区役所なう。
前の職場で、送迎で何度も通った道を歩いていたら、
涙が出そうになりました。
単純に懐かしいだけじゃない、このぐるぐるした感情。。
辞めたことは後悔していない。
私にとっては仕事なんて、
大切な人との生活に比べたら、
というか比べるまでもなく、
全く大事ではなくて。
でも、悔しかったのは事実。
乗り切れなかったこと。
頭数がいなくてパンクしていた。
でも、やれる範囲でやるという選択肢もあった。
お客様に楽しいと思ってもらえるようなサービスを諦めて、
食事、入浴、利用時間中の安全の確保、の最低限のサービスの提供だけなら、続けられたと思う。
でもそれって、意味ある?と思うし、
それ以前に、内覧会の時に説明したサービス内容が嘘になってしまうし、
もう後戻りはできなかった。
辛かった。しんどかった。
その方が優っていたけれど、
でも、その分返ってくるやりがいと楽しさがあった。
施設を作り上げていくって、こういうことなんだってことを、
毎日体感していた。
通常業務すら、誰も教えてくれない中で、
ルーチンを作り上げていくことの大変さ。
送迎ひとつとっても、
席順、送迎順、道順、すべてが試行錯誤だった。
土地勘のない中で、道を覚えるのも奮闘していた。
なんかそういうの、まざまざと思い出した。
あの頃に戻りたくはないけれど、
あの頃の、一緒に闘った人たちと、話したい。
前の職場で、送迎で何度も通った道を歩いていたら、
涙が出そうになりました。
単純に懐かしいだけじゃない、このぐるぐるした感情。。
辞めたことは後悔していない。
私にとっては仕事なんて、
大切な人との生活に比べたら、
というか比べるまでもなく、
全く大事ではなくて。
でも、悔しかったのは事実。
乗り切れなかったこと。
頭数がいなくてパンクしていた。
でも、やれる範囲でやるという選択肢もあった。
お客様に楽しいと思ってもらえるようなサービスを諦めて、
食事、入浴、利用時間中の安全の確保、の最低限のサービスの提供だけなら、続けられたと思う。
でもそれって、意味ある?と思うし、
それ以前に、内覧会の時に説明したサービス内容が嘘になってしまうし、
もう後戻りはできなかった。
辛かった。しんどかった。
その方が優っていたけれど、
でも、その分返ってくるやりがいと楽しさがあった。
施設を作り上げていくって、こういうことなんだってことを、
毎日体感していた。
通常業務すら、誰も教えてくれない中で、
ルーチンを作り上げていくことの大変さ。
送迎ひとつとっても、
席順、送迎順、道順、すべてが試行錯誤だった。
土地勘のない中で、道を覚えるのも奮闘していた。
なんかそういうの、まざまざと思い出した。
あの頃に戻りたくはないけれど、
あの頃の、一緒に闘った人たちと、話したい。