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アラコー(around後期高齢者)の春秋

みっちゃん(昭和をともに生きた女たち)へのこひぶみ

メンテナンス

2013年01月24日 | 雑記帳
みっちゃん、あなたは歯のメンテナンスをしていますか?
昨日、私はメンテナンスに行ってきました。徳島大学歯学部では創設以来の予防歯科の概念が次第に浸透し、私の限られた友人の間でもかなりの人たちが1ヶ月(ときには2-3ヶ月)に一回の検査と補修に通っています。

保存が専門の2階の約40席(?)の処置ユニットはいつも予約(1時間単位)で満員になっています。ほかに3階・4階は入れ歯とかインプラ専門や口腔外科もあるようですが、私は保存しか行ったことがないので詳しいことは知りません。

先月12月はアメリカ旅行などあり、歯磨きを真面目にしなかった所為かプラーク、ぐらつき、などチェック項目すべて不良、赤点を貰ってしまいましたが、反省の結果今月は歯石なし、その他の項目も改善が見られるという点数をいただきました。

歯学部へ行くようになって満2年になりますが、いまだに歯周ポケットの奥の掃除のために麻酔をしてガリガリ汚れをかきだす処置が続いています。これが結構癖になる快適さ、目はかすみ、顔は年相応に崩れ、頭も頼りにならない現在、いろいろ処置はしているとはいえ、取りあえず歯だけは自前というのが今となっては唯一の自慢でしょうか。

残念なのは、町の歯医者さんでお世話になっていた頃は、歯磨きもいい加減(はずかしながら歯のウラを磨く習慣なし)、歯医者さんに通いながら次々虫歯に侵されつつ、年をとるということはこういうことだと諦めていたことです。ここ2年間虫歯を作らなかったのは、歯磨きの力!先生はブラシだけで特殊なペーストは不要だといわれますが、私は口の中がさっぱりするので市販の薬用ハミガキを使っています。

80-20(80歳で自前の歯20本)というキャンペーンをきいたことがありますが、80-ALLを目指してGO!



ステレオタイプ返上

2013年01月19日 | 雑記帳
1みっちゃんさん
プロフィール画像いかがでしょうか?黒田奈津子さんもびっくり!?無料イラストでおばあちゃんを検索すると、猫を抱いたおばあちゃんが座布団にすわって居眠り、典型的なおじいさんに寄り添って、、、という画像の中から選びました。この女性の瞳はなんと美しいのでしょう!おばあちゃんのイメージからも私自身からも程遠く、気恥ずかしい気がしますが、その内適当な画像に変えますね。ただ、ステレオタイプのおばあちゃんプロフィール画像が間接的にみっちゃんを傷つけたのかもしれないと申し訳なく思います。

まず、私自身のスタンスを変えましょう。(変える努力をします)
大学生おばあちゃんとはNHKのみんなの歌「コンピューターおばあちゃん」をもじったものですが、この際「アラコー(around 後期高齢者)の春秋」とタイトルを変更しました。アラフォーは今やヒストリー、おりしもアラハン=ほぼ100歳が時流として帰り咲いたようですから、アラコーも受け入れてもらえるでしょうか。

現在、私は徳島のトクッターという高齢者見守り事業に登録し「見守られ隊」に属しています。見守る人も見守られる人も主にi-phoneやスマホを持ち、夜となく昼となくツイッターでつぶやくことで、きょうも元気だということを確かめあっています。

確かに、おばあちゃんという言葉がもつ典型的イメージはさざえさんのふねさんとは隔世の感があります。コンピューターおばあちゃんも大学生おばあちゃんも大きい顔をしてブイブイ言える時代はすぎたのでしょうね。アラコーを誤解してて若いブロ友がひっかかると面白いかも。でも、このブログはあくまでも「みっちゃんへのこひぶみ」です。変えることありえません。

プロフィールの写真がヘンだという1みっちゃんさんの問いかけに、自身の姿を改めて考えるきっかけとなりました。

断捨離(こころ編)

2013年01月15日 | 雑記帳
「断捨離」ということばいまやだれもが知っていて、物から解放されて身軽に生きる格好よさとして市民権を得たようですが、我が家ではまだまだ「全部いらない、全部いる」状態から解放されません。今の家になって8年、おそらく物は増えはしても減ることはなかっただろうと思います。

ところが、最近私のパソコンの恩師のブログでは、60歳を機に仕事を減らし土・日は考えることから心を解放してのんびり・ゆったり・・・というようなことを書いておられるのです。寝る間もないような過激な仕事の様子を常々拝見していましたので、「ほんまかいな?」という疑問はありますが、先生の場合いわゆる充電期間を持とうということではないかと思います。心を解放するというのは、仕事や社会とのつながりなどもろもろのしがらみから身軽になってということだと考えるとこれは心の断捨離と言えるかもしれません。

ひるがえって私自身はというと、いままでの人生をいい加減をつらぬき、73歳になって大学院をめざそうというのは、言わば、大型冷蔵庫と100インチテレビ、車庫より大きな車を同時に買い込もうとするようなものでしょう。過充電(遊びすぎ)でポロポロの頭に生涯でたった一回、能力を越えた負荷を掛けようとしているは断捨離の真逆だなあと一人苦笑しています。

とは言うものの、みっちゃん、4月まで、お尻に火がつかなければ一向にやる気が起こらないのは高校時代の私と同じ、グーダラグーダラ毎日が過ぎて行きます。


ラブレター

2013年01月11日 | 雑記帳
9-10日と三重県の’なばなの里’へイルミネーションを見に行っておりました。お向かいにも言わずに出かけたので、旅先にうれしい電話がありました。「おっちゃん、おばちゃんの姿が見えん、なんかあったんと違うか?」という電話です。高齢者見守り隊の地域力は健在!うれしいことです。(夫の死体をかくして年金をもらい続けるという企ては不可能だけど)

さて、けさの郵便受けにはひらがなばかりでこんな手紙と1枚のチラシが入っておりました。

 けんと*太より
けんの母さんが回転寿司ではたらいとうけん(働いているので)、ちらしあげる。
ぜひおいしいのでかってください。
(予約申込書を)かきおわったら*太にわたしてそれからけんにわたして、ひかえのかみをわたします。お金は*太にわたさないいでいいのですしは自分でとりにいってください。バイバーイ

これは節分の恵方巻きのキャンペーンのちらしと一緒に入っていたものです。小学5年生がお母さんの仕事に一生懸命協力する姿がけなげではありませんか!朝からこころがニコニコしてしまいました。

後悔のほぞを噛む

2012年12月16日 | 雑記帳
みっちゃん
ときどき念をおしますが、みっちゃんは固有名詞(特定の一人)ではありません。73歳にもなって大学院に進むのだと馬鹿げたことを考えている私を理解してくれる同胞に話しかけています。

正確には18日に73歳になりますが、facebookでは誕生日おめでとうのコメントがぼつぼつ入るようになりました。73歳がはたしてめでたいのか残念なのかよく分かりませんが、人生でやり残したことをやってみようという好奇心と健康に恵まれているのはありがたいことだと思います。若いころしっかりと自分の道を見極めていれば、今更大学院へ行くなどとは言いだすこともなく、違った(まっとうな)人生を送れたかもしれません。でも、道草や裏道にもそれぞれの花は咲いていて、今日の私を作っていることを思えば、いたずらに過ぎ去った日々を残念がらずに行こうと思います。

後悔といえば今日は衆議院選挙、そろそろ発表が出かかっていますが、開票前に大勢が判明するというのに驚いています。おそらく彼らにも岐路を誤ったと後悔のほぞを噛んでいる人も大勢おられることでしょう。政治のことは良く分からないので意見は差し控えますが、利己主義まるだしの離合集散を目のあたりにして一番後悔のほぞを噛んでいるのは有権者の私たちではありませんか。最初は細川護煕の政権交代、格好良い殿さまにどれほど期待したことか。そして今度の民主党の政権交代、失われた時のいかに虚しいことか。もう絶対に夢は見ないと思ってしまいます。

「後悔のほぞを噛む」このことわざの「ほぞ」とは臍(へそ)のことで、へそを噛もうとしても口に届かないということで、「どうにもならぬことを後悔すること」という意味で使われるそうです。もう一つのことわざ、「目を噛んで死ぬ」そう、裏切られることに慣れてしまった国民は、最後には自らの選択のあほらしさに「目を噛んで死ぬ」しかないと、みっちゃん、そう思いませんか?