25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

21年はすぐ、しかし十分な成長をする期間

2019年12月05日 | 日記
岡田さんが「キャサリーン ヘップパーンやで。エルミー これは絶対採用やな」
ぼくもその時面接に同席していたのだと思うがその時のことは覚えていない。岡田さんはしっかり覚えていそうだから今度聞いてみよう。エルミーは南アフリカからやってきた。親はダチョウを飼育する農場を経営していた。エルミーの夫となったサイモンはイギリスからやってきた。斜陽の国イギリスからやってきたのだが、サッチャー政権となり、若者にフラットや家を持て、と奨励政策をした。サイモンはそれに乗ってフラットを買い、そこで家賃をもらい、自分は日本に稼ぎに来た。たぶんローンを組んでいたと思う。借家人が何かの事情ででていくと、次の人を見つけるのにちょっとイライラして不動産会社に電話しているのを見たことがある。サイモン、エルミー、パトリシア、ブルースなどなど会社の寮で共同生活をしていた。
 彼らは十分に尾鷲を楽しんだと思う。もう4月になると魚飛び溪の川で泳いでいたから白人というのはどんな体温を持っているのか、不思議だった。4月の川の水は冷たくてしかたがない。
 尾鷲の人たちも白人には珍しいこともあってか、白人には弱いのか、兎に角過剰に親切でもあった。
 彼女、彼らの仕事は「英語を教えること」「英語の録音」などであった。

 当時の日本は円高で、アメリカ人でさえも働きに来ていたから円は魅力だったのだと思う。

 エルミーが帰ってしまってからサイモンは元気がなくなった。サイモンが片思いしていたのだ。サイモンが助手をするセミナーの帰り、温泉に行ったとき、彼の落胆さを見かねて、「おい、サイモン、南アフリカに行って来いよ。はっきり告白して、結婚の約束でも取り付けて来いよ。休んでもいいから」と励ました。サイモンの行動は速かった。すぐにチケットの手配をして翌週には南アフリカに飛んで行った。そして明るい顔をして帰ってきた。翌年二人は結婚し、しばらくしてからまた「働かせてくれないか」とやってきた。尾鷲に空きはなかったので、名古屋でだったらいいよ、と言って、二人はOKしたので、二人は名古屋で働いた。当時南アフリカはアパルトヘイトが廃止されて、マンデラ大統領が登場した時期だった。まだまだ南アフリカの経済は弱く、円とは比較にならないレートだった。二人で一年稼げば、サイモンが南アフリカで事業をするにも大いに役立ったことだろう。
 エルミーはその後三人の子を産み、育て。サイモンの不動産事業は成功した。

 先日、サイモンから家族一家の写真が2枚送ってきた。長女も21歳になった。それが女優以上に美しい。長男、次男もいい高校生そうである。確かエルミーは出自はオランダだった。サイモンはイギリス。なんとまぶしいくらいの家族を作っている。3月末に5人が来るので楽しみにしている。もうじき子供たちもみな大人になる。



最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (オカダ)
2019-12-06 10:04:57
エルミーの面接時のことはよく覚えています。
新宿は今は無き「談話室」でほぼ一日がかりでやりました
ちなみにエルミーは「キャサリン・ロス」にそっくりで当時の榎本社長の意向通りの女性が現れほんと驚きました。
即採用で雑談ばかりしてましたね。
後はめちゃハンサムでまるで「アラン・ドロン」みたいな男もやってくるし地元で抜群の人気になるのは間違いないしこれには迷いましたがやっぱりエルミーに決めましたけどね。

返信する

コメントを投稿