Little Tree

日々のいとなみのなかで感じた子どものこと、季節の移ろいやこころに映る風景

今日から、給食が始まります! ・・・その2

2008-04-10 14:42:01 | お気に入り
「好き嫌い」とひと言で、片づけられない…やや「ワケあり」のkirikouですが

「給食のありがたさ」のおかげで、ずいぶんと食べることのできるメニューが増えました。

「食べること」一つとっても、ほんとうに「千差万別」のようで

「いろいろな食材を、何でも美味しく頂きましょう!」というのは、まさに正論ですが
臭いや食感(触感も含めて)などの、様々な理由や「食べず嫌い」も加わって

kirikouの場合は、家ではどうしても決まったメニューが多くなりがちです。

それでも、給食では「量を減らしていただきながら」
頑張って少しずつでも食べられるようになったり

(食育が功を奏しているのか?)家でも
「野菜もトマトやかぼちゃなら大丈夫だよ~。」と自分から言い出すようになりました。


さて…今日から、木曜日も6時間授業になりましたので
kirikouが帰ってくるまでの残りの2時間ほどで

もう少しだけ気になることを、忘れないうちにアレコレとメモ書きしながら
アタマのなかで渦巻くことなど、途中経過を整理をしておきましょうか。


まずは、借りてきた本の備忘録です。


*ダライ・ラマ著伊藤真訳「ダライ・ラマ科学への旅」
(1月に予約を入れて、やっと手元に届きました!) (序章より以下引用)

『…本書は、精神性の探求(私が一番よく知っている例を挙げれば仏教です)と科学とを統一する試みではありません。仏教や科学にどのような一致点や相違があり得るか、学問的に研究しようというのでもありません。それは専門の研究者たちにお任せします。そうではなくて、私たちの身のまわりの世界をより全体観的に(ホーリスティック)、統合的に理解する方法を見つけていくために、科学と仏教という人類の二つの重要な専門分野を検討する試みです。道理に裏打ちされた根拠を見いだしながら、目に見える世界と見えない世界を深く追求しようというわけです。精神性の探求と科学は、真理を求めるという同じ偉大な目標にむかっているのだと私は確信しています。それぞれに異なっていながらも、相互に補完し合う二つの研究方法なのです。この点、お互いに学ぶべきことは多いでしょう。そして共に、人類の知識と知恵の地平を押し広げてくれるはずです。何よりも、この二つの分野の対話を通じて、科学もそして精神性の探求という分野も、人類のニーズに応え、幸福の増進にいっそう貢献できるように発展してほしいと私は願っています。さらに、自分の知の旅路を語ることで、世界中の何百万人もの同じ仏教徒の仲間たちに次のことを強調しておきたいのです―科学を真剣に受け止め科学の世界観の中における根本的な発見の数々を受け容れる必要があるということです。…
 精神性の探求と科学の対話には長い歴史があります―特にキリスト教についてそういえるでしょう。私が属する伝統、つまりチベット仏教では、さまざまな歴史的、社会的、政治的理由によって、科学的世界観との本格的な遭遇はまだまだ珍しい出来事です。…確かに、科学がどのような知見をもたらしてくれるか、まだ完全に明らかだとはいえません。しかし少なくとも、自然界や人類という存在についての説得力のある認識を得るためには―これを本書では「世界観」と呼ぶことにします―進化論、相対性理論、量子力学などをきわめて重要な理論がもたらした基礎的な洞察を無視することはできません。科学の方にも、精神性の探求という分野に触れ合うことで学べることがあるでしょう。特に倫理的、社会的問題など、人類のより大きな課題との接点を見いだすのに役立つかもしれません。…精神性の探求と科学という二つのアプローチの間の対話を活性化するために、本書が役立つことを願っています。
 私がめざしているのは、今日の世界にとって極めて重要な問題を掘り下げて考えることです。…』(引用ここまで)

(次の方の予約があって、2週間しか借りられませんが
ダライ・ラマの率直な語り口から…
そのエッセンスのわずかなものだけでも、掴めたらいいなぁ…と想っております。

ふと思い出したのは…「生の全体性」という本の帯にあった言葉です。

『生の核心に迫る!!
インドの哲人クリシュナムルティ、物理学者ボーム、精神科医シャインバーグによる「生の全体」を見通す試み。』

『ふつうわれわれは、自分の快感に従い、条件づけに従い、理想主義的な見地に従い、物事を部分的に見ている。
われわれは、常に物事を断片的に見ている。
生を一つの全的な運動として見てごらん。
全体的に観察するとき、そこにはどんな幻想もない―本文より』

またどこかに、つながっていきそうな…予感がします。)

*H・D・ソロー著山口晃訳「一市民の反抗―良心の声に従う自由と権利」

(「森の生活」の著者のエッセイとその原文と
訳された山口氏の「ソローへの旅のはじまり」が掲載されています。

著者の紹介文より、以下に引用いたしますと…

『…本書のエッセイ「一市民の反抗」は、ガンディー、キング牧師の市民的不服従へと受け継がれ、政治思想としても貴重な遺産となりつつある。一日一日を何よりも大切に生きた彼の生涯とその著作は、自らの生活を意義あるものとして生きようとする現代の人々に、静かに力強く応えてくれる。』(引用ここまで)

「政治」や「思想」という言葉(そのさしているモノも含めて)自体が、
私にはよく理解できませんし、なかなか納得もできませんが…

そこには、何かしら教えられる姿勢があるように感じています。)

*伊藤真著「憲法の力」

コチラは、「高校生からわかる日本国憲法の論点」の方の新書です。

ちょうど雑誌「母の友」の5月号にも(昨年連載されていた)
「憲法生活」してみませんか、の綴じ込み付録が付いていました。

その中のインタビュー「ぼくが憲法を好きなったわけ」では
ご自身の憲法との出会いや「人生の目的」についても真摯に語っていらしゃいます。

正直に言って、私にとっての「憲法」は
「目の前にぶら下がった、メチャクチャムズカシイ宿題」みたいなものなんですけれど
どうも避けては通れない代物のようですし…

伊藤氏のお話の仕方が…とてもフランクで正直だと私には感じられるので

内容について、肯定するかしないかということではなくて
自分なりに憲法について考えるきっかけになるような気がしています。)


それから…まったく、種種雑多なつながりでの

*菅野覚明著「武士道の逆襲」*宮尾登美子著『天璋院篤姫』(下巻に突入デス。)

*秋岡陽著「自分の歌をさがす 西洋の音楽と日本の歌」

(コチラは、フェリスブックスですが…

明治初期に西洋音楽を教育と一緒に取り入れた経緯や
日本独特の音階から西洋音楽への移行期についての、とても興味深いお話がありました。)

*アーシュラ・K.ル=グウィン著「言葉とファンタジー」の
作者の内から響きだしている独特の語りかけのリズムに耳を傾けています。


それにしても…アッチャコッチャに分散して、
一体全体何を考えているの~?と、お思いになるかもしれませんが

これらと、以前にお話した「江戸の教育力」『「生きる力」としての仏教』と

明治期に出された「教育勅語」と戦後の「教育基本法」やら『四書五経』とやらを

全部まとめて、一緒にミキサーに放り込んで…
 
出来上がった複雑怪奇な味のするミックスジュースを飲みながら、
先日の養老先生と茂木先生の対談を思い出して…

先ほどお話した「考える人」の養老先生の連載「万物流転」の『宗教の現代』を

もう一度読み直して観ると…

自分自身が拠って立っていると、(おそらく無意識の内に)信じていた足元が

あまりにも正体の知れない…「もののけ」のように見えてきてしまいます。


そんな居心地のワルサにもめげずに…

できれば、自分の目で観たもの、耳で聴いたものと…

身体で感じたものことを頼りにして…

もう少しの間、日々の暮らしを見つめていこうと想っています。



先ほどから、雨音がずいぶんと激しく響いてきました…

そろそろ、kirikouも帰ってくる頃ですね。



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