今日もテクテク散歩…

―月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也―
                              芭蕉

山頭火と村上市

2006-04-02 | Weblog
先日、村上の『町屋の人形さま巡り』を楽しんでいる時、意外なものを目にした。
写真の「山頭火」の句碑である。はて?村上と山頭火はどんな関係があるだろう。句碑には

水音がねむらせない おもひでが それから それへ   山頭火

と刻まれているが、この「水音がねむらせない…」とは村上のどこを詠んだのだろうか。。しかし句碑解説でわかったことだが山頭火は昭和11年6月に芭蕉の「奥の細道」を逆行するように越後から東北行乞の旅をしている。その折越後を訪ねる
途中に立ち寄った群馬・万座温泉でしたためたのがこの句だと言われている。6月といえば梅雨の季節である。水音とは雨が滴る音なのだろうか。雨音を聞いているうちにぼんやりながら思い出が次から次と胸中に飛来するのだろうか。わびしさが漂う句だ。群馬・万座温泉でしたためた句がなぜ村上の地に句碑として残るのか
(本来は万座温泉あたりに建立される句碑?)と疑問に思ったが案外深い意味はなさそうだ。昭和11年6月8日に村上に到着した山頭火は翌日村上の自由律俳人の
浅見訽二宅で開いた句会に提出した句が、「水音がねむらせない…」であった。
いわば発表の地が村上だったのである。
昨年(平成17年)は山頭火の句碑建立十周年を記念して「全国俳句大会」を催すぐらい村上は熱かった!
山頭火の句碑は津々浦々かなり建立されているという。根強いファンが多いのだろう。

自由律俳句は5・7・5など定型にこだわらない俳句だが、そのものはコピー文的というか散文詩的というか、自由律俳句とはそう理解した方が分かりやすいと
思うのだが…。

山頭火の生き様は生い立ちに関係するのだろうが暗い影を落としている。漂白の俳人とか放浪の俳人といわれる所以であり、それはそれで人の心に何かを語りかけてくるような句になるのだろう。

分け入っても 分け入っても 青い山  山頭火