お友達から美味しい贈り物をいただきました
素材にこだわったマフィンとGANDUKI(がんづき)のセット。
仙台市にあるパルティールさんで作っていて地方発送も可能。
HPにはシフォンケーキしか載ってないみたい。
びっくりするくらい美味しくて、あっという間になくなった
マフィンはべりー、バニラの2種類が入っていた。
素材にもこだわっていて、作った方の優しさが伝わってくるような
大満足の一品
また食べたいなぁ。
ゆきぴーさんご馳走様でした
お友達から美味しい贈り物をいただきました
素材にこだわったマフィンとGANDUKI(がんづき)のセット。
仙台市にあるパルティールさんで作っていて地方発送も可能。
HPにはシフォンケーキしか載ってないみたい。
びっくりするくらい美味しくて、あっという間になくなった
マフィンはべりー、バニラの2種類が入っていた。
素材にもこだわっていて、作った方の優しさが伝わってくるような
大満足の一品
また食べたいなぁ。
ゆきぴーさんご馳走様でした
佐渡へ引っ越してきて気づいたこと。
みんな佐渡弁でしゃべってる
当たり前なんだけど、スーパーへ行っても病院へ行っても
どこへ行っても聞こえてくるのは佐渡弁
老若男女が佐渡弁を話している。
なんか不思議。
ずっと横浜にいて佐渡弁から離れていたせいか佐渡弁が新鮮。
引っ越してきて一年半。
子供たちもだんだん佐渡の言葉を話すようになってきた
私もだんだん佐渡弁が普通になってきて話すんだけど
子供たちにはまだ佐渡弁を話す私に違和感があるようで
「ママなんでそんなしゃべり方なの?」
「ママそれどういう意味?」
と突っ込まれる。
↓ティッシュ大好きゆたかさん。気づくとティッシュがすごい散乱している
↓めっちゃ嬉しそう
桃さんは三姉妹の中で一番トイレトレーニング期間が長かった。
オムツが取れそうな時にちょうど引っ越しがあり、私の出産があり、イヤイヤ期と重なり
なんとなくパンツの方が楽な為、ずるずるとトレーニング期間が延びていた。
オムツ外しは親の勢いと情熱が必要だ。
一度オムツに戻ってしまったら、パンツを取り戻すまでは倍の期間が必要になる気がする。
・トイレでできた時は褒める
・失敗してしまっても怒らない。
これは鉄則らしい。
でも実際は長引くお漏らしについつい
「また??」「もう~ママもっちゃんのパンツ洗うの嫌だ!」
と怒ってしまう事も多かった。
とにかく、もっちゃんの頻尿ぶりがすごい。保育園から帰ってきて、夕食までの間に
トイレに5回くらい行く。おしっこ出る~!と行くのだが、だいたい少しだけ漏らしている。
頻尿だから出る量は少ないかと思いきや、結構ジャーッと毎回出る。
どういうこと????過活動膀胱??
夕食の準備の最中に、ママおしっこおしっこと何度も行くので
その度に調理の手を止め付き合う。
どんどん山になるパンツ&ズボン。
だんだんイライラ。
パンツにうん〇をされた時の精神的ダメージはおしっこの比にならない。
うん〇もコロコロ系ならまだ救いがあるが、粘着質系のをされると
一気にテンションが下がる
どうやって洗おう…
でもよく考えれば、紙おむつがなかった時代のママたちはこれを
毎日洗っていたんだ。
私にだってこんなのできるできる。と自分に言い聞かせて
とりあえず、うん〇がついたパンツを専用のバケツに水をはって漬けておく。
そのまま放置。しばらく放置。
次の日も放置。そろそろ洗おうかな…そして放置。
脱衣所へ行くたびにうん〇が入ったバケツが目に入る。
そろそろ洗おうよ
自分に語りかけ腹を決めて洗う。
長かったトレーニング、最近やっとやっと漏らさずにできるようになってきた。
頻尿もおさまってきたみたい。
自分に余裕ができると褒める気にもなってくる。
「すごいね~!!もっちゃんおトイレでちゃんとできるなんて素晴らしいね~!!!」
と言って抱きしめると、とっても嬉しそう。
やっとパンツ洗いから解放された~!!
↓へんなかお~
↓ある日の朝食
↓いただきます~!
連休前半は台風の影響もなくいいお天気。
ドライブへ行った。
もう山はすっかり秋
↓金北山。白雲台の駐車場。
とっても綺麗!
↓愛犬チャッピー。車に酔って、よだれダラッダラ
↓大佐渡スカイラインを通って、乙和池へ。
↓金山を素通りして、相川から七浦海岸へ。
海最高
デジカメの電池がなくなって、ここからの写真はない
この後、羽茂の素浜海岸でおにぎりを食べて
小佐渡をぐるっとまわって、最後はばぁちゃんちへ。
佐渡に住んでいたのにまだまだ行ったことない場所がたくさんあるなぁ。
佐渡での住まいは、以前から話のあった私の叔母の家。
叔母は独身で一戸建てを購入し、一人では広すぎるからと
私たちと同居してくれる事に決まった。
初めは、子供たちと旦那との同居は、叔母にきっとたくさん迷惑をかけてしまう気がして
躊躇していた。
叔母は快く全てを受け入れてくれた。本当にありがたい。
叔母のきれいなおうちに私たちは転がり込んだ。
実家からは車で40分。兄の家とは徒歩30秒の位置。
学校、市役所、病院、図書館すべて1分以内の場所にある。
地図でいうと佐渡のど真ん中に位置している。
子供たちは今までの狭いアパート暮らしから一転
一戸建てに大喜び。
アパートでは騒音を出さないようピリピリしていたが、
今は子供たちが大声で泣こうが笑おうが走ろうが自由だ
佐渡へ帰ってきて良かった。
空気が全然違う。
山と海があって、なんて素晴らしい。
佐渡に住んでいた頃には見えなかったものが、18年離れたことによって
たくさん見えてきた。
佐渡の人口は減る一方だそうだ。現在は約6万人。
実家はいわゆる限界集落で、子供がほとんどいない。
私が生きている間に、なんとかお役に立ちたいなぁと思った。
↓出産の4日前のお腹。
引っ越し…今までも何度か経験してきたが、今回は家財も多いし、子供もいるし、
とにかく何から手を付けていいかパニックになる程忙しかった。
引っ越しの業者さんを決める時、驚いたのが営業合戦。
インターネットで見積もりを依頼したら、わずか1分くらいで家の電話がジャンジャン鳴って、すぐに4社との見積もり日が決まった。
2社目で決めたのだが、
ポイントは
・価格
・廃棄も金額内でやってくれる
・バイクも運んでくれる
・全国展開で圧倒的社員数(プロって感じがした)
横浜市から佐渡島まで、30万円でやってもらう事になった。
やはり、海を越えて行くのはなかなかのお値段。
その他、エアコンの廃棄代別途。
よろしくお願いします。引っ越しのサ〇イさん。
あと、私たちはレンタカーを借りて新潟まで乗り捨てすることになった。
旦那は、車を売ってくれた。旦那が愛してやまない車。
子供たちが泣くほどつらい思いをして引っ越すから、俺も大事なものを手放していく
ってことだったらしい。
車は思わぬ高値で売れた。想像していた金額の倍くらい(゜o゜)
横浜を離れる時に、本当にたくさんの人に送別会をしていただいて、
こんなにも温かく皆さんから支えられて生きていた事を今更ながら痛感した。
近所のママ友のユキピーさん、一緒に子育てした仲間。いろんな相談に乗ってもらった。ありがとう。
保育園のママ友エミリー、卒園の謝恩会で一緒にがんばったよね。部活みたいで楽しかった、ありがとう。
パートでお世話になった古物商の皆様。娘みたいにみんなでかわいがってくれた。ありがとう。
旦那の会社の皆様。大変な時にいつもいつも助けていただきました。ありがとう。
佐渡へ向かうレンタカーの中でみんな無言。
それぞれがそれぞれの気持ちで新しい出発をした。
もうきっとここへ来る事はこの先ずっとないんだろうな。。。不思議な気持ちだった。
佐渡での新生活。旦那の仕事。不安もいっぱいだったけど、前を向いて行くしかない。
↓最後のパートの日、送別会で泣いてしまった。
↓パートの会社の会長さん。古物商の倉庫で。
引っ越すなんて思っていなかった。
優香は4月に入学したばかり。
それなりに生活にも慣れてきたところだった。
4番目の妊娠を思い切って両親に伝えた。メールで(^_^;)
意外なほど喜んでくれた。
母は「せっかく授かった命なんだから、大切にしなさい。」と言ってくれた。
涙が出た。
夏休みだから、里帰り出産しなさいと母に言われてそのつもりでいた。
引っ越しが決まったのは5月だった。
旦那が4月の終わりに「俺は仕事を辞める!佐渡へ引っ越す!」と突然言い出した。
ついていけない私(゜o゜)
旦那は決めたら行動は早い。あっという間に佐渡の両親と話をつけ、会社に辞表を出し、
5月の終わりに引っ越すように、業者もさっさと決めてしまい
あっという間に話が進んでしまった。
旦那は7月の出産までには引っ越したいという気持ちだったらしい。
なにもかもが慌ただしく、あれよあれよという間に話が決まった。
小学校の転校手続き、お世話になった方々へのご挨拶、引っ越し準備、私の勤め先への報告、
1か月以内にすべての手続きを終わらせなければならなかった。しかも仕事しながら(/_;)
妊娠7か月~8か月って一番体重が増える時期に私の体重は減った
それくらい忙しかった。分刻みのスケジュールだった
引っ越しは5月28日に決まった。私の退職日は5月24日になった。
ビックリしたのは子供たちだったと思う。突然引っ越すことになったから。
今までも「佐渡に住みたーい」と言っていたので、きっと喜んでくれると思っていた。
ところが、いざ引っ越すよと言うと、「絶対に嫌だ!!!!お友達と離れたくない」と
ハナも優香も号泣。
そうだよね…現実を受け入れるには時間がかかるよね…
→つづく
↓桃さん、保育園最後の日。
↓ハナ、学校最後の日。
↓いつも一緒に遊んでくれた近所の子供たち。
横浜から佐渡へ昨年の6月に思い切って移住した。
それまでも移住の話はちょくちょくあった。私も旦那も子供たちを自然の中で育てたいという
漠然とした想いがずっとあった。あったが、実際なかなか行動できるはずもなく
引っ越しのお金がいくらかかるかさえ未知数。
子供達を転校させる事になるから、できるなら子供が低学年のうちがいいとは思っていた。
旦那の仕事も佐渡ですぐに当てがあるわけでもなく、今の仕事を全部辞めて引っ越すと言うことは
それなりにリスクもあった。
でもそれを含めてなぜ大決断したかというと、まさかの4人目妊娠が一番の決め手だったと思う。
正直、子供はもう3人でいいと思っていたし、このまま横浜でずっと暮らすつもりでいた。
平成23年の11月、妊娠がわかった。
びっくりびっくりびっくりだった。喜びよりも戸惑いの方が大きかったかもしれない。
(そう言えばこの年の初詣の時に、長女に神社でなにをお願いしたの?と聞いたら
「あのね、ママがあと3人男の子を生みますように。って神様にお願いしたの!」
って言ってたのを思い出した!願いがかなったね。でも3人は無理だわ)
私はパートの仕事に慣れてきたところだったし、またあの悪阻を経験するのかと考えたら辛くなった。
でも、奇跡のようなタイミングでこのお腹にやってきた命。
大切な大切な子供をどうにかするなんて選択は私の中にはなかった。
どんなに生活が大変になっても、この子を産もう!と覚悟した。
私が守る!絶対産む!!悪阻にも耐える!!
両親にはなかなか言えなかった。喜んでもらえない気がした。
3番目を産んだときに、悪阻が大変だったので母から
「あんた、避妊手術せぇや~」なんて言われてたから。
しかも旦那にパイプカットしてもらえってヒェ~絶対旦那に言えない。
妊娠中は4人の子供の中で一番順調だった気がする。
悪阻もあったが全然軽くて、ご飯も食べられたので体力が落ちず仕事も休まずに行けた。
空腹になると気持ち悪いので、仕事のデスクの引き出しには常にリンゴやミカンやクラッカーをしのばせ、
ちょこちょこと食べていた。
臭いは相変わらずダメで、お風呂が一番苦手。シャンプーの臭いが最悪。
お風呂は2~3日おきにしか入ってなかったかも(汚いけど…)
歯磨きも苦手。歯磨きもあんましてなかったかも(汚いね…)
どこで産もうか。予定日は8月5日。ちょうど夏休み。里帰り出産するには36週までに佐渡へ行かないといけない。
私はまた横浜の助産院で産みたいなぁと思っていた。
産む場所も決まらないまま、年が明けても両親には言えなかった。
→つづく
↓ 4月優香は横浜の小学校へに入学。わたし妊娠7か月。2か月で転校することになる。
↓ハナは小学2年生に進級。