ウイルス百物語

ウイルスの謎をめぐる現代の不思議なおはなし

第95話 ウイルスゲノムをめぐる攻防 一之巻

2007-03-23 11:55:44 | Weblog
われわれの体をつくる遺伝情報は、正確に親から子へ伝えられなくてはならない。だがごく低い確率で変異はおきている。もちろん大切な設計図である遺伝子の本体であるDNAがそうそう書き換えられてはたまらないのでこうした変異を修復する修復系も充実していて、変異が入ることで生命活動に問題がおきないように、また変異の蓄積の結果がん化が起きないように変異の頻度を低い値にとどめている。そもそもこうした変異はどのような原因で起きるのだろうか。DNAを複製するときに働く酵素をDNAポリメレースというが、この酵素もごく低い確率で間違った塩基をつないでしまうことがある。また紫外線などの環境要因でもDNA損傷が起きる。もちろんこうした誤りは除かれ、正しい塩基に置き換えられるが、修復系に見逃されるとそれは変異として定着することになる。

このほかにDNAが修飾され、変わってしまうこともある。われわれの細胞にはシチジンデアミナーゼとよばれる酵素があってDNAやRNAのシトシン部分を修飾することでシトシンをウラシルに変えてしまうことが知られている。ウラシルへの変化は、このほかDNA複製の際のdUTPの間違った取り込みでも起きる。こうしたことは細胞あたり一日60~500回くらい起きていると推定されているが、われわれの細胞にはこのような変異を極力少なくするために、DNAに取り込まれてしまったウラシルを引き抜く酵素uracil-DNA glycosylaseとそのあとの修復を担当する酵素群(base excision repair pathway)が常にDNAを見張ってくれている。またdUTPの濃度を下げて誤まったDNAへの取り込みを抑制するためにdUTPaseが働いている。

ここで発想を変えてみよう。外界から侵入してきたウイルスゲノムであるDNAやRNAに対してシチジンデアミナーゼが作用できれば、有益な武器として使うことができるはずだ。ウイルスのDNA中のシトシンを片端からからウラシルに変えることが出来れば、ウイルスは複製の能力を失うほど変異を導入することができるので、細胞は自分自身を感染から守ることができるはずだ。シチジンデアミナーゼはいわばウイルス迎撃ミサイルとして使えるはずである。

実際にこうした現象がエイズ発症の原因ウイルスであるHIV-1でみつかった。だが、みつかった現象はもう少し込み入っていた。宿主細胞のシチジンデアミナーゼのひとつであるAPOBEC3Gという酵素はHIV-1の感染性を抑制する能力があるが、それは侵入してきたウイルスに有効なのではない。感染後、つぎのサイクルの新たな感染を阻害するのだ。感染細胞中のAPOBEC3Gは、産生されるウイルス粒子内に自らのりこんで、新たに感染しようとするHIVのプラス鎖のRNAから合成されたマイナス鎖DNAにC->Uという変異をいれることで最終的にはHIVの遺伝子にG->Aの変異をいれて、ウイルスを機能不全にしてしまう。

ところがこの話には先があって、すでにウイルス側のAPOBEC3Gに対する迎撃体制も整っていることが明らかになったのである。HIV-1はVifというタンパク質をもっており、VifはAPOBEC3Gの抗ウイルス効果を抑制してしまい、ウイルスはAPOBEC3Gを発現している細胞でも、ゆうゆうと増殖することが出来るのである。Vifは、感染細胞内でAPOBEC3Gの分解を促進することで、APOBEC3Gがウイルス粒子内へ乗り込んでくるのを阻止するのである。従って次の感染サイクルも問題なく回るので、複製可能なのだ。つまりHIV-1と細胞側の防御システムの進化という舞台はすでに第2幕にはいっており、感染症に対するわれわれヒトの進化の第3幕があるとすれば、ヒトの細胞が、HIV-1のVifによる分解促進をうけないタイプのAPOBEC3Gを獲得したときに、HIV-1はヒトの体内でふえることができない無害なウイルスになっているかもしれない。現在では、このシステムに関する限り形勢はHIV-1に有利に展開しているといえる。

二之巻につづく


1 コメント

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2010-07-06 16:21:48
初めまして。初書き込み、失礼します。

以前にこちらのサイトへトラックバックを送信させていただきましたのですが、
先日にサイトのアドレスを変更いたしまして、現在はリンク切れになっています。

せっかくトラックバック送信をさせていただいた所大変申し訳ないのですが、
現在、TBリストに表示されています下記のトラックバックリンクの削除のお願いいただけないでしょうか?

ttp://datahukkyu.seesaa.net/article/46545778.html
「ウイルスによる破損プログラムの復元には? 」

お忙しのところお手数をお掛けしてしまい、大変恐れ入ります。
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