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セレーネ

ギリシャ神話のセレネ・セレーネお月様は知っていた!!!


オリンポス神族の前に世界を支配していた神々ティタン(男名)タイタンの親族です。太陽神 ヘリオス【盲目のオーリーオーン【オリオン】の目を治療した。 】の娘とされる。セレネ・セレーネは月経と暦の関係から動植物に命を吹き込むとされている。セレネの方が月の神としてはアルテミスより古い。


ランゼの話。


①不老不死の神話。ゼウスの孫エンデュミオンと云う美青年がおりました。セレーネはエンデュミオンを熱烈に愛していました。ある日エンデュミオンはゼウスから人間のままの命で寿命が尽き死神の所へ行くか、それとも魔界の人になって死神に頼んで永遠の命をもらい永遠の眠りにつくか、どちらかひとつを選べといわれました。永遠の眠りにつくにはアジアの国のラトモス山という山の洞穴の中で眠りにつかなければならない。エンデュミオンはこのまま老いて死ぬよりも永遠の眠りにつくことを決め不老不死となったのでした。このことを知らなかったセレーネはあるとき夜の天から高見をしていました。永遠の命となったエンデュミオンを一目見て天から吸い寄せられるように洞窟に降りていきました。目を覚まさないエンデュミオンにセレーネはそっと口つけをしました。しかし永遠の眠りについたエンデュミオンの魔力は解けませんでした。セレーネは彼の夢の中に入り込み幾どとなくエンデュミオンのいるラトモス山へ通い続けました。天界のセレーネは夢の中でしか人間界のエンデュミオンと会うことがゆるされなかったのです。しかしセレーネとエンデュミオンの間には50人の妖精が生まれました。セレーネがラトモス山へ舞い降りるときは妖精がこの山の陰に月を隠してセレーネの居る場所を教えたのでした。


②オリオンの神話。狩猟の神であるアルテミスと狩人のオリオンの仲をあまり良く思っていなかったアルテミスの兄のアポロンは、いつしかアルテミスがゼウスの誓いをやぶってしまうことを恐れていました。そして何とかオリオンをあきらめさせるための策略を考えました。アポロンはあの時、海の上歩いているオリオンが目立つように、いつもオリオンの頭が光るように魔力をかけました。そして急いで妹のアルテミスのところへもどりました。遠く離れた岸のアルテミスに兄のアポロンは『あの海の上の光る木の丸太を矢で射ってみろ』と妹を馬鹿にしました。怒ったアルテミスは狙いを定めて矢を放ちました。そしてオリオンは光を失い輝くことはありませんでした。アルテミスは自らオリオンを打ち、その日からアルテミスの前には現れなくなりました。そして悲しみ父ゼウスに頼んでオリオンを空高くいつでも見れるように輝かせてほしいとたのみました。


ヘカテ・ヘカーテは蛙・犬狼、松明・石など。水の女神・母なる神・地母神。出産をい意味する。夜と魔術の女神「ヘカテーの御馳走」は満月の夜にヘカテに毎月卵、犬の肉、魚などを供える習慣がありました。


④女の子のセレーネが一人前になったときヘカテとなって魔法が使えるのです。そして満月の夜にはたくさんのご馳走をつくるのです。


いっぽう盲目となったオリオンをいたわり月の女神となったアルテミスは父ゼウス【ギリシア神話の主神である。天候、雷を司る天空神。オリュンポス十二神をはじめとする神々の王】にたのんで盲目のオリオンの目をなおそうとするのです。そして小アジアに舞い降りて、いつまでも盲目のひとを月の女神となっていたわるのです。


お月様は知っていた!!!


私は世の中の事を良く知るためにはニュースや新聞なども良く見ます。竹取物語の中にもお月見・観月・が大事で十五夜が説かれている。とはずる・この世と宇宙・自然・国土・人の感情すべて感じとることなのです。今は乱世の時代なのです。


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竹取物語 Part 2

古事記には、第9代開化天皇の孫、大筒木垂根王(おおつつきたりねのみこ)とその娘、迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)」の名がしるされている。迦具とは火之迦具土神、火の御魂の神からきています。かぐや姫が竹の中から生まれたという竹中生誕説話は何を意味するのでしょうか。

竹の神話には木花之佐久夜姫(コノハナノサクヤヒメ)のお産の時へその緒を切った竹の刀が竹林となった。コノハナノサクヤヒメにはホデリ(海彦)と末っ子のホオリ(山彦)がいました。海彦と山彦はお互いに道具を交換して仕事に出かけました。海の仕事に慣れていないホオリ(山彦)は海彦から借りた大事な釣り針をなくしてしまい途方にくれていました。それを見ていたおじいさんが竹櫛を大地に投げ付けました。するとたちまち竹林となり、すぐさま竹篭を編みました。山彦はそれに乗って海に出て釣り針を探すことが出来ました。

竹の成長力、生命力が神秘的な力をもっていると信じられていました。竹中生誕説話は神秘的な出産、出生である可能性は高い。

  光明子の巻

 ①玉依姫(たまよりひめ)海の女神の伝承の霊鹿と鳳来寺山で薬師を刻んでいた父の利修仙人の間に生まれた光明子。利修仙人が三河の鳳来寺山で修行していたとき女児を都の貴人の家の前に捨てた伝承があります。『興福寺流記』の伝承には『光明皇后、和泉国の織女、田を植ゑるに光あり或いは夢に見る、或いは聖武右を見る、と云々。嫌ひ出るの後、田植の諸人一人づつ上に至るに、光明女上り畢りぬれば田に光なし、と云々。仍て之を語り、奈良の都に迎へ取りて立后す。而して見聞恵稽首君二人の仏師に問ぴ阿弥陀仏三尊を造立し奉り、和泉の木津に船に入れ之を運ぷ。和泉国国分寺を建立し之を安置す。是光明皇后の御願なり。而して件の国分寺には免田の照田・光田二町を寄進す、と云々。是即ち皇后の昔植ゑ給ふ田なり。』

 ★①姿見の池 国分寺恋ヶ窪★

朽ち果てぬ 名のみ残れる恋ヶ窪 今はた訪ふも 知記りならずや

◆お返し◆

幾年と 語りに伝たふ 姿見の 心も清む 鏡とならむ ももぞの

 ②開化天皇の時代。迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)の名が後の時代、別のお姫様になって登場すると竹取物語で物語っている。これは迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)が次の時代に生まれ変わってくること。人は生まれ変わるということが信じられ、過去から【同じ時代】が再び繰り返されたとき迦具夜比売命(かぐやひめのみこと)が生まれてくることを物語っている。このことは竹取物語の結末の『不死の薬』すなわち長寿・いのち・未来・永遠が説かれている。お蚕さまも交尾をしたら離れない。いのち・未来・永遠と徳を説いているのです。

阿倍内親王

聖武天皇の皇太子時代に結婚し、718年(養老2年)阿倍内親王を出産 聖武天皇と光明皇后の間にはついに男子が育たず、天平10年1月13日(738年2月6日)に娘・阿部内親王を立太子し、史上初の女性皇太子となる。のち天平勝宝元年(749年)に父・聖武天皇の譲位により即位した。

 『続日本紀』巻八養老二年(七一八)十一月壬寅辛夘朔十二十一月壬寅。彗星守月

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日本史  竹取物語

竹取日本史

弥生式時代
226垂仁15)年この年、星降ると、後の記録にある。(吾妻鏡52)
239  倭の女王卑弥呼、帯方郡に遣使

古墳時代
404 倭軍、帯方郡で高句羅…古代朝鮮三国の一つに敗北
416(允恭 5)年
  7月   近畿地方中部で地震(ナヰフル)がある。(日本書紀13)
443倭王済、宗中国、五代の分裂を統一した王朝に朝貢
500頃(清寧 3頃)年
  3~4月  富士山噴火し、黒煙が天に昇る。熱灰が雨のように降る。三農は営を絶ち、五穀は実らず。  天皇、使を立てて神宝を献じ捧ぐという。 (走湯山縁起 2)
527  磐井の反乱
538  仏教伝来
553(欽明14)年
    この年、阿蘇山噴火? (日本火山総覧)
568(欽明28)年
    この年、郡国大水飢。 (日本書紀19)

飛鳥時代
593 聖徳太子摂政となる
599(推古 7)年
    この年、大和で地震があり、地震の神を祭る。 (日本書紀22)
601 (推古 9)年  聖徳太子、班鳩宮をつくる
601(推古 9)年
  5月    天皇、耳梨行宮へ居を遷す。大雨で河水あふれ、宮庭を浸す。(日本書紀22)

602  百済僧観勒、暦法などを伝える
603  小墾田宮に移る 冠位十二階制定 太秦に広隆寺建立 
604  役人に初めて冠位を与える 十七条憲法制定 
607  敬神の詔 法隆寺建立 小野妹子らを遣隋使として派遣       
608  遣隋使小野妹子帰国
609  肥後国に百済人80余人漂着
610  高句麗僧、紙・墨・絵具の製法を伝える
613  難波より大和に至る大道開通
614  犬上御田鍬を隋に派遣(翌年帰国)
616  掖玖人30人(南方の屋久島島民)来渡
621  新羅来貢し、初めて上表する
622  聖徳太子死去
623  留学生恵日ら帰国、唐との国交を建言
624  蘇我馬子、葛城県を要求、天皇許さず

626  蘇我馬子死し、その子蝦夷、大臣となる 長雨による大飢饉

628(推古36)年
  3月 2日 日蝕あり。 (日本書紀22)
    この年、地震により道後温泉がふさがり、3年後にまた出る。(伊予温古録)

629  田部(耕地民)連を掖玖(やく)に派遣
630  第一回遣唐使犬上御田鍬を派遣
631  百済王子豊璋、人質として来日
632  犬上御田鍬、唐使高表仁を伴い帰国

634(舒明 6)年
  8月    長星南方に現れる。時の人これを彗星という。 (日本書紀23)

635(舒明 7)年
  1月    彗星東に見える。 (日本書紀23)

636       大旱魃で飢饉広がる

639(舒明11)年
  1月    長星西北に現れる。時旻師曰く彗星也。 (日本書紀23)

640  高向玄理・南淵請安ら帰国

642  蝦夷の子蘇我入鹿執政となる

643  入鹿、山背大兄王を襲い、王一族自害

645 大化 1  中大兄皇子(のちの天智天皇)・中臣鎌足ら、蘇我入鹿を殺す 大化の改新 戸籍作成 男女良賎の法制定 年号制定

646 大化 2  大化改新の詔を発布 東国の国司を任命 薄葬令
 =墳墓葬送の制
647 〃 3  七色十三階の冠位を制定 渟足柵(ぬたりのき)を設
 ける
648 〃 4  磐船柵(いわふねのき)を設ける
649 〃 5  冠位19階を制定し、八省百官をおく
650 白雉 1  長門国から献上された白雉により改元
652 〃 3  戸籍作成、里・五保の制 最初の班田収受を施行
653 〃 4  中大兄、天皇と不和になり飛鳥に移る
 遣唐使船、薩摩之曲・竹嶋之間(薩摩竹島)で沈没
654 〃 5  玄理らを唐に派遣
655 斉明 1  蝦夷・隼人が多数服属
 隼人衆上京

658 〃 4  阿部比羅夫、蝦夷を打つ 有間皇子謀反で処刑

660 〃 6  百済、唐・新羅に敗れ、百済の遺臣が救いを求める
661 〃 7  斉明天皇・中大兄、百済再興のため出発
662 天智 1  阿曇比羅夫、百済再興に向かう

663 〃 2  白村江の戦い

664 〃 3  対馬・壱岐・筑紫などに防人を置き筑紫に水城 冠
 位二十六階制定

664(天智 3)年
  3月    京北に星隕あり。 (日本書紀27)

665 〃 4  唐使来日、入京 百済人400人余を近江国神前郡
 におく 長門・筑紫に山城を築く
666 〃 5  百済人2000人を東国に移す
667 〃 6  近江大津宮に遷都 大和・讃岐・対馬に築城
668 〃 7  近江令を制定
669 〃 8  鎌足危篤に際し、大織冠と藤原姓を与える 百済人
 700余人を近江 国蒲生郡におく
670 〃 9  初の全国的な戸籍をつくる 美濃に不破関を設置

671 天智10  大友皇子、太政大臣になる 天智天皇没

672 弘文 1  壬申の乱 

675 〃 3  諸氏の部曲を廃止し、王臣・諸寺に与えた山林など
 を没収

676(天武 4)年
 11月    地震あり。

678(天武 6)年
  6月14日 地震あり。

679 〃 7  逢坂山に関を設置
 多禰島(種子島)に使いを派遣
679(天武 7)年
 10月    筑紫で大地震。幅2丈、長3000余丈の亀裂生じ、家屋多数倒壊。(日本書紀29)

 680(天武 8)年
  6月 1日 桃子ほどの氷零(霰)が降る。 (日本書紀29)
 10月11日 地震。14日にも地震。(日本書紀29)
 11月 1日 日蝕あり。 (日本書紀29)

681 〃 9  律令の編纂を開始
 多禰島(種子島)使人ら多禰国図を献ず
681(天武 9)年
  6月    灰降る。 (日本書紀29)
  9月    地震あり。 

682 〃 10  王臣の食封を没収す
 大隈隼人・阿多隼人上京方物を献ず 多禰が島・掖玖島など服属
682(天武10)年
  3月    地震あり。
  6月    地震あり。
  9月    彗星現れる。 (日本書紀29)
 11月    地震あり。

683 〃 11  大津皇子、国政に参画
683(天武11)年
  1月    地震あり。
  3月    地震あり。
  7月    地震あり。
  8月12日 地震あり。17日にも地震。

684 〃 12  八色の姓を制定
684(天武13)年
  7月    西北に彗星現れる。長さ丈余。 (日本書紀29)
 10月    未だかつてないという大地震。山崩れで洪水。諸国の郡官舎、百姓の倉屋、寺塔、神社の多く破壊される。
        津波で土佐の田苑50余万が海没。伊予の温泉が没し出ず。人と六蓄に死傷多数。

 11月    戊辰に七星、東北に流れる。庚午日没時、東方に星隕。天文悉乱し星隕雨の如し。

685(天武14)年
  3月    信濃に降灰。 草木が皆枯れる。(日本書紀29)

686 朱鳥 1  大津皇子の変=謀反の嫌疑で捕らえられ自害

686(朱鳥 1)年
  1月    地震あり。
  3月 1日 信濃に降灰。
 12月 1日 西で地震あり。

687 持統 1  高句麗の渡来人を常陸国に新羅の渡来人を下毛野
 国におく
689 〃 3  新羅の渡来人を下毛野国におく 飛鳥浄御原令施行
 筑紫大宰栗田真人、隼人174人と布・牛皮・鹿皮を献ず
690 〃 4  戸令により戸籍をつくらせる
691 〃 5  、の制を定める

694 持統 8  藤原京に遷都

698 〃 2  公の逃亡多く、笞刑を定める

700 〃 4  道昭(行基の師)没し、火葬する(火葬の初め)

701(大宝 1)年
  3月26日 丹波(当時は丹波と丹後は同じ)で地震。3日間続く。
        若狭湾凡海郷島が沈没 し、頂上二つの小島のみになる。現在の冠島・履島。5月12日とも言う。

702 〃 2  初めて度量を諸国に分かつ 律令を分かつ薩摩国・多禰国を置く     

703(大宝 3)年
  7月    近江で噴火。 使を遣わして雨を名山大川に祈る。(続日本紀 3)

704 慶雲 1  疾病・飢饉の流行

706 〃 3  田租の法を改め、1町22束を15束とする
.
708 和銅 1  武蔵国、和銅を献上 銀銭・銅銭を鋳造

709 〃 2  巨勢麻呂・佐伯石湯、蝦夷を平定
 薩摩隼人郡司以下188人朝貢

奈良時代
710 和銅 3  奈良平城京に遷都

 薩摩国は舎人を、日向国は采女を貢ぐことを命ず

711 〃 4  はじめて諸国に駅を置く 私鋳銭を禁ず
712 〃 5  太安麻呂「古事記」を撰進

713 〃 6  丹後国・美作国を設ける
 日向国の曽於・大隈・姶羅を割いて大隈国を設ける

714 〃 7  奄美・石垣島・久米島の島人来る

715 霊亀 1  府浪人に逃亡地で調庸を課す
715(霊亀 1)年
  5月    三河・遠江で大地震。正倉47棟が倒壊。
        麁玉河(天竜川)が土砂でふさがり、氾濫。民家170余戸が水没。(続日本紀 6)
  7月    地震あり。天皇甕原離宮に行幸す。 (続日本紀 6)

716 〃 2  吉備真備・僧玄ら入唐
716(霊亀 2)年
  1月    地震あり。

717 養老 1  百姓の違法出家を禁じ、行基の活動を禁圧

718 〃 2  能登・安房・石城・石背国設置
718養老 2)年
 11月    彗星、月を守る。 (続日本紀 8)

『続日本紀』巻八養老二年(七一八)八月甲戌壬戌朔十三
秋八月甲戌。齋宮寮公文。始用印焉。

『続日本紀』巻八養老二年(七一八)八月乙亥十四
乙亥。出羽并渡嶋蝦夷八十七人來。貢馬千疋。則授位祿

『続日本紀』巻八養老二年(七一八)十月庚辰二十
庚辰。大宰府言。遣唐使從四位下多治比眞人縣守來歸。

『続日本紀』巻八養老二年(七一八)十一月壬寅辛夘朔十二
十一月壬寅。彗星守月

『続日本紀』巻八養老二年(七一八)十一月癸丑廿三
癸丑。始差畿内兵士。守衛宮城。

719 〃 3  按察使を諸国に置く (畿内・西海道を除く)
719(養老 3)年
  3月    地震あり。

720 〃 4  舎人親王ら「日本書記」を撰進
 隼人反乱 大伴旅人(征夷大将軍)を派遣

720(養老 4)年
  2月    地震あり。

721(養老 5)年
  1月    地震あり。
  2月    地震あり。
 12月    地震あり。

722 〃 6  良田百万石の開墾を計画

723 〃 7  三世一身の法制定
 大隈・薩摩の隼人が朝貢

724 神亀 1  陸奥国に多賀城を築く
724(神亀 1)年
        行基、山崎橋を作り法会が行われる。俄に洪水となり、橋は流失し死者多数。(古事談 3)

727 〃 4  渤海国使、出羽国に初めて来着

727(神亀 4)年
 10月    上総で山崩れがあり、70人が圧死。賑恤を加える。

729 天平 1  長屋王(天武皇孫)、謀反で糾問 自殺

730 〃 2  皇后宮職に施薬院をおく 諸国に防人を置く
 大隈・薩摩両国で班田制導入を断念、墾田とする
731 〃 3  宇合・藤原麻呂・葛城王ら6人を参議とする
732 〃 4  新羅使の来貢を3年に一度とする
733 〃 5  出羽柵を秋田に移す

734(天平 6年)
  4月    大地震。 百姓の舎倒壊多数。山崩れで川がせき止められ決壊多数。
       使を諸国に派遣し、破壊された神社を調査する。 (続日本紀11)
735 〃 7  吉備真美・玄ら唐より帰り、諸物を献上

737 天平 9  藤原不比等の四子死去

738 天平 10  橘諸兄、右大臣となる

738(天平10)年
  9月    地震あり。

739 〃 11  大宰府管内以外の軍団廃止

740 (天平12)年  藤原広嗣の乱
 藤原広嗣の乱に隼人動員

741(天平13)年  国分寺建立の詔
741(天平13)年
  6月    洛中に飯が降ると水鏡にいう。 翌年の記録と誤認か。 (吾妻鏡52)(康富記)

742 〃 14  近江紫香楽に離宮を造営
742(天平14)年
  1月    陸奥黒川郡以北11郡に赤雪降る。平地で2寸。 (続日本紀14)
  3月    地震あり。(続日本紀14)
  6月    京中往々に飯が降る。 (続日本紀14)
 10月23日 大隅で大地震あり。28日まで余震続く。 
 11月    陸奥に丹雪が降る。 (吾妻鏡52)
 12月16日 地震あり。(続日本紀14)
    この年、霧島御鉢で噴火。 (日本火山総覧)
743 〃 15  墾田永代私有令制定…墾田の永久使用を認める

744 天平 16  難波京に遷都

744(天平16)年
  5月    肥後で地震。(続日本紀15)

745 天平 17  平城京に都を復す 玄、筑紫に左遷

745(天平17)年
  4月27日 美濃で大地震。三日揺れが続く。櫓館、正倉、仏寺、堂塔、百姓の廬舎崩壊する。(続日本紀16)
  5月 2日 地震あり。 都の諸寺に17日間経を転読させる。また8日にも地震。
大安、薬師、元興、興福の4寺で大集経を37日転読。
10日にも地震あり、平城宮で大般若経を転読。地震で各地に亀裂が生じ、水が湧き出る。

746 〃 18  諸寺が墾田・園地を競い買うことを禁止
747 〃 19  東大寺大仏鋳造開始

749 勝宝 1 仲麻呂、大納言兼紫微中台の長官となる 大仏鋳
 造完成

750(天平勝宝 2)年
  5月24日 中山の寺振動、塔と歩廊が焼失する。
752 〃 4  東大寺大仏開眼供養

753(天平勝宝 5)年
 12月    摂津に津波至り被害大。田租の免除を行う。
757 宝字 1  養老律令施行 橘奈良麻呂の変
758 〃 2  諸道に問民苦使を遣わす
759 〃 3  諸国に常平倉を置く
760 〃 4  恵美押勝(仲麻呂)、大師(太政大臣)となる
762 〃 6  孝謙上皇、押勝の擁する淳仁天皇を非難

762(天平宝字 6)年
  5月 9日 美濃、飛騨、信濃で地震。家ごとに二斛を支給する。(続日本紀24)
764 〃 8  恵美押勝の乱

764(天平宝字 8)年
  9月    反乱者恵美押勝の臥屋の上に星が落ちる。 (続日本紀25)
 12月    これより以前に大隅薩摩の境で奔電があり、信爾村の海に沙石が降って3つの島となる。
        民家62区が埋没し80余人が死亡。(類聚国史11)(続日本紀25)
765 神護 1  道鏡太政大臣となる 寺院以外の新墾田を禁ず
766 〃 2  道鏡、法王の位を授けられる

766(天平神護 2)年
  6月 5日 これより前大隅神造新島で地震。民多く流亡する。桜島噴火。 (続日本紀27)
767 景雲 1  陸奥の伊治城完成
768 〃 2  筑前の怡土城完成
769 〃 3  和気清麻呂、道鏡を大隈に配置流
770 宝亀 1  道鏡を下野(栃木)薬師寺に追放

771 〃 2  武蔵国を東山道から東海道に編入

771(宝亀 2)年
  5月23日 豊後速見郡敵見で山崩れ。川を堰止め、十余日後に決壊。百姓47人が漂没し家43区が埋没。
        調庸の免除と賑救の詔が出される。
 11月    西南に星隕。その音、雷の如し。 (続日本紀31)
772 〃 3  再び墾田の私有を許す

772(宝亀 3)年
  6月    京師に隕石。大きさ柚子の如し。数日で止まる? 
 12月    彗星南方に現れる。 僧100人斎を楊梅宮に設ける。星隕雨の如し。

773(宝亀 4)年
  2月    地動く。(日本書紀22)
  5月    南北に各一つずつ星隕あり。 (続日本紀32)

774 〃 5  諸国、飢饉 陸奥国、蝦夷反乱
776 〃 7  出羽国志波村の蝦夷反乱

776(宝亀 7)年
  7月19日 西大寺の塔揺れる。 (続日本紀34)
  9月20日?毎夜瓦石や塊が内竪曹司や京中の家屋上に墜ちる。 (続日本紀34)(吾妻鏡52)

777 〃 8  陸奥・出羽の軍、出羽の蝦夷に敗れる

 777(宝亀 8)年
  2月 晦日 日蝕あり。 (続日本紀34)
  7月14日 但馬国分寺の塔揺れる。 (続日本紀34)

780 〃 11  陸奥国上治郡司、伊治呰麻呂が反乱
781 天応 1  中宮職を設置 藤原小黒麻呂、蝦夷を平定

 781(天応 1)年
  3月    地震あり。
  5月    地震あり。
  6月    地震あり。
  7月 6日 駿河より富士山噴火で降灰があり、木葉彫萎するという。(続日本紀36)
 11月    地震あり。

782 延暦 1  氷上川継、謀反の嫌疑で伊豆に配流

782(延暦 1)年
  1月    地震あり。
  2月    地震あり。
  6月    地震あり。

784 延暦 3  山背(山城)長岡京に遷都

785 〃 4  「万葉集」編者大伴家持死 (716→)

788 延暦  7  最澄、比叡山延暦寺を建立

788(延暦 7)年
  3月 4日 大隅曾乃峯で夜10時頃噴火。 2時間ほどで収まり、石や灰が麓56里に降る。

789 〃 8  大墓阿弓流為、蝦夷征討軍を大破
789(延暦 8)年
  1月 1日 日蝕あり。 

791 〃 10  豊後・日向・大隈国で飢饉
792 〃 11  軍団を廃し、健児を置 く(陸奥・出羽等を除く)

794 〃 13  京都平安京に遷都

795 〃 14  公出挙利率を3割に減ずる

平安時代
797 〃 16  坂上田村麻呂、征夷大将軍に任官
797(延暦16)年
  8月14日 京畿に地震暴風あり。
798 〃 17  渤海に使を遣わす

799 〃 18  渤海使の来日を6年に一度とする
799(延暦18)年
  8月11日 常陸国鹿島・那加・久慈・多珂の4郡に津波が15回押し寄せる。
        海面は20余町引いた後、津波が内陸1町まで達するという。(日本被害地震総覧)

800 〃 19 . 大隈・薩摩両国百姓の墾田を収めて口分田を授け
 る
800(延暦19)年
  3月14日 富士山噴火。煙で暗瞑するという。夜、火光が天を照らし、雷の如き音がするという。
        灰が雨のように降り、河水皆紅色になると言う。4月18日まで続く。(日本紀略)
  6月 1日 日蝕あり。

801 延暦 20  坂上田村麻呂、蝦夷地を平定
 大宰府に隼人の朝貢停止を命じる

802 〃 21  坂上田村麻呂、胆沢城を築く 
802(延暦21)年
  1月 1日 駿河・相模より、富士山噴火で砂礫が降ってくるので占いを求むと言上あり、卜すると、疫になるという。
        勅して両国に鎮謝を加える。(日本略記)
  5月    相模足柄路、富士の焼石によって塞がれたので、これを廃し、筥荷路(箱根路)を開く。(日本紀略)
803 〃 22  坂上田村麻呂、志波城を築く
804 〃 23  坂上田村麻呂、征夷大将軍に再任される    
805 〃 24  最済帰国して天台宗を開く
805(延暦24)年
  1月    未刻、大星隕。 (日本後紀12)

806 大同 1  空海帰国して真言宗を伝える
 旱魃疾病につき日向・大隈・薩摩は田租1年免 
806(大同 1)年
  8月    この月、霖雨やまず、諸国で洪水。 (日本後記14)
807 〃 2  藤原宋茂の謀反発覚し、伊予親王ら自害    
807(大同 2)年
  5月25日 地震あり。(日本逸史15)

808 〃 3  畿内の班田を6年に一度に復す

809 大同 4  平城上皇、平城旧京へ移る

810 弘仁 1  初めて蔵人所を置く 藤原薬子の乱
810(弘仁 1)年
  6月26日 夜地震あり。

811 〃 2  文室綿麻呂を征夷大将軍に任命
811(弘仁 2)年
 12月16日 地震あり。

812 〃 3  国司が公廨田以外に水陸田を営むことを禁止
812(弘仁 3)年
  6月   薩摩で蝗害。 5日には、逋負稲5000束を免除する。

814 〃 5  諸皇族に源姓を賜う 疱瘡流行、死者多し

815 〃 6 . 薩摩国蝗(イナゴ)害により調・庸・租を免ぜられる
815(弘仁 6)年
  5月14日 薩摩で蝗害。調庸田租免除。

816 〃 7  左衛門大尉吉田書主に検非遺使の役兼行
816(弘仁 7)年
  1月    沙、雨のように降る。 (日本紀略)
  7月17日 摂津で海が溢れる。死者220人。 (日本逸史25)(日本
後紀26)
 12月13日 地震あり。18日と20日にも地震。 (日本逸史25)(日本後紀26)(日本紀略)

818(弘仁 9)年
  7月    関東で大地震。 死者多数。 (日本逸史26)
  8月19日 諸国で地震の被害を調査し、救恤を行う。 

819(弘仁10)年
 12月 3日 薩摩での蝗害により、田租免除となる。

820 〃 11  弘仁格式完成

821 〃 12  空海、讃岐の満濃池をつくる

822(弘仁13年) 最澄、比叡山の中道院で没。没後7日目、大乗戒壇設立は、弟子の光定と、藤原冬嗣、良岑安世の斡旋により勅許。

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