これは、邦題「ペイ・フォワード〔可能の王国〕」という映画のタイトルです。
映画をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?
原作の小説の作者は、キャサリン・ライアン・ハイド氏です。
私は、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル
~自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!~というブログの中で
カイパパさんがご紹介していらしゃっていて、映画のことを知りました。
カイパパさんは、ブログを通して、多くの方に呼びかけて
発達障害者支援法の成立に、ご自分たちで働きかけることで
昨年12月の成立への道を、切り開いていらっしゃいました。
カイパパさんの書かれた『ぼくらの発達障害者支援法』(ぶどう社)を読むと
当事者自らが積極的に動くことで、周りの理解を得ながら
多くの方との連携を実現していくことができるということを
実際に、目の当たりにすることができます。
こうやって書くと、簡単に見えてしまうかもしれませんが
想像してみれば、それはもうほんとうにタイヘンなことです。
けれど、ご自分のお子さんのことだけでなく、仲間みんなのことを考えると
きっとそうしないではいられなかったお気持ちが、私にもよくわかりました。
きっと、その原点にもなったのがこの映画の「 PAY IT FORWARD 」という
考え方=生き方なのではないかと感じています。
物語の舞台はアメリカですが、日本も同じように
現実の世界はとても厳しい状況にあると思います。
その中で、人と人とのつながりの意味や新しい家族の形も問いながら
今、私自身の生き方をも問い直すことを求められていると思います。
大げさなことではなく、今、自分の身の回りで何ができるのかを
私は、とても考えさせられました。
内容を詳しくご説明することは、ここではいたしませんが、
良かったら、映画でも本でも、どこかで探してご覧になってみてください。
私が、今までに出会った方からいただいた親切を
今度どこかで出会う誰かに“次に渡して”(PAY IT FORWRD )いけたら
きっと、どんなにか素敵だろうなぁと想っております。
映画をご覧になった方はいらっしゃるでしょうか?
原作の小説の作者は、キャサリン・ライアン・ハイド氏です。
私は、カイパパ通信blog☆自閉症スペクタクル
~自閉症から広がる、チャレンジに満ちた新しい世界!~というブログの中で
カイパパさんがご紹介していらしゃっていて、映画のことを知りました。
カイパパさんは、ブログを通して、多くの方に呼びかけて
発達障害者支援法の成立に、ご自分たちで働きかけることで
昨年12月の成立への道を、切り開いていらっしゃいました。
カイパパさんの書かれた『ぼくらの発達障害者支援法』(ぶどう社)を読むと
当事者自らが積極的に動くことで、周りの理解を得ながら
多くの方との連携を実現していくことができるということを
実際に、目の当たりにすることができます。
こうやって書くと、簡単に見えてしまうかもしれませんが
想像してみれば、それはもうほんとうにタイヘンなことです。
けれど、ご自分のお子さんのことだけでなく、仲間みんなのことを考えると
きっとそうしないではいられなかったお気持ちが、私にもよくわかりました。
きっと、その原点にもなったのがこの映画の「 PAY IT FORWARD 」という
考え方=生き方なのではないかと感じています。
物語の舞台はアメリカですが、日本も同じように
現実の世界はとても厳しい状況にあると思います。
その中で、人と人とのつながりの意味や新しい家族の形も問いながら
今、私自身の生き方をも問い直すことを求められていると思います。
大げさなことではなく、今、自分の身の回りで何ができるのかを
私は、とても考えさせられました。
内容を詳しくご説明することは、ここではいたしませんが、
良かったら、映画でも本でも、どこかで探してご覧になってみてください。
私が、今までに出会った方からいただいた親切を
今度どこかで出会う誰かに“次に渡して”(PAY IT FORWRD )いけたら
きっと、どんなにか素敵だろうなぁと想っております。
「親切を次へ渡す」ということも重要だと思いますが、
「その人ができないことを自分ができるなら助けてあげる」というのが重要なのだと思いました。
すると、助けてもらったその人は他の誰かが困っているときに助けてあげる。その手助けはもしかすると、一番最初に助けた人ではできないことかもしれない。
つまり、一つの手助けによって、自分ではできない手助けをも生み出すことができるというのがすばらしいことなんだな、と思ったんです。
だから、トレバーの最後の場面は、自分にはできないことをしようとしたために起こったのであり、本当は別の誰かを助けることによって、もっとよい結末が待っていたのではないか、と思ったんです。
説明が意味不明だったらごめんなさい。。
ラストについては、私も考えました。
ハッピーエンドにすることもできたとも思いますが
あえて、あの形をとることによって現実の厳しさを表しているような気もします。
「何も特別なことではなく、できることをする」ことで
少しずつでも、何かを変えることができる・・・ことに私も意味を感じています。
ただ、私自身のことを振り返って言うと
トレバーが、逃げずにいつもと違うことをしようとした気持ちは
何だかとてもよくわかります。
自分自身を変えたいという気持ちでしょうか・・・
見た人それぞれが、いろいろと考えることができる映画でしたね・・・
通り過ぎないこと、見て見ぬフリをしないことかな・・・
そうですね・・・関心を寄せること・・・でしょうか?
平木典子先生のお話の中にも
「あなたのことを見ていますよ」というように気に留めていること
そのメッセージを子どもに送ることが
子どもの成長にとっても大切なことだとありました。
気になりすぎて、お節介になったりするところは気をつけようと思っています・・・
それをより良く進化させて、次の世代の人たちにお渡ししたいものです。
今、ある自分はこれまでの積み重ねの上にいて
そして、これからを生きる子どもたちに何を伝えていけるのか・・・
ほんとうに、そのつながりの中に私のいる意味があるのでしょうね・・・
ある方とお話していて私が「子どものことが好きだ」と申し上げたら
「なぜ好きなの?」と問い返されました。
その時は、すぐにお答えできませんでしたが、今、はっきりと言えるのは
「子どもは、未来そのものだから。」ということです。
「未来をたくす子どもだから、ほんとうに大切な存在なんだ。」と思います。