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柿島さんKの動揺

先日4月13日 光晴君へ電話でいじめの事実と成り行きを告げ、と学校とまず話し合いをして、今後わたしに対しての対応を決めてほしいことを伝えました。

光晴君本人は『覚えていない。いじめの資料はみたくない。』と拒否いたしましたので、14日ご両親当てに声楽科グルみのいじめについて その1からその2をフロッピーにて郵送しました。まだ何の連絡もありません。

①柿島さん読谷山さんご両親双方に音楽科よりいじめの事実と今後わたしに対しての対応を是非お話ください。

柿島さま   前略
2002の文化祭以降、読谷山さん柿島さんの発言を読谷山さんとわたしと双方メールで話し合いました。結果は音楽科の先生にご報告しています。今後も音楽科会議で話し合われます。校長にも報告してあります。
2003年11月読谷山さんは『柿島さんが読谷山さんはMさんが好きかもしれないけどMさんはそう思われたくない。Mさんは柿島さんや堀内君にひつこく電話して読谷山さんの事を聞いている。』
読谷山さんは柿島さんの言葉が気になる。と担任との話し合いで言いました。
一方わたしに対しては2002の文化祭の前電話で『Mさんは読谷山さんのこと好きかもしれないけど読谷山さんはそう思われるのがいや』と言い『柿島君が間に入る』といいわたしに『好きか嫌いか聞いてきました。』わたしは好きでも嫌いでもない誤解を解きたいだけと答えました。
柿島君は『Mさんは親友だ明日から僕の人生はばら色だこれで心おきなく読谷山に行ける。』と言いました。また読谷山さんとのメールの内容を教えてくれといい『主科がんばって下さい。』との内容を告げました。柿島君は『読谷山さんとのメールを読谷山さんが嫌がるので『止める様』にとしてきされました。
2002秋、柿島君は『僕が間に入る』とこのことを読谷山さんに伝えると言い確かに伝えたといいました。読谷山さんはわかったと返事したと聞きました。柿君はよく高1へカードゲームをしに行っていました。読谷山さんが高等部の畠中くんからも『読谷山さんはMさんが好き』と聞いたそうですそのほかにも卒業生のコンサートのチケットをわたしに柿島君が渡さなかった事を堀内に携帯して読谷山さんに告げました。

これらのことが読谷山さんがMさんに想われたと思い感情的になり堀内君やクラス先生にわたしが悪いような発言をして引き金となりいじめに発展しました。今後は読谷山さん柿島さんご両親双方で協議していただきわたしに対してそれなりの対応を望みます。

音楽科各位あて       2005/4/13

柿島さんに送った文面の一部です。速やかな対応を音楽科各位に願います。





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