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浄土真宗親鸞会 三河HSJ

三河の学徒が集うブログです。なぜ生きる(人生の目的)などについて語っていきたいと思います。(浄土真宗親鸞会)

人生の目的と歎異抄

2009年01月20日 18時17分42秒 | Weblog
 私達は人生紆余曲折の中で一度ならずも、

「なんのために生まれてきたのか」
「必ず100%死ぬのに、なぜ生きるのか」
「なぜ人間の命は地球よりも重いと言われるのか」

など人生の目的を考えます。

 しかし、考えても分からないのでやがて考えなくなり、目先のことに心奪われ、

先のことは考えないようにして、今さえ楽しければいいと、思っているうちに、

時が矢のように過ぎていきます。

 その人生の目的が歎異抄にずばり教えられています。
 
 第1章の初めに、「摂取不捨の利益」とあります。

 人生の目的は摂取不捨の利益にあずかることだ、

と親鸞聖人は教えておられます。


☆☆☆☆

 高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』第2部2には、

「摂取不捨」とは文字通り、“摂め取って捨てぬ”ことであり、

「利益」とは幸福のことである。

 “ガチッと摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸福”を、「摂取不捨の利益」

といわれる。「絶対の幸福」と言ってもよかろう。

☆☆☆☆

とあります。親鸞聖人が教えられる「摂取不捨の利益」とは?

執筆された高森顕徹先生が、過去愛知県で「歎異抄について(人生の目的)」

について講演されています。

 1月22日(木)ヒル2時~4時、ヨル7時~9時岡崎市竜美丘会館5階503

号室で聞かせて頂きます。


歎異抄の誤解

2009年01月17日 22時42分34秒 | Weblog
そもそも歎異抄は、最後に作者自身が

「一室の行者のなかに信心異ることなからんために、

泣く泣く筆を染めてこれをしるす。

名けて『歎異抄』といふべし。

外見あるべからず」

と記しており、

また、蓮如上人が

「右斯聖教者、為当流大事聖教也。

於無宿善機、無左右不可許之者也。

釈蓮如御判」

と奥書で注意なされているのに

左右無く外見したのは一体誰なのか。

今日の歎異抄による浄土真宗の誤解と衰退を

生み出した元凶は誰なのか。

大いに糾弾されねばなりません。


問題の教科書の記述

2009年01月16日 22時50分21秒 | Weblog
問題の高校日本史教科書には

「親鸞は、心から阿弥陀仏の救いを信じて念仏をとなえれば、

ただ一度の念仏で極楽往生が約束されると説いた」

と記載されていました。


 そのことについて、高森顕徹先生『歎異抄をひらく』第2部1に

下記のように記述されています。


☆ ☆ ☆ ☆ 

 これは歎異抄第1章の「『念仏申さん』と思いたつ心のおこるとき」を、

「一度の念仏を称えたとき」と勘違いしたところにあったのである。

発端

2009年01月15日 06時07分49秒 | Weblog
 発端は昭和57年10月4日毎日新聞投書欄への「教科書の仏教にも間違い?」という投書からです。

 もう25年以上も前のことです。

歎異抄第1章

2009年01月14日 08時02分07秒 | Weblog
 実はこの教科書、以前記述間違いをしたのと同じ会社の高校日本史の教科書でした。
 
 そのことは、昨年3月発売された高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』2部の最初に記述されています。
 
 歎異抄第1章を誤読し、高校の教科書に記載してしまったという、当時の新聞の声欄でも話題となった事件です。
 
 少し当時のことを思い出してみましょう。

歎異抄第3章

2009年01月13日 09時37分21秒 | Weblog
高校1年の息子の使っている日本史の高校の教科書に
「善人なをもちて往生を遂ぐ、いはんや悪人をや。
 しかるを世の人つねに曰く、
「悪人なを往生す、いかにいはんや善人をや」
が掲載されていました。
そして、教科書執筆者が善人、悪人に注釈を加えています。
読んで驚きました。