なことを言っているが、高橋の理屈を信じれば、早々に換金可能な資産を今から売るしかない。資産があるからと言って、それを売るのは国民の痛み後のことに思える。これについて高橋は言わない。芸能人から転じた司会者がなにもわからず高橋のいうことにうなづく。

 消費資本主義の限界が見え始めている。格差を生むばかりの市場原理主義は終わろうとしているのではないか。

遺伝子と記憶

2018年02月08日 | 文学 思想
 「私は遺伝子と環境で出来上がる」という行動遺伝子学の説がある。この定義を証明するために幾つももの研究がある。そのひとつに「一卵性双生児」の研究がある。顔がほぼ同じだというのは遺伝子。齢を重ねるにつれて二人は徐々に性格も異なってくるのは環境が原因だと、ぼくの言葉で大雑把に言えばそうなる。
 ぼくはよくわからないが、人間の遺伝子は石器時代から変化はしていないと思う。突然変異で遺伝子の配列が癌のような病気を起こすことがあるが、という前提付きである。

 受精の瞬間に、母・父各50%の遺伝子が「私に組み込まれる」ことになるがそれは誰も拒否できるものではない。いわば決定論のようなものだ。
 ぼくは違う考え方をしている。
 受精を経て、母から子へ伝わるのは遺伝子もあるが、人類の誕生、霊長類の誕生、哺乳類の誕生、鳥類、爬虫類、両生類、魚類、植物と動物への分岐点、そしてそれ以前の記憶、つまりこれまでの記憶が伝わっていくのではないかと考えている。もちろん証明できるわけではないが、「遺伝子絶対説」より、この記憶説(ぼくはそう呼ぶ)のほうがすんなりと腑に落ちる。サヴァン症候群はその記憶のいくつもある扉のひとつ、ふたつが開いてしまったから起こると考えると納得できるような気がする。

 天才的な音楽家が誕生するまで三世代かかると聞いたことがある。三世代の間に遺伝子が変化したのではない。記憶を作る脳に音楽の経験や知識などの記憶をため込んでおく場所があり、さらに努力をして腕前が上がることになるのではないか。と言ってもヒトという物の限界点があるだろう。
 卓球の愛ちゃんの子供は三代目になると思うが。愛ちゃんが卓球選手に自分と同じように教えたとすれば、きっと愛ちゃんを凌ぐものと思う。
 しかしながら親に意よりも友人仲間のような集団や個人的な友達のほうに傾いていくように人間はなっている。親から離れていくわけである。人間はそのように設計されているとは思う。これは遺伝子である。だから愛ちゃんの子供は潜在能力として卓球の才能を持ちながら、それを使わない可能性もある。

 もちろんこの記憶をため込む脳の部屋もヒト遺伝子が作っている。それはヒトは必ず持っているものである。その部屋の大きさはどれほどのものかわからないが、ギガやデラよりも大きいものなのだろう。
 ぼくの父は本を読んでいた。本棚に小説などがあったからきっと読んでいたのだろう。ぼくは中学三年生から小説などを読むようになった。おそらくぼくの息子はぼくの記憶をもって生まれている。そして読書をすることに入りやすい礎があったのではないか、そんなことをある時期に思ったことがある。
 
 「遺伝子」を重視すればとんでもない優生思想を生んでしまうことにもなりえる。「記憶」というキーワードでは世界に分布する人間を歴史的段階としてとらえることができるし、悪人の子は悪人という考え方を排除することができる。運動神経の悪い親の子は運動神経の悪い子どもができる、という考え方も排除できる。

橘 玲(たちばなあきら)の「言ってはいけない残酷な真実(新潮新書)」を読んで、異を唱えてみたくなった。
  

老年的超越

2018年02月07日 | 文学 思想
 老年的超越とはスウェーデンの社会学者が唱えた言葉である。物質主義的、合理的な世界観から宇宙的、超越的世界観への変化。死の恐怖が薄らいだり、他者を重んじる気持ちが高まったりする状態でもあるという。一人でいてもさほど孤独を感じず、できることが減っても悔やまないようになり、周囲への感謝の気持ちが高まりやすいという。「成功」や「達成感」を重視する若い頃と穏やかな幸福感を感じる・・・・。
 以上は本日2月7日付けの朝日新聞の朝刊で読んだ記事の要旨である。

 ハタ、ともうすぐ93歳になる母親はこれではないか、と思い当たることが多々ある。交通事故、転倒事故での入院をし、命を長らえて、今は一人住まいをしている。性格は穏やかになり、感謝の気持ちも述べる。寂しがったりしない。一日中椅子に座って、テレビを見たり、ふと気がついたものを探してみたり、 週3回のデイ・サービスにもきちんと行く。お金の欲もなければ、為すべきことはなにかなどと考えない。古きこと、古き癖は憶えていて、新しい物の操作はできない。文字も読めるはずだができない。マグカップの方が便利だろうと買ってきても相変わらず昔なじみに湯飲み茶わんを使い、マグカップが定着するまで相当の日数がかかる。
 思えばうまく上手に歳を重ねてきたのではないかと思う。気の強い女であった。しかし薬好きなところはやけに神経質であった。
 睡眠導入剤がないと眠れず、ないと騒いでいたのが、5年前。それもなくなった。薬の管理はできず、毎日の分を指示して渡すという格好だ。
 マグロが美味しかったと言ったので、三日後にまたマグロを買ってくると、「珍しんな」と前に食べたことを忘れているので、ぼくも都合がよい。
 その日、その日がぼんやりと緩やかに過ぎていくようで、これは「老年的超越」以外のなにものでもないと思うのである。
 ぼくは『死は自分では経験できない』と言葉で考えてきた。母親はまさに宇宙に漂うように死に向かっているのだろうが、人生でいつが幸せだったか」と聞いてみたい気がする。「今」とか言うのかもしれないなあ、と思うとゾクッとする。聞こうか、聞こまいか、考えてしまう。 

小泉今日子の筆力

2018年02月06日 | 社会・経済・政治
 小泉今日子は文がうまい。以前、彼女は本の書評を新聞に載せていた。今、テレビワイドショーを騒がせているので、便乗すると、不倫で騒ぐ芸能ニュースを見て、我が身にも及ぶと考えたことだろう。だったら、先に公表してしまえ、コマーシャル価値が下がろうと、そんなことはどうってことがない。事務所に迷惑もかけるだろうから、それもやめちゃえ、と考えたのだろうと推測する。
 こんなことは推測してもしかたのないことだが、彼女はペン一本でも生きていける力量と知名度を持っている。別に芸能界にいる必要もないだろう。懐メロ歌手であるわけでもない。
 書評をするくらいの力があれば、彼女のエッセイや旅行記など読んでみたい。

 文春砲の不倫報道もそろそろ飽きられるかもしれない。小室哲哉に引退の契機を与え、小泉今日子みは先手を打たれた。2018年から2020年のオリンピックまでは呑気に不倫騒動を起こしてもいいかもしれないが、その後は週刊誌も買わなくなる時代が来たりして。それは新聞を批判する媒体が減ることだから歓迎しないけど、ネットを使えない人が徐々に退場を始めているから、全体的週刊誌も新聞紙も部数を減らしていうことは確実だ。人の不倫を餌にして稼ぐ人も、自分のやるせなさから抜け出すことも考えるだろう。いつまでもよい大人がやっておれるものではないだろう。
 

カード決済の不思議

2018年02月06日 | 社会・経済・政治
 ほぼ毎日イオンで買い物をしている。ワオンカード、イオンカードとあって、時にイオンカードを使えばポント5倍とか、ビールの割引券とかがレジから出て来る。毎日の買い物は好んでする。どれがどのくらいの価格か知っておきたい気分もある。

 新聞を見ると、イオン銀行が好調だという。どうしてイオンカードを使えばイオン銀行は利益になるのか、その「からくり」がわからなかった。そして今ようやく経済の勉強をしていてわかったのだった。
 キャッシュレスであるということは日銀のイオンの当座準備金の数字が増える。すると日銀はその準備金に利息を払わなければならない。その利ザヤが儲けなのである。あるいおはイオン銀行は国債市場で、
額面より安く買うチャンスがあるかもしれない。マイナス金利であっても金利を払うのは年に一回だから、買って、有利な時に売ってしまえばよい。その他にも外貨の為替差益や国債金利、投資信託などもあろうが、おおよそ、現金を集めるのではなくて、数字を動かすだけの商売をしているというわけである。

 銀行は概ねその商売だが、集め方は各家を訪問し、お金を預けてもらう営業をする。イオンの場合は、各家を訪問営業するのではなく、買い物によってお金を集めるわけだ。
 金融の自由化というのは、そういうこともできるということだったのか、と恥ずかしながら最近知ったのだった。それで、ワオンだ、スイカだ、セブン銀行だ、楽天銀行だ、といろいろな銀行やカードが誕生する。

 それで、目下の懸念は「日銀が債務超過」になってしまうのではないかという恐れである。国債を異常に日銀は銀行などから買っている。それが日銀の準備金にまわる。日銀は利息を払わなければならない。銀行はいつも「利回り」を気にしているからである。

 経済の話は終える予定であったが、今日はイオンがなぜカードを勧めるのかの謎がわかったので書いておいた。日本のキャッシュレス化は20%もいっていない。中国も韓国も50%であった。アメリカでは小切手、カードが大半を占めている。キャッシュレス化はますます進むのだろうが、日本は日銀も銀行も危ういところに来ている。

 根本は「消費が活発」にならないからだ。買う物もそれほどない飽和状態だからだ。なのに日銀には利息を払わなければならないお金がじゃぶじゃぶとある。もう400兆円くらいになっているかもしれない。これって、全くの異次元緩和である。それだけお金を用意しているのに、銀行は貸し出す先がないというわけである。

佐川長官のことでデモがあるらしい

2018年02月05日 | 社会・経済・政治
 今日は尾鷲の奇祭「ヤーヤ祭」の最終日である。ヤーヤ祭が過ぎると春が一気にやって来るのがこの地方の気候である。梅の花が咲き始めている。庭の木瓜の花も芽を出してきて楽しみにしている。今年はもう少し庭のデザインをやろう、と思い始めた。

 花粉の季節もくる。ぼくは花粉症ではないが、花粉症の人はたいへんである。杉や桧の花粉でどれだけの薬やマスクが必要か。なのに、森林環境税が導入された。もしぼくが花粉症だったら絶対に抗議したいところだ。人工林が花粉を撒き散らすのを守ろうとする税金である。自然林にしてくれればよいが、森林環境税をどう使うのかもっと知りたいものだ。本当はこれは公害であり、山の持ち主が慰謝料を払わなければならないものだ。大迷惑である。昔欲をこいて山を買い、値が下がると手入れをせず放っておく、そんな山主も多い。
 戦後、農地開放は進駐軍によってなされたが、森林は旧来のまま残った。尾鷲の山のほとんどが人工林で、秋も冬も色が変わらない。もともと照葉樹林の地域だから、色が変わらないのもしかたがないのであるが、杉や桧の山ばかりみているとなんとも不愉快である。まして、林業への補助金、それになにか公共の建築物でも建設されるとなれば、地元材を使えと喧しい。慰謝代を払う意思などあろうはずもない。
 文句を言わない日本人。それが2月16日だったか、「佐川国税庁長官辞めろ」のデモが東京であるらしい。それはそうだろう。彼がいれば税務署が入って来たとき、資料提出を立派に拒むことができる。税務署職員を助けるためのデモなのだろうか。単に、嘘つき佐川は許せん、というものだろうか。どちらにしても、ぼくだったら、資料提出は一切しないだろう。

 今夜はマイナス2度になるという。金魚、メダカたちの最後の試練となることだろう。三宅さんところの金魚が弱りきっていて、逆さまになってふらふらしている。せめて水槽に蓋でもしてあげればと生意気にも助言したのだった。


オデッセイ

2018年02月04日 | 映画
  「オデッセイ」という2015年制作のアメリカ映画をみた。たいへん面白かった。何がかというと、火星に取り残された男と、それを救うというストーリーの中で、生き延びるにも、救うにも、「知力」がいるということだ。そしてその知力を活かすも殺すのも「胆力」が必要だっということだ。火星や宇宙空間での制限されたところでの人間の動き方にも気をとられたが、つまるとことろ作者は「知識に基づいた知力を駆使する人間」と「危機のときに知力をつかった勇気を出す人間」
これが人間なんだ、どうだ、と言っているような気がする。さすがアカデミー賞作品賞などその年の数々の映画賞を総なめにした傑作であった。
 主役のマット・デーモンにも敬意を表する。火星で生き残るための食糧を自分で栽培し、うまくいぅのだが、不慮の事故で瞬時に凍り、死滅してしまう。アクション映画にも出る彼はそれ相応の筋肉があぅた。火星を脱出うる時の彼は信じられないほどの痩せ方であった。この妥協のなさも、苦しかったろうと思わせるとともに、役への執念も感じる。急激に痩せることになひとつよいことはない。あえてそこまでするのは彼がまだギリギリ若く、肉体を取り戻せる自信もあるからなのだろう。
 2年ほど前になぜこんな映画を観なかったのか、と不思議に思う。アンテナは高くしているつもりである。別のことに気をとられていたのだろう。それは何だったのか思い出せない。

  

貴乃花

2018年02月03日 | 日記
例えば、今回お相撲協会の理事立候補選挙で、投票方法が○をうつだけの無記名投票から、筆跡が残る投票方法に変わったことについて、ぼくなどはそんなバカな、と思うが、NHKとTBSは一切報じなかった。テレビ朝日は報じていた。
 今回の騒動で最も重い責任を負うの八角理事長と伊勢ヶ浜理事のはずだ。警察からの連絡がありながら、見過ごすようにして日馬富士を出場させた。貴乃花の文書によると、なんども揉み消しをはかられたというような記載がある。
 被害者側が責められるもだから、たまったものではないだろう。票をもつ年寄にも後援会あたりから圧力もかかったことだろう。
 なんともどうしようもない公益財団法人である。NHKの傘下団体と皮肉りたくなる。

 自分を利するほうに感情はながれる。自分はそうでないといわないが、まざまざと相撲界を通じてみせられると、この日本のどの分野においても大胆な改革ができるのだろうか、と思えてくる。 
 貴乃花はすでに四人の関取を育てた。実績が出始めたときの暴行事件であった。それでも、双子兄弟の貴源治、貴公俊、それに貴景勝がいて、有望な貴ノ岩がいる。弟子たちを一人でも多く関取にさせるのが親方の仕事である。新弟子希望者が減る一方で、貴乃花一門に優秀な新人が集まってくることも期待できるだろう。阿武松部屋では阿武咲が育ち、錣山部屋では阿炎が育っている。切磋琢磨は親方連中にも言えるのである。
 からだdsけがでかいうすら鈍い若者だけが入ってくる大相撲になってしまう可能性もある。様々スポーツを見る機会も増えている。相撲を選んでもらえるか、それが一番の大事だと思う。
 

英語のヒアリング力のつけ方

2018年02月02日 | 社会・経済・政治
 昨日、岡田さんと居酒屋でちょっと英語の話になったので、久しぶりに英語のことを書いて見る。

これは小学生や中学生の子供を持つ親や学校、塾の日本人教師、それに補助をする英語圏人に読んでいただきたい内容である。小学校に英語授業が導入され、中学受験でも今年は英語も受験科目としているところが増えた。大学受験においてもトッフルや英検が採用されるようである。

 英語のヒアリングを不得意とする人は多い。言語を喋るということは乳幼時期に母が語り、両親が話す、外から聞こえてくる音をしっかり聴いて、いわばコップにヒアリングの水が溜まり、やがてコップから発する言葉となって現れる現象である。

 ヒアリング力を能率的、合理的に身につける方法がある。英語圏人の先生がやるのはもちろん望ましい。しかし、英語圏人だからと言って、英語指導法のプロかと言えば、もちろんプロではなく素人である。英語圏人を雇用する側は、彼らをうまく使えているとは思えない。逆を考えればわかる。われわれ日本人が能率的に誰もが教えられるかと問えばすぐにわかることだ。英語圏人は教授法を知っているのではない。ネイティブスピーカーだから教えるのは上手とは言えないのである。

 またヒアリング力を身につける手っ取り早い方法は「身体を通す」ことである。Stand up.と意味を教えず、なんども言い、立つように促す手振りでもしてあげれば、生徒は Stand up.は「立て」ということなのかと思う。立ってみると先生は Good boy. とか言って褒めてくれる。次に Look to the side. と先生が呼び掛けても子供はチンプンカンプンであるが、何度もやり、先生が模範を示すと、生徒はようやくわかりそれがわかる。

 身体を通してヒアリング力をつけていくのには、二つの大きな意味がある。それは直接的な動機である。教科書に書かれたものは他人事である。ところが Stand up. と言われ、Look to the side. と言われるのは直接的である。自分事なのである。初めの頃の言語は直接的から始めないとならない。これがぼくの意見であり、かねてからの主張であった。

 英語圏人を雇い始めたとき、彼らをどう使うかと考えた時に、ぼくにはこのメソッドをマニュアル化し、系統立てて、英語圏人が教える必須のこととした。外国人導入時に日本人が反乱を起こしたが、この方法が名古屋圏にも広がっていった。もう25年程前の話だ。Total Phisical Response (TPR)というメソッドであり、現在の小学校で僕が作ったものと同じものでなくても導入された方がよいと思う。

 もうひとつ根本的な初期英語指導法がある。それはフォニックスである。Aa を「ェア」と音素で読ませる方法である。Aa と「エイ」と読ませてしまったら子供はわけのわからない穴に落ちてしまう。
 日本語のひらがなやカタカナは 音素が文字になっているから、Aaを「エイ」と習ってしまえば。
Apple はなぜ 「エイ・ピー・ピー・エル・イー」と読まないのか、という不思議さの中に入ってしまう。ここのところで、その疑問を言葉にできない子供は「わかりにくさ」を覚え、英語はとりあえず、なんでもかんでも読み方、スペル、意味、アクセントまで丸暗記するものだ、と理解してしまう。アルファベットをまず音素で覚えてもらう。それを組み合わせると3文字の単語が読めるようになる。それからアルファベットのAa の音は「ェア」であり、その名前は「エイ」であると教える。そして単語の中には名前読みするものもあることを教えるのである。エイと読む印は最後にe がついているときだ、と教える。map - make tap- tape となるわけだ。すると make lake take などが読める。このアルファベットの法則も小学生の時に教えられるべきである。アメリカではとうの昔から行われていたが、日本はこの頃になって広まってきた。まだ「A」を見て「エイ」と言ってるようではそれは古い教え方をされていると言っていいだろう。

最後に、日本語と英語の違いをわかりやすく意識させることだ。
 This is Taro's shirt.
これは太郎君のシャツです。

 ここからどれだけ日本語と英語の違いを見出し得るか。この腕は教師にかかっている。教師は「単語」という言葉を平気で使うが、「単語」という言葉は英語をなら初めて体験する言葉である。

興味ある方は小学生や中学生をもつお母さん方や、学校や塾の先生にこんなのあるよ、と伝えていただければ嬉しい。英語教育界の古い体質ではだめなのだから。

*TPRの台本が部屋の奥から出てきたので、中身を点検してみた。今でも上等に使える。No.1 と No.2 があり、No.1 は文法的には中学内容、No.2 は文法的には高校内容である。いつでも欲しい方にはコピー代さえいただければ差し上げる。
*フォニックスについては「こども英語 ナルニア」の中の「ペンギン先生の英語がよくわかる話」に寄稿高している。日本語と英語の違いも、長い文を作っていく方法も書いてある。こちら。




月と地震とウィルスと

2018年02月01日 | 社会・経済・政治
 29日の深夜 Google のニュースを見ていたら、1月31日、スーパー・ブルー・ブラッドムーンと呼ばれる皆既日食の影響で関東直下型地震が起きるという配信があった。筆者は誰だったか忘れたが、朝になるとそのニュースは画面にはもうなかった。不気味なことだ、これをこどもたち連絡しておこうか、と思ったが、情報の出所確信がなかったもで言わないことにした。言ったところでどうにもなるものでもない。そしてそのことは忘れてしまっていた。31日の夜のニュースは赤みを帯びた満月がテレビ画面に映し出されていた。地震は起こらなかった。地震学者が自信を持って、地震は予知できない、と明言していたのを思い出した。あれから地震予知科学は進んでいるのだろうか。

 癌の「ウィルス治療法」の治験が進んでいるらしい。末期の脳腫瘍の患者を治験したところ、4割の人が良くなっている。研究者はこれを末期癌ではなく、初期の癌に使いたいそうだが、抗がん剤や放射線に代わるものとしてあと2年ほどかかるという。抗がん剤と放射線で免疫力が弱りきった末期癌での治験だから、抗がん剤を使ったあとの治験ではなく、初期段階からウィルス療法治験をすぐにでもやらせればいいではないか、と歯痒く思うのだった。なぜ2年もかかるのか理由が判然としなかった。日本はこの分野でも既得権益団体がおり、何事もスピード感をもってやれないのは日本病のようになっている。医学の分野は様々な病気にたいする療法が進んでいる。行政や政治の側がついていけず、後手後手となることもある。

 もしもぼくが膵臓癌になったら、新しい治療法を探し、治験者募集をしていないか探すことだろう。行動を起こさないと良い縁に届かないことだってある。
 医療費が今後ますます上がっていくと言われている。抗がん剤だけでも業者はどれほど売り上げるもだろう。増える医療費を税負担だけで減らすのではなく、医療改革で下げることも必要である。なのに、医師の報酬を上げて、薬剤を下げた。薬剤の団体のほうが弱いのかもしれない。そんな風に思わせるのも日本病デアルカ?