私達は人生紆余曲折の中で一度ならずも、
「なんのために生まれてきたのか」
「必ず100%死ぬのに、なぜ生きるのか」
「なぜ人間の命は地球よりも重いと言われるのか」
など人生の目的を考えます。
しかし、考えても分からないのでやがて考えなくなり、目先のことに心奪われ、
先のことは考えないようにして、今さえ楽しければいいと、思っているうちに、
時が矢のように過ぎていきます。
その人生の目的が歎異抄にずばり教えられています。
第1章の初めに、「摂取不捨の利益」とあります。
人生の目的は摂取不捨の利益にあずかることだ、
と親鸞聖人は教えておられます。
☆☆☆☆
高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』第2部2には、
「摂取不捨」とは文字通り、“摂め取って捨てぬ”ことであり、
「利益」とは幸福のことである。
“ガチッと摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸福”を、「摂取不捨の利益」
といわれる。「絶対の幸福」と言ってもよかろう。
☆☆☆☆
とあります。親鸞聖人が教えられる「摂取不捨の利益」とは?
執筆された高森顕徹先生が、過去愛知県で「歎異抄について(人生の目的)」
について講演されています。
1月22日(木)ヒル2時~4時、ヨル7時~9時岡崎市竜美丘会館5階503
号室で聞かせて頂きます。
「なんのために生まれてきたのか」
「必ず100%死ぬのに、なぜ生きるのか」
「なぜ人間の命は地球よりも重いと言われるのか」
など人生の目的を考えます。
しかし、考えても分からないのでやがて考えなくなり、目先のことに心奪われ、
先のことは考えないようにして、今さえ楽しければいいと、思っているうちに、
時が矢のように過ぎていきます。
その人生の目的が歎異抄にずばり教えられています。
第1章の初めに、「摂取不捨の利益」とあります。
人生の目的は摂取不捨の利益にあずかることだ、
と親鸞聖人は教えておられます。
☆☆☆☆
高森顕徹先生の『歎異抄をひらく』第2部2には、
「摂取不捨」とは文字通り、“摂め取って捨てぬ”ことであり、
「利益」とは幸福のことである。
“ガチッと摂め取って永遠に捨てぬ不変の幸福”を、「摂取不捨の利益」
といわれる。「絶対の幸福」と言ってもよかろう。
☆☆☆☆
とあります。親鸞聖人が教えられる「摂取不捨の利益」とは?
執筆された高森顕徹先生が、過去愛知県で「歎異抄について(人生の目的)」
について講演されています。
1月22日(木)ヒル2時~4時、ヨル7時~9時岡崎市竜美丘会館5階503
号室で聞かせて頂きます。