ウイルス百物語

ウイルスの謎をめぐる現代の不思議なおはなし

第92話 デングウイルスの成熟

2008-05-26 20:08:25 | Weblog
世の中には、つごうのよい時期に都合の良い場所で能力を発揮してもらうために、それまではおとなしくしてもらわなくてはならないケースがある。戦場で、刃をふりまわすのは結構だが、戦場に撃って出る前に刀を振り回されるのは困る。そこで場所と時期を指定して、スイッチを入れ、存分にチカラを発揮してもらおうとわけだ。たとえば、ウイルスは感染のち、自分自身をいっきに複製する(ものによっては潜伏する引きこもりタイプもいるが)。あたらしくできたコドモのウイルスは、自分をつくってくれた細胞に別れを告げて、新しい標的となる細胞をさがしにでかけるわけだが、細胞をでてから完全な感染性を持つようになると、ウイルス増殖上大変都合が良いことが多い。姿形はオトナに似ていてもまだ感染性はない状態から、感染性を獲得するに至るこの過程を成熟という。

デングウイルスは、地球温暖化の話題にちょいちょい顔をだすウイルスだ。このウイルスはフラビウイルス科という仲間に属し、西ナイルウイルス、黄熱病ウイルス、日本脳炎ウイルスといった悪い連中とは親戚である。最近の気温の上昇で、このウイルスを媒介するネッタイシマカやヒトスジシマカが、日本に上陸するのも時間の問題と考えられる。航空機や船舶でひとや物資とともにやってくる可能性が十分ある。最近の外来種の侵入を考えると、その対応を考えておかなくてはならない問題だ。

さてこのウイルスは プラス鎖のRNA をゲノムにもち、脂質二重膜をかぶっているが、その表面はウイルスのエンベロープタンパク質で覆われている。このウイルスは細胞内の ER (小胞体)という脂質構造体の内腔にERの膜を被った状態で出芽する。ER内でのウイルスの直径は、60 nm くらいで、この未成熟のウイルスは、ごつごつした突起が表面を覆っていると考えられている。これはウイルス表面にあるエンベロープタンパク質である Pr-M と E が3分子づつ単位となって突起を形成しているからだ。そしてこの状態ではまだ感染性はない。

ウイルスの感染性に大きな影響を与えるのは、フリンと呼ばれる「不倫」という漢字を想起させる艶っぽい名前の細胞側のプロテアーゼである。ゴルジ体にはフリンが局在し、細胞から分泌されるいろいろなタンパク質を切断修飾して生理活性を分泌前に付与する。たとえば TGF-β 前駆体、副甲状腺ホルモン前駆体などである。ところが活性化するのは、自分に有用な分子ばかりではない。デングウイルスのエンベロープタンパク質の前駆体もちょんぎって、ウイルス粒子の成熟の過程にも一役かうのである。

この未成熟タイプのウイルス粒子は、ERから、ゴルジ体を介して、小胞に包まれたまま輸送され、最後は分泌小胞とよばれる袋のまま、細胞表面直下まで輸送される。そして分泌小胞の膜の一部が細胞膜と融合し、その内容物が細胞外に放出される。これがウイルス産生の一連の流れだ。ゴルジ体というのは、扁平な袋が幾重にも近接した装置だが、この扁平な袋を受け渡されるにしたがって、小胞の中のpH は中性から pH 7.2 からpH 6.0 付近まで低下する。この過程でウイルスは、感染性をフリンによって与えられ、成熟するのである。pH の低下に伴って、ウイルスの大きさは 53 nm くらいまでその直径が縮む。というのも未熟なウイルス粒子を精製して pH を下げてやると、 pHの変化によって大きなウイルス構造の変化がおきることが、クライオ電顕でみごとに捉えられているからだ。 このとき Pr-M と E タンパク質は、こんどは2組づつを単位とするコンパクトな構造に大きく変化し、ウイルス表面にきれいに配置する。つまり、ウイルスの直径は小さくなり、その表面はざらざらはしているが、突起はごく小さくなる。中性付近での Pr-M と E タンパク質の三つ組み構造体は、お互い支え合って立ち上がった構造だったが、コンパクトな2つ組の構造では、いれこになって、表面に寝た格好なので突起は小さく、表面はよりスムースになるのである。

こうなってはじめて細胞側のプロテアーゼであるフリンが Pr-M の切断部位に近接できるようになり、Pr-M は切り離される。つまり酸性での縮んだ構造はプロテアーゼに切られやすい構造なのだ。フリンの至適 pH は中性付近にあり、かならずしも酸性によって活性化するわけではなく、その活性は半分くらいにおちるが、切断される側のPr-Mが構造変化することで、切断されやすくなるのである。このフリンによるPr-M の切断で感染性は1000倍にも高まる。

フリンで切断されて準備のととのったウイルスのはいった小胞は細胞表面直下まで運ばれ、細胞膜と小胞が融合することで、ウイルスは細胞外に放出されるのだが、細胞外では、pH はふたたび、酸性から中性付近までもどることになる。こうなると切断されたPrはウイルス粒子から脱離していく。こうしてウイルス表面のEタンパク質は戦闘態勢になり、感染時に機能を果せるようになるのである。ウイルスの成熟過程のしくみが、ウイルス粒子上のエンベロープタンパク質のダイナミックな構造変化と切断修飾のされやすさにきちんと関係づけられたわけで、今後の展開がたのしみである。

Yu, et al. Structure of the immature dengue virus at low pH primes proteolytic maturation. Science 319: 1834-1837, 2008.

Li, et al. The flavivirus precursor membrane-envelope complex: structure and maturation. Science 319: 1830-1834, 2008.