今日もテクテク散歩…

―月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也―
                              芭蕉

四月は花づくし…

2006-04-21 | Weblog
花の山で知られる角田山の麓に上堰潟公園がある。

春は桜・6haの菜の花のじゅうたん・夏はヒマワリ・秋はコスモスと四季折々の花々が26haの公園に咲き誇ります。曲がり々の結構長い木橋をウォークしながらいろいろな水草や水生昆虫も楽しめる。また、夏・都会には絶対見れない珍しいトンボも見れるのが嬉しい。

訪れた日、菜の花畑が広がり、桜もすっかり満開。菜の花と桜の二重奏。そこに花の宝庫・角田山とくれば絶好の被写体になる。

角田山から流れてくる水を堰きとめ人工的に整備された公園とはいえ地元は“自然公園”とよんでいる。それもそのはず越後平野のど真ん中に自然が作る公園だからだ。

春爛漫

2006-04-17 | Weblog
♪春は名のみの 風の寒さや…♪4月の半ば過ぎ新潟も11日に桜の開花宣言しました。17日の新潟県立鳥屋野潟公園の桜も満開です。満開の桜の下で開くお弁当はまた格別。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』の書き出しに《桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと…中略…これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。……》と昔は桜は怖ろしいものだといい、さらに満開の桜は《桜の森の満開の下の秘密は誰にも分りません。…中略…頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした》と安吾は桜を謎めいた花にしたのでした。
満開の桜も坂口安吾によれば虚空=孤独に見えるらしい。

やっぱり桜は日本を代表する花だ。遠くから眺める桜の森は美しいし、ひとつひとつの花びらは実に可憐だ。散り際のいい(?)桜吹雪も絵になる。

さて満開の桜を愛でながら花見酒しますか。花より団子。

五泉の水芭蕉

2006-04-10 | Weblog
五泉市の名峰・菅名岳の麓に水芭蕉が可憐に群生していました。
「水芭蕉公園」の水芭蕉はもともと菅名岳の麓の湿原に自生していたのを誰でも散策できるよう木道を(水芭蕉の花を守るため?)設置・整備して平成8年に開園した。その数三万株もあり目を楽しませてくれる。

「水芭蕉」の名前の由来はバショウの花に似ていることから付けられた。また、真っ白な花びらのように見えるのは実は花を守る役割をする「仏炎苞」(ぶつえんほう)といわれ,本当の花は中心部の黄色いところについていると調べでわかった。
「仏炎苞」=広辞苑を引くと〔肉穂花序をつつむ大形の総苞〕とある。
それにしても仏炎苞とは面白い漢字で書くものだ。
直訳すると“仏の白い炎につつまれて”とはちょっと無理勝手な解釈?
分かりやすく言うと純白の花に見えるが仏炎苞は葉に変形して花を包んでいる。

まぁーあまり深く考えず可憐・清楚の気持ちで観賞すると身も心も洗われる。
桜の開花ももうそこまで、越後にも春がやってきた。

花の山・角田山

2006-04-07 | Weblog
先日(6日)カタクリの花や雪割り草など山野草で有名な角田山に登った。
角田山は公式の登山ルートというか一応7コースが紹介されている。7コース以外のひとつに桜尾根コースがある。春の息吹の季節ともなると平日でも駐車困難を極めるコースだ。遠くは関東はじめ全国から新幹線・在来線・タクシーを乗り継いでくるほどの人気の花の山だ。
登った日も平日なのに登山道入り口の駐車場はどうやってお互いの車を出すんだろうくらいギューギュー満車であった。どこに停めようとうろうろしていたらタクシーで乗り付けたハイカーが来た。年配のご婦人のグループだ。きっと花を求めての山行だろう。こちらも少々余分に歩くが海岸寄り、浜茶屋(関東では海の家と言うそうだ)近くの駐車場に車を置いて登山開始。
この桜尾根コースのすぐ隣に灯台コース(7コースのひとつ)がある。ここは日本海の波打ち際(海抜ゼロ㍍)から登山開始する珍しいコースであり、7コース中難易度が一番高い。雪割り草が芽吹く春ともなると山野草を楽しみながら桜尾根コースから登り~灯台コースで下山する人気のコースだ。
桜尾根コース最初の急登を過ぎる頃からカタクリの群生がはじまる。その前にたくさんの可憐な雪割り草が出迎えてくれる。カメラを構えた山野草愛好家が立ち止まるゾーンだ。さらに進むと笹の間を歩く。前日降った雨で泥濘ができ足を取られやすい。笹を過ぎ、しばらく歩くと尾根伝いに出る。ここからの両斜面は紫のじゅうたんを敷き詰めたような目も覚めるカタクリの群生に出会う。ここから灯台・浦浜・五ヶ浜の3コース登山道合流地点まで圧巻・可憐・感嘆の連続だ。途中、年配の方が「このコースで二年前に白いカタクリに出会ったが、今年はまだ見ないなー」と教えてくれる。白いカタクリとの出会いは探して見つかるものでもないし見つからなかった。この桜尾根コースで白いカタクリの写真を掲載したHPを見つけた。アドレスは

http://www.hamayuu.biz/ 角田さんのページにリンク ホワイトヒルはまゆう

頂上に着くと大勢のハイカーで賑わっていた。ツァー登山の団体さんも。
この時期花の名所・角田山にツァーでやってくる。

山頭火と村上市

2006-04-02 | Weblog
先日、村上の『町屋の人形さま巡り』を楽しんでいる時、意外なものを目にした。
写真の「山頭火」の句碑である。はて?村上と山頭火はどんな関係があるだろう。句碑には

水音がねむらせない おもひでが それから それへ   山頭火

と刻まれているが、この「水音がねむらせない…」とは村上のどこを詠んだのだろうか。。しかし句碑解説でわかったことだが山頭火は昭和11年6月に芭蕉の「奥の細道」を逆行するように越後から東北行乞の旅をしている。その折越後を訪ねる
途中に立ち寄った群馬・万座温泉でしたためたのがこの句だと言われている。6月といえば梅雨の季節である。水音とは雨が滴る音なのだろうか。雨音を聞いているうちにぼんやりながら思い出が次から次と胸中に飛来するのだろうか。わびしさが漂う句だ。群馬・万座温泉でしたためた句がなぜ村上の地に句碑として残るのか
(本来は万座温泉あたりに建立される句碑?)と疑問に思ったが案外深い意味はなさそうだ。昭和11年6月8日に村上に到着した山頭火は翌日村上の自由律俳人の
浅見訽二宅で開いた句会に提出した句が、「水音がねむらせない…」であった。
いわば発表の地が村上だったのである。
昨年(平成17年)は山頭火の句碑建立十周年を記念して「全国俳句大会」を催すぐらい村上は熱かった!
山頭火の句碑は津々浦々かなり建立されているという。根強いファンが多いのだろう。

自由律俳句は5・7・5など定型にこだわらない俳句だが、そのものはコピー文的というか散文詩的というか、自由律俳句とはそう理解した方が分かりやすいと
思うのだが…。

山頭火の生き様は生い立ちに関係するのだろうが暗い影を落としている。漂白の俳人とか放浪の俳人といわれる所以であり、それはそれで人の心に何かを語りかけてくるような句になるのだろう。

分け入っても 分け入っても 青い山  山頭火