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浄土真宗親鸞会 三河HSJ

三河の学徒が集うブログです。なぜ生きる(人生の目的)などについて語っていきたいと思います。(浄土真宗親鸞会)

歎異抄第3章の悪人とは

2009年03月03日 06時27分14秒 | Weblog
3月1日は芥川龍之介が1892年に生まれた日でした。
この日に蜘蛛の糸の話を聞くご縁がありました。

 助けた蜘蛛の糸を縁として、血の池地獄から助かるかも
しれなかったカンダッタでしたが、結局我利我利の無慈悲な
本性は変わらず、また地獄へ堕ちて行きました。

 自分さえ助かれば他人はどうなってもいい、という我利我利亡者の
本性は、仏教では貪欲と言われます。貪欲は三毒の煩悩の一つ。
人間である限り死ぬまでなくならない心です。

 ですから、芥川だけでなく、全人類はカンダッタと同じ我利我利の心
を持っている悪人です。

 そのすべての人(悪人)を救う弥陀の本願を知らなかった芥川は
何のために人間に生まれてきたのか、生きているのかわからず、
ぼんやりした不安を晴らすこともできず、1927年7月24日未明
35歳の若さで自ら命を絶っていきました。

 天上天下唯我独尊。人間に生まれた「独尊」を知らなかった悲劇、
仏縁のなかった悲劇です。

 何のために人間に生まれてきたのか、何のために生きているのか、
なぜ自殺してはいけないのか、生命の尊厳(独尊)を教えた本当の仏教
を知らなかった悲劇です。

 本当の仏教とは、カンダッタの心をもった全人類(悪人)を救う
という弥陀の本願です。
 自分がカンダッタのような我利我利の心をもった悪人、と気づいていない人
(善人)も真実の仏教(弥陀の本願)を聞く縁があれば、必ず自力がすたり、
悪人と知らされ、本願通り往生を遂ぐ身に救われます。
「将来に対するぼんやりした不安」も全くなくなり、将来往生間違いなし
とツユチリほどの疑いもなくハッキリするのです。

  歎異抄第3章の「善人なほもって往生を遂ぐ、いはんや悪人をや」
の悪人とは他力をたのみたてまつる悪人(弥陀に救い摂られた人)
のことであり、法律や倫理道徳の悪人、難行苦行のできない悪人
のことではないのです。

 高校の日本史の教科書に歎異抄第3章全文が掲載されるように
なったのは尊いことですが、善人、悪人の意味を間違えて注釈して
いるのは改めてもらわねばなりません。