神奈川近代文学館へ向かう谷戸坂の石畳に
たんぽぽが咲いているのを見かけたのは・・・
もう何日前のことでしょうか?
そういえば・・・
一昨日の日曜日は、偶然に朝早くに目が覚めてしまい
ふと、テレビをつけると
以前は、よく観ていた、Eテレの「こころの時代」という番組で
ベトナム出身の禅僧ティクナット・ハン師のお話が放映されていました。
どこで、その方のお名前を目にしたのか・・・
定かではありませんが、ちょうど3年ほど前に
気になる本を借りて、読む機会がありました。
機会があれば、いつかお話をお聴きしてみたいなぁと想いつつ
番組表も、メールやツイッターのお知らせも見られないなかで
その番組に、行き当たったことの偶然に
ただただ、感謝しています。
Eテレ こころの時代 シリーズ 第一回の再放送は
4月 11日 土 午後1時00分
『禅僧ティク・ナット・ハン 第一回 怒りの炎を抱きしめる』
4月 12日 日 午前5時00分~午前6時00分
『第二回 ひとりひとりがブッダとなる』
相変わらず・・・
ヒトの意識にまつわることが、どうにも気にかかってならない私です。
明日夜9時は #NHKスペシャル 「新アレルギー治療」司会は #加藤浩次 さん。マンゴーアレルギーとのこと。ゲストは #松嶋尚美 さん。
そしてTレグの発見者、大阪大学の坂口志文博士も出演。 #ニュースウォッチ9 の担当になった #鈴木奈穂子 アナが司会とナレーションを担当です!
わたしを
ほんとうの名前で呼んでください…
Eテレ #こころの時代 を
#観ながら
ティク・ナット・ハン師の
穏やかなお姿と
しずかなお声にふれて… pic.twitter.com/SeXJl6MWky
メモ:こころの時代 シリーズ
禅僧ティク・ナット・ハン 第一回「怒りの炎を抱きしめる」
世界的影響力のある禅僧ティク・ナット・ハンの教えに耳を澄ます2回シリーズ。
#気になるお話
いま…
この時をともにして… ln.is/www4.nhk.or.jp…
メモ:落合直文 - Wikipedia
ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD…
近代短歌の草創期…
#気になる人
短歌… ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%90%BD…
俵万智さん
「とれたての短歌です」
短歌と写真
イメージの飛ばし方…
浅井慎平さんの言葉。
佐佐木幸綱さん
短歌は、音楽…
内側にある音楽を聴く耳を持つ人…
自然体…
万智の一人百首
ln.is/www.gtpweb.net…
偶然の早起きの朝に…
まぁ~♪
茂木健一郎さんがゲスト☆
選者池田澄子さんのテーマ
びっくりして嬉しくなる俳句…
RT @NHK_ETV: NHK
#Eテレ 06:35 NHK俳句 題「桜または花」 nhk.jp/P51 #nhketv
ほほぉ…
「島ノ唄」を観た映画館…
RT @kenichiromogi: これから、関野吉晴さんにお話をうかがいます。 今、ポレポレ東中野で、映画 縄文号とパクール号の航海、上映中! jomon-pakur.info pic.twitter.com/6Fdb4YhVg9
私事で恐縮だが、この数ヶ月くらい、ツイッターで書くスタイルを少しずつ意識して変えた。何か、ある事象に触発されて書くときにも、その事象を名指ししないで、より一般的で、普遍的な言葉を使って書くようになったのだ。すると、面白い変化が起こった。
たとえば、あるニュースに腹を立てて書くときにも、その腹が立った原因を名指ししないで、より一般的な(悪く言えば曖昧な)表現で書く。読む人が(すなわち、私と同じように、その事象に腹を立てている人が)読めば「ははあ」とピンと来るだろうが、そうではない場合もあるだろう。
このようなスタイルで書くことを、「炎上を避ける配慮」と捉える人もいるかもしれない。本人の意識としては、必ずしもそうではないが、そう捉えられても、まあ、いいかな、と思う。過去にさんざん炎上を経験した本人としては、炎上はあまり生産的ではないと思うし、他のやり方もあると思うからである。
表現を一般的、かつさまざまな解釈が可能なかたちにして書くと、興味深い事象が生じた。すなわち、私がもともとそのようなツイートを書く原因になった事象をピタリと当ててくる人もいれば、全然、別件のことだろうと思って反応してくる人がいる。さらには、自分のことだろうと思って返す人もいる。
そんな時、私は、「ああ、メッセージが届いたのだ」と思う。もともと、ツイッターはRTや引用や拡散を続けるうちに、文脈を超えて届いたり、誤配達されることもある。元々の名宛人ではない人に届いてしまうこともあるのだ。それが、ツイッターのようなSNSの宿命ならば、受け入れてしまえばいい。
さまざまな解釈が可能なかたちで表現しておくと、それを読んだ人が、「あのことだな」「私のことかしら」と思ってくださったその瞬間に、メッセージが届く。それは、書き手が意図していなかったことであるが、ある意味では、言葉というものの機能の、最も幸せな瞬間でもあると思う。
ツイッターは、社会実験の側面もあると思う。何が届き、何が届かないのか。誤配達が、いかに起こるか。一対一のコミュニケーションでさえ、誤配達は起こる。ましてや、ツイッターでは、誤配達は日常茶飯事である。それならば、誤配達を前提にした、言葉の設計の仕方もあるのだと、考えるようになった。
私の拙い言葉たちは、読んでくださる方々の心に、どのように届いているのだろう。それが、意図しないもの、文脈を超えたものであるほど、言葉たちはある意味幸せだと思うし、また、ツイッターに毎朝向き合って連続ツイートなるよしなしごとを書きつくる私としても、とっても幸せなことだと感じている。
言葉をめぐり…
意識をめぐり…
ふと窓の外に目をやり
しずかな雨音に、耳を澄ませて…