今日もテクテク散歩…

―月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也―
                              芭蕉

しばらく休載

2006-07-15 | Weblog
http://enfuji-i.spaces.live.com/ 

へ一時移転します。
お立ち寄りください。


四月は花づくし…

2006-04-21 | Weblog
花の山で知られる角田山の麓に上堰潟公園がある。

春は桜・6haの菜の花のじゅうたん・夏はヒマワリ・秋はコスモスと四季折々の花々が26haの公園に咲き誇ります。曲がり々の結構長い木橋をウォークしながらいろいろな水草や水生昆虫も楽しめる。また、夏・都会には絶対見れない珍しいトンボも見れるのが嬉しい。

訪れた日、菜の花畑が広がり、桜もすっかり満開。菜の花と桜の二重奏。そこに花の宝庫・角田山とくれば絶好の被写体になる。

角田山から流れてくる水を堰きとめ人工的に整備された公園とはいえ地元は“自然公園”とよんでいる。それもそのはず越後平野のど真ん中に自然が作る公園だからだ。

春爛漫

2006-04-17 | Weblog
♪春は名のみの 風の寒さや…♪4月の半ば過ぎ新潟も11日に桜の開花宣言しました。17日の新潟県立鳥屋野潟公園の桜も満開です。満開の桜の下で開くお弁当はまた格別。

坂口安吾の『桜の森の満開の下』の書き出しに《桜の花が咲くと人々は酒をぶらさげたり団子をたべて花の下を歩いて絶景だの春ランマンだのと浮かれて陽気になりますが、これは嘘です。なぜ嘘かと申しますと…中略…これは江戸時代からの話で、大昔は桜の花の下は怖ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした。……》と昔は桜は怖ろしいものだといい、さらに満開の桜は《桜の森の満開の下の秘密は誰にも分りません。…中略…頭上に花がありました。その下にひっそりと無限の虚空がみちていました。ひそひそと花が降ります。それだけのことです。外には何の秘密もないのでした》と安吾は桜を謎めいた花にしたのでした。
満開の桜も坂口安吾によれば虚空=孤独に見えるらしい。

やっぱり桜は日本を代表する花だ。遠くから眺める桜の森は美しいし、ひとつひとつの花びらは実に可憐だ。散り際のいい(?)桜吹雪も絵になる。

さて満開の桜を愛でながら花見酒しますか。花より団子。

五泉の水芭蕉

2006-04-10 | Weblog
五泉市の名峰・菅名岳の麓に水芭蕉が可憐に群生していました。
「水芭蕉公園」の水芭蕉はもともと菅名岳の麓の湿原に自生していたのを誰でも散策できるよう木道を(水芭蕉の花を守るため?)設置・整備して平成8年に開園した。その数三万株もあり目を楽しませてくれる。

「水芭蕉」の名前の由来はバショウの花に似ていることから付けられた。また、真っ白な花びらのように見えるのは実は花を守る役割をする「仏炎苞」(ぶつえんほう)といわれ,本当の花は中心部の黄色いところについていると調べでわかった。
「仏炎苞」=広辞苑を引くと〔肉穂花序をつつむ大形の総苞〕とある。
それにしても仏炎苞とは面白い漢字で書くものだ。
直訳すると“仏の白い炎につつまれて”とはちょっと無理勝手な解釈?
分かりやすく言うと純白の花に見えるが仏炎苞は葉に変形して花を包んでいる。

まぁーあまり深く考えず可憐・清楚の気持ちで観賞すると身も心も洗われる。
桜の開花ももうそこまで、越後にも春がやってきた。

花の山・角田山

2006-04-07 | Weblog
先日(6日)カタクリの花や雪割り草など山野草で有名な角田山に登った。
角田山は公式の登山ルートというか一応7コースが紹介されている。7コース以外のひとつに桜尾根コースがある。春の息吹の季節ともなると平日でも駐車困難を極めるコースだ。遠くは関東はじめ全国から新幹線・在来線・タクシーを乗り継いでくるほどの人気の花の山だ。
登った日も平日なのに登山道入り口の駐車場はどうやってお互いの車を出すんだろうくらいギューギュー満車であった。どこに停めようとうろうろしていたらタクシーで乗り付けたハイカーが来た。年配のご婦人のグループだ。きっと花を求めての山行だろう。こちらも少々余分に歩くが海岸寄り、浜茶屋(関東では海の家と言うそうだ)近くの駐車場に車を置いて登山開始。
この桜尾根コースのすぐ隣に灯台コース(7コースのひとつ)がある。ここは日本海の波打ち際(海抜ゼロ㍍)から登山開始する珍しいコースであり、7コース中難易度が一番高い。雪割り草が芽吹く春ともなると山野草を楽しみながら桜尾根コースから登り~灯台コースで下山する人気のコースだ。
桜尾根コース最初の急登を過ぎる頃からカタクリの群生がはじまる。その前にたくさんの可憐な雪割り草が出迎えてくれる。カメラを構えた山野草愛好家が立ち止まるゾーンだ。さらに進むと笹の間を歩く。前日降った雨で泥濘ができ足を取られやすい。笹を過ぎ、しばらく歩くと尾根伝いに出る。ここからの両斜面は紫のじゅうたんを敷き詰めたような目も覚めるカタクリの群生に出会う。ここから灯台・浦浜・五ヶ浜の3コース登山道合流地点まで圧巻・可憐・感嘆の連続だ。途中、年配の方が「このコースで二年前に白いカタクリに出会ったが、今年はまだ見ないなー」と教えてくれる。白いカタクリとの出会いは探して見つかるものでもないし見つからなかった。この桜尾根コースで白いカタクリの写真を掲載したHPを見つけた。アドレスは

http://www.hamayuu.biz/ 角田さんのページにリンク ホワイトヒルはまゆう

頂上に着くと大勢のハイカーで賑わっていた。ツァー登山の団体さんも。
この時期花の名所・角田山にツァーでやってくる。

山頭火と村上市

2006-04-02 | Weblog
先日、村上の『町屋の人形さま巡り』を楽しんでいる時、意外なものを目にした。
写真の「山頭火」の句碑である。はて?村上と山頭火はどんな関係があるだろう。句碑には

水音がねむらせない おもひでが それから それへ   山頭火

と刻まれているが、この「水音がねむらせない…」とは村上のどこを詠んだのだろうか。。しかし句碑解説でわかったことだが山頭火は昭和11年6月に芭蕉の「奥の細道」を逆行するように越後から東北行乞の旅をしている。その折越後を訪ねる
途中に立ち寄った群馬・万座温泉でしたためたのがこの句だと言われている。6月といえば梅雨の季節である。水音とは雨が滴る音なのだろうか。雨音を聞いているうちにぼんやりながら思い出が次から次と胸中に飛来するのだろうか。わびしさが漂う句だ。群馬・万座温泉でしたためた句がなぜ村上の地に句碑として残るのか
(本来は万座温泉あたりに建立される句碑?)と疑問に思ったが案外深い意味はなさそうだ。昭和11年6月8日に村上に到着した山頭火は翌日村上の自由律俳人の
浅見訽二宅で開いた句会に提出した句が、「水音がねむらせない…」であった。
いわば発表の地が村上だったのである。
昨年(平成17年)は山頭火の句碑建立十周年を記念して「全国俳句大会」を催すぐらい村上は熱かった!
山頭火の句碑は津々浦々かなり建立されているという。根強いファンが多いのだろう。

自由律俳句は5・7・5など定型にこだわらない俳句だが、そのものはコピー文的というか散文詩的というか、自由律俳句とはそう理解した方が分かりやすいと
思うのだが…。

山頭火の生き様は生い立ちに関係するのだろうが暗い影を落としている。漂白の俳人とか放浪の俳人といわれる所以であり、それはそれで人の心に何かを語りかけてくるような句になるのだろう。

分け入っても 分け入っても 青い山  山頭火

鮭文化

2006-03-29 | Weblog
新潟市から北へ車で一時間半ほどの所に村上市はある。
3月1日から4月3日まで「町屋の人形さま巡り」が開かれている。江戸時代に遡ること先祖伝来の雛人形を昔ながらの町屋に飾り公開している。年代ものの雛人形さまもさることながら町屋の風情が懐かしい。どの町屋も天井の高い客間、土間の奥を行くと裏に出られる風な作りになっていて町屋文化の歴史を感じる。
お邪魔した喜っ川さんの客間は築120年、土蔵は江戸末期の築180年とか。土蔵の通りには鮭が吊るされている。こんなにたくさん吊るされた鮭を見るのは初めてだ。
よく見ると頭を下に尾が上に吊るされている。この吊るし方は全国では村上だけという。また村上の鮭はお腹を真一文字に切らないで二段に分けて切る(写真・鮭の腹部分二つの櫛です)。これには諸説がある。ヒントは村上は城下町であるという事。武士の切腹を連想して、真一文字に腹を切ることを嫌ったためとか、頭を下にするのは首吊りを嫌ったからだと言われてる。が、喜っ川さんの資料によれば頭を下にするのも、二段に切るのも、鮭のバランス(形)を崩さないよう「村上の先人は美観にこだわって鮭と接してきた」ことらしい。

駅前の食堂で『はらこ丼』を食べた。熱々ご飯の上に「醤油はらこ」をご飯が見えないくらいにかけて食べる豪快な丼で美味しい。村上では筋子(鮭の卵)を「はらこ」と呼び、いくらを「はららこ」と呼ぶ。また、鮭を魚の中の魚と尊称して「イヨボヤ」と呼んでいる。
江戸時代に米が取れないとき三面川に鮭がたくさん遡上して多くの領民を助けたという話もあり、いかに大切な魚といわれる所以だろう。

近年村上は昔ながらの町屋復古に力を入れている。人形さま巡り・屏風巡り・黒塀の通り復活などアイデアがいい。訪ねて良かった城下町だった。

訪れた喜っ川さんはNHKの「昼どき日本列島」「食の匠たち」に紹介され、最近では「どっちの料理しょう」にも紹介された老舗だ。

残雪遠望

2006-03-25 | Weblog
青空が広がる朝、放射現象でご近所の車の窓が凍りついている。前日の予想天気は朝は0℃、日中は14℃で晴。雲ひとつない。雪国越後はこうゆう日を「儲けもんの一日」という。つい先週、日・月に新潟市でも8㌢の季節はずれの積雪があったばかり。なおさら「儲けもん」の気分になる。しかし抜けるような今日の青空は確実に春だ。

こうゆう日は郊外に出かけるのが一番(花粉症が心配だけれど)。で、新潟市前新田(旧、豊栄市)の福島潟へドライヴ。残雪輝く飯豊連峰の山々が青空に映えていた。右に真っ白な頂を見せる大日岳・左端に小さく白くとがった鉾立山・となりはえぶり差岳・右となりは大石山か?写真に入れてないが右に蒜場山・左に風倉山さらに左後方奥に山形県の朝日連峰の主峰、白く冠った朝日岳らしき山を発見した。
白き山々は春の柔らかい陽射しを浴びた福島潟とよく似合う。

福島潟は巨大な「オニバス」の自生の北限地として知られ、また国の天然記念物「オオヒシクイ」の越冬地でも知られており、その飛来数は日本一とか。
また水の駅「ビュー福島潟」館長は片岡鶴太郎さんが務めています(次の館長は加藤登紀子さん)。
静かにただずむ福島潟はいつきても自然がいっぱいだ。


里山に春の息吹

2006-03-23 | Weblog
昨日は朝からの春陽射しに誘われて近場の里山・国上山に登ってきた。
前日の雨で登山道は所々ぬかるみになり少々足をとられた。
登り始めるてすぐに可憐な花々が迎えてくれる。
白、青色の雪割り草・キクザキイチゲ・アズマイチゲ…。
いやー本当に可憐だ。

近年、雪割り草をはじめ山野草の花々が盗堀されているという。悲しいことだ。
「……やはり野に置け 蓮華草」という句がある。野に咲く山野草は野に咲いてこそ美しく観賞できるという事だ。

もっとも「……」の部分に言葉を入れると「手に取るな やはり野に置け 蓮華草」となる。古の播磨の俳人が遊女を身請けしょうとした難波の友人を諌めた句といわれている。
まあーこの句の意味と詮索はしないほうがいい。美しく可憐な山野草は山へ分け入って見るのが一番、と解釈しときましょう。

もう少し登ったところにはこれから群生しようとする葉というか茎というか、花咲くまえのカタクリに出会った。中に早くも一本静かに花咲いたカタクリ(写真)を見つけカメラでパシャ!!

隣の山、弥彦山・角田山もこれからじゅうたんを敷き詰めたようなカタクリの花が群生する。特に“花の山”といわれる角田山は花の宝庫といわれるほどさまざまな山野草の花々が見れる。またこの時期、角田山は近隣近県からバスを仕立ててお花見登山ツァーで賑わう。

ようやく、越後の山々にも息吹を感じる春が到来した。

信濃川

2006-02-27 | Weblog
新潟県庁展望回廊より日本海に注ぐ信濃川河口を望む

新潟もようやく春の息吹が感じられるようになった。。
新潟を代表する川といえば全長367kmを誇り、日本一の大河といわれる信濃川だろう。
信濃川の上流は信濃の国と言われた長野県の千曲川でその源流は甲武信ヶ岳だ。
新潟県に入ると谷川岳から流れてきた魚野川と合流し壮大な信濃川物語を繰り広げながら新潟市の日本海に流れ込んでゆく。
しかし信濃国の千曲川が越後国に入ると普通は越後に関係するか、らしい名前に変わるのになぜ信濃川なのだろうか?(例えば福島県を流れる阿賀川は新潟県に入ると間に『野』を入れて阿賀野川に名を変える)。答えは簡単明瞭!信濃の国から流れてくるから信濃川?(そんなこと はじめから分かってる!と声が聞こえそうだ)
越後人は太っ腹だから信濃の人に敬意を表して信濃川と名付けたと理解すれば、まぁーこれも一応筋が通る話になる。

写真で見る川幅は、そんなに古くない昔、今の倍はあった。写真左のほうは埋め立てられた場所が多い。同じ左側は関屋分水路で分断されて島状態になり通称『新潟島』という。また新潟島は新潟発祥の地でもある。(フランスはパリ発祥の地シテ島みたいものといっても過言ではない)
信濃川もご多分に漏れず洪水との戦いでもあった。関屋分水路・大河津分水路(構想から完成まで200年かかった)等を築き、水量調整などで日本海に流し込むことで洪水を防ぎました。

新潟市のど真ん中を流れる信濃川の河口一帯は堤防も整備され「やすらぎ堤(てい)」と呼ばれる市民憩いの場となりました。昔の土手の風景を知るものとして隔世の感がある。

信濃川に架かる新潟の大シンボルである萬代橋は平成16年7月に国の重要文化財(橋梁としては東京・日本橋に次いで二例目)に指定されました。