先日歎異抄の思想、親鸞聖人の平等思想について、
年頭の高森先生のお言葉を通して語り合いました。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
福沢諭吉の言葉ですが、
すでに、釈尊は三千年の古に「万人は平等なり」と道破なされています。
カースト制度の差別の世で総ての人の平等を宣言されたのだから驚嘆せずにおれ
ません。
親鸞聖人はあの階級制度のきびしい封建社会にあって、
「御同朋・御同行」とかしずかれ、
歎異抄には「親鸞は弟子一人も持たず候」と平等思想があふれています。
古今東西の人類が、常に求めて止まぬ平等。
人類は未だ真の平等に満足したことがなく、不満はいろいろ形を変えて噴出して
います。
ところが親鸞聖人は、その差別あるままで万人が、
平等一味になれる世界があることを喝破されているのです。
正信偈には
「凡・聖・逆・謗、ひとしく廻入すれば、衆水の海に入りて一味なるがごとし」
「阿弥陀仏に救われた無碍の一道は、総ての川の水が海に入ると一味になるように、
老若男女、才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違いなど関係なく、
出世の本懐を果たし真の平等に、万人が共生する世界なのだよ」
と教えられています。
親鸞聖人は法然上人とまったく同じ信心であることを友達と諍論まで
されて、平等一味の他力信心の世界を明らかにされました。
全人類の求めてやまない平等一味の差別のない世界はここに厳存するのです。
年頭の高森先生のお言葉を通して語り合いました。
「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」
福沢諭吉の言葉ですが、
すでに、釈尊は三千年の古に「万人は平等なり」と道破なされています。
カースト制度の差別の世で総ての人の平等を宣言されたのだから驚嘆せずにおれ
ません。
親鸞聖人はあの階級制度のきびしい封建社会にあって、
「御同朋・御同行」とかしずかれ、
歎異抄には「親鸞は弟子一人も持たず候」と平等思想があふれています。
古今東西の人類が、常に求めて止まぬ平等。
人類は未だ真の平等に満足したことがなく、不満はいろいろ形を変えて噴出して
います。
ところが親鸞聖人は、その差別あるままで万人が、
平等一味になれる世界があることを喝破されているのです。
正信偈には
「凡・聖・逆・謗、ひとしく廻入すれば、衆水の海に入りて一味なるがごとし」
「阿弥陀仏に救われた無碍の一道は、総ての川の水が海に入ると一味になるように、
老若男女、才能の有無、健常者・障害者、人種や職業・貧富の違いなど関係なく、
出世の本懐を果たし真の平等に、万人が共生する世界なのだよ」
と教えられています。
親鸞聖人は法然上人とまったく同じ信心であることを友達と諍論まで
されて、平等一味の他力信心の世界を明らかにされました。
全人類の求めてやまない平等一味の差別のない世界はここに厳存するのです。