25時間目  日々を哲学する

著者 本木周一 小説、詩、音楽 映画、ドラマ、経済、日々を哲学する

夢で疲れる

2016年10月08日 | 日記

 夢を見て疲れてしまったのか、午前中ずっと眠たかった。椅子に座ってウツラウツラしてしまった。歯を磨き、髭をそり、顔を洗うと通常はシャンとして気持ちのモードが替わるのだが、土曜日はそれもいつになってもせず、夢の内容が思いだされ、嫌な夢だった(人が自殺しようとするところの夢だった)から熟睡感がないのだろう。

 家の中にいるとダラダラするので、外へ出る。マックあたりがよい。子供も学生も大人もいろいろいるからその様子を見ているだけで社会性のモードに切り替わる。

 この頃は女子高生の座り姿勢も自由奔放である。足を投げだすもの、体育座りしているもの。家庭や個人部屋でしているのと同じ格好をする。そこには家庭と社会の境界線は「無い」ように思われる。

 腰がほぼ90度に曲がったお爺さんがやってきて、カバンにいろいろとぶら下げている物入れから新聞を取り出し、日経新聞を読み始めた。昔日経新聞の一番裏の「文化」欄に僕のエッセイが載ったことがある。そんなことを思い出して、スマホで自分のブログをチェックしていたら、自分が書いてきた文のランキングがあった。こんなのを見るのは初めてのことで、10位に2014年に書いた「九州場所の女」があり、9位にこれも2014年に書いた「ウィスキーとほろほろ鳥」があった。懐かしい文で、自分で読んでいて、可笑しかった。沖縄にも最近行ってないなあ、東京に出向くのもなんだか億劫になってきたなあ、などと思った。

 夕飯を何にしようかと思っていたら、イオンで「北海道展」があり、北海道の花咲カニを使った寿司があった。

 ガレージの柱の錆を落とし、ペンキで白く塗ってしまいたいものだと思いながら、母の必要品を渡しに実家に赴いた。母はテレビを見るしかなく、じっと座っている。じっと座っているだけでもえらいもんだと思う。僕なんかは、ズルズルと尻が座ってしまい、そうち頬杖をついてしまう。なんだか、気合の入らない日であった。天気のせいなのだろうか。月のせいなのだろうか。自分の神経や内臓のせいなのだろうか。そんな日であった。