ウイルス百物語

ウイルスの謎をめぐる現代の不思議なおはなし

第97話 ウイルス界のガリバー ミミウイルス

2007-01-30 12:25:50 | Weblog

 発見のきっかけはこうだ。1992年にイギリスのブラッドフォートでアメーバの細胞の中に小さなグラム陽性球菌によくにた粒子が見えることに気づいたところから始まる。バクテリアの16S rRNAに対するプライマーで調べたがPCR産物は何も得られなかった(rRNAはバクテリア間で極めてよく保存されているので、未知のバクテリアを調べるときにつかわれる)。この粒子は直径400 nmほどであった。この大きさは0.2 μm のフィルターも通過できないほどの大きさなんである。エンベロープはなく、周囲には80 nmの繊維状の突起が見られた。当初ゲノムサイズ(DNA)は800 Mb (メガベース)ぐらいと推定されたが、最終的には1,200 Mbだということがのちに明らかになった。このサイズは小型のバクテリアのゲノムをはるかに凌駕する大きさなのだ。その名前ミミウイルスは、”mimicking microbe (細菌に似ている)”からきている。その大きさがグラム染色した細菌によく似ていたからだ。

 さてウイルスは生物なのだろうか、という質問に対して、どんな答えがあるだろうか。もともとウイルスは、病気との関連から関心が持たれたことに始まる。 "virus"という言葉は毒をいみするラテン語に由来する。19世紀末に狂犬病や口蹄疫などの伝染性疾患の原因がバクテリアより小さな粒子によるものであることがわかっていたが1935年スタンリーがタバコモザイクウイルスの結晶化に成功したことからウイルスの実態が徐々に明らかになってきた。ウイルスの構成成分は核酸とタンパク質を含み、ときに脂質膜が粒子を覆っている。もともとウイルスは、バクテリアを通さないフィルターを通過する病原体ということで見つかった経緯があるが、ミミウイルスは小さなバクテリア並みに大きくフィルターの穴を通過できないのだ。

 ウイルス粒子タンパク質や核酸の高分子複合体分子であり、細胞から放出されたウイルスは、外界と分子のやり取りはなく、いわば細胞外を漂っていることになる。なるようになれとばかりの、あなたまかせの人生がウイルスの基本である。粒子の中には高度に秩序だった構造がつまっているが、それ自身生命に特徴的な物質代謝を行っているわけではない。しかしひとたびレセプターを介して機会仕掛けのように細胞に侵入すると、宿主細胞の複製装置を乗っとって自己複製を開始する。精密に出来上がったからくり機械のようなものだ。ウイルスの増殖には核酸合成やタンパク質の合成・輸送・修飾など生命活動そのものの多様な過程が必要だが、そのすべてを細胞に頼っている。だから増殖能力はあっても、生きているとはいえない。その点バクテリアは自身の生存に必要なエネルギーや分子を自前で調達している。生命の範疇に立派にはいる。じゃあウイルスとバクテリアというカテゴリーは明確な境界線が引けるのかだろうか?

 今回報告があった巨大ウイルスにはこれまで細胞生物にしか存在しないと考えられていた遺伝子が数多くコードされていることがわかってきたのだ。たとえばタンパク質合成過程で必要なtRNAなどである。自前の遺伝子をもつことでより効率良く宿主細胞の合成システムを利用できるようになっていると考えられる。なにしろ1200 Mbのゲノムをもっている。HIV-1のゲノムがが0.01 Mbであることを考えると、いろんな遺伝子をもっていてもおかしくない。このゲノムサイズはMycoplasma genitalium Nanoarchaeon equitans の2.5倍に相当する。 そしてそこには1262個の遺伝子の存在が推定されているのだが、そのうち機能が推定できるのはそのうちの298個だけだ。これは全体の25%以下で、小型のバクテリアや古細菌では70%ほどがその機能を推定できるのに比べてかなり低い値だ。この複雑な構造をもつウイルスが、ウイルスと細胞生物の間に曖昧な印象をもたらす可能性は十分ある。詳しい解析はこれからだが、演歌歌手のような名前のウイルスが(日吉ミミを知っているひとはすっかり少なくなってしまった)、ウイルスとバクテリアの隔たりをつなぐ、微妙な位置を占めているのかもしれない。

Koonin, E.V. Virology: Gulliver among the Lilliputians. Curr Biol. 15:R167-169, 2005.

Raoult, D. et al. The 1.2-megabase genome sequence of Mimivirus. Science 306:1344-1350, 2004.



第98話 コウモリが運ぶ「恐怖」(2)

2007-01-30 12:22:49 | Weblog

 野生動物にはヒトに致死的感染症を引き起こさない多様なウイルスが、寄生しているはずであるが、その生態はこれまであまり明らかにされてこなかった。そのなかでもコウモリは、先述したように、人獣共通感染症の自然宿主として重要な生物種である。もちろん日本の在来種のコウモリでは上で述べたような致死的な新興感染症は報告されていないが、近年の世界的なアウトブレイクの状況は、日本在来の野生動物の調査の必要性を示している。コウモリはいくつかの点でウイルスにとってつごうのよい性質を備えている。コウモリの寿命は5~50年と考えられており、実験室のマウスが約2年であることを考えると、小型のほ乳類の中では長寿である。したがって不顕性感染しているウイルスは比較的長期間コウモリの体内に維持されものと考えられる。またコウモリは洞窟等で集団で生活するのでウイルスは感染していない個体に、あるいは同じ洞窟に棲む他種のコウモリに容易に広がっていくと考えられる。そのほかにも、糞や分泌物(吸血コウモリの唾液など)、あるいは捕食者に捕らえられることを通じて、森に棲む他の野生生物に広くウイルスを伝播することになる。

 世界には966種のコウモリが棲息しているが、日本ではそのうち、36種のコウモリが確認されている。そのなかには、SARSウイルスの自然宿主と疑われているキクガシラコウモリ、イエコウモリ、モモジロコウモリといった生息域が広く、その行動範囲がヒトの活動域と重なっているものもあるが、ヤンバルホオヒゲコウモリ(沖縄島、徳之島)、ヤエヤマコキクガシラコウモリ(石垣島、西表島、小浜島、竹富島)、カグラコウモリ(石垣島、西表島、与那国島、波照間島)といったようにその生息域がかぎられ、ヒトとの接触が極少ない種もある。

 それでは日本のコウモリを自然宿主にしているウイルスにはどんなものがあるのか。そして実際に試験管内でヒトの細胞に感染、増殖できるウイルスは、どれくらいあるのだろうか。そしてそのためにはどんな検討をすればよいだろうか。一つの考えとして、コウモリを自然宿主とするウイルスの遺伝子データベースを作ってみるのもよいかもしれない。

 まず日本各地から日本の固有種を含めたコウモリの糞、体液を採集し、既存のウイルスのDNAチップを使って、感染している既存のウイルスに似た感染ウイルスのスクリーニングを行う。同時にウイルスの各 ファミリー に高度に保存されたDNA領域をもとに作製したプライマーを用いてPCRを行い、その塩基配列を決定し、コウモリを宿主とするウイルスの遺伝子データベースを作製する。同時に培養細胞系を用いて、感染増殖の見られるウイルスの分離も行う。培養細胞レベルで感染増殖可能なウイルスの分離は、この後のウイルスの解析を容易にするだろうし、ヒト細胞に対して致死的な効果を持つなら注意をはらうべきウイルス種として解析する必要があるかもしれない。

 こうして得られたコウモリを宿主とするウイルスの基礎的なデータは逐次web上で開示し、多方面に役立てることになる。データベースを準備しておくことによって、野生動物を宿主とするウイルスの実態の一端が明らかになるものと期待される。ひいては将来かならず起きるであろう新たな人獣共通感染症に対する日本独自の備えともなるだろう。

第99話 コウモリが運ぶ「恐怖」(1)

2007-01-30 12:13:11 | Weblog

 19世紀後半にルイ・パスツールやロベルト・コッホによって「感染症が病原性微生物によって起きる」という考えが定着する前まで、感染症は、人々にとって「恐怖」そのものだったにちがいない。天然痘や黒死病は、信仰をもつものも信仰をもたぬ異教徒も区別しなかったし、疫病が通り過ぎたあとには、廃墟になった街とが残された。やがて感染症を引き起こすものが細菌や寄生虫ばかりではなく、ウイルスもときに人の健康を蝕む病を引き起こすことが明らかになる。遺伝情報が書き込まれた短い糸にタンパク質という上着を纏った粒子は、そっと細胞に潜り込み、ときに細胞、組織、個体に死をもたらした。

 だが、現代科学が提示するウイルス像は、生物界を隅々まで飛び回る遺伝情報の断片と言ったようなドライな概念で捉え直され始めている。それどころか、われわれの遺伝情報を担う設計図であるDNAをしらべるとその8%がレトロウイルス、その50%以上、場合によると70~80%が以前は生物から生物に飛び回っていたレトロエレメントとよばれる断片のパッチワークから出来ていることがわかってきたのだ。生命が誕生してから35億年たつが、進化の過程に果したウイルス役割が必ずしも正当に評価されてきたとは言えない状況になりつつある。ヒトの死をもたらすウイルスはほんの一握りにすぎず、自然界に存在するウイルスの種類に比較すると極めて稀なものだろう。だが、致死的なウイルスはひとたび暴れ始めると社会に混乱と恐怖を引き起こすのは今も昔も変わってはいない。

 最近、トリインフルエンザウイルス、SARSコロナウイルス、ニパウイルス、西ナイルウイルス、エボラウイルスなどの、人に致死的感染を起こす野生動物由来のウイルスが続々と見つかっている。これは森林開発が進んでいままで接触がなかった野生生物と人間との行動域が重なったことがひとつの原因と考えられる。またある地域に発症が限定されていた感染症が、交通網の発達でキャリアである人や家畜が短時間で広い地域に運ばれてしまうことも、初期の封じ込めをむつかしくしている。

 ヒトに感染症を引き起こすウイルスは、特定され解析されるが、ヒトに感染せずに、野生動物が不顕性感染しているウイルスはどのくらい存在しているのであろうか。ヒトに感染症を引き起こすと、その宿主である野生動物についての関心が高まり、いくつもの新しいウイルスが分離された。むろんヒトに致死的な疾患を引き起こすウイルスは、うえに挙げたウイルス以外にも多くあり、いろいろな野生動物が自然宿主になっていることがわかっている。最近のアウトブレイクを引き起こしたウイルスの宿主として特徴的なのは、その自然宿主がコウモリであることだ。

 インドネシアでは、コウモリのウイルスで、豚と人に致死的感染を起こしたニパウイルスの自然宿主がオオコウモリであったが、オオコウモリで新たに、リッサウイルス、メナングルウイルス、チョウマンウイルスが見つかっている。東アジアでは、SARSコロナウイルスの自然宿主探しでも、コウモリなどを中心に探索が行われ、キクガシラコウモリが自然宿主であろうと推定されている。またアフリカでは、エボラウイルスの自然宿主について多くの生物種と、広い生息域で長期にわたって調査が行われ、自然宿主はコウモリである可能性が高いという報告がなされている。調査の結果、エボラウイルスに特異的な抗体(IgG)が3種類のコウモリで見いだされた。この事実はこれらのコウモリがエボラウイルスに常時、曝されていることをしめしている。


<第98話につづく>

第100話 百物語

2007-01-30 11:25:34 | Weblog

ようこられた、真狩村まで峠を越えて来なさったか。道中冷たい山からの風が吹き下ろす季節ゆえ、からだが冷えたかの。さあ火の近くに寄りなされ。暖かい白湯などいかがかの。身体の芯から温くなろう。よう無事にこられたのう。日が落ちると狐狸の類が、旅人に悪さをする。

今宵は新月ゆえ、ちいと怖い物語するには絶好の晩じゃ。昔は、若いもんが肝の太か大人になる儀式がござってのう、ここへくる途中の村はずれの寺の本堂に集まって、怪談やら村に古くから伝わる因縁話を夜明けまできいたものじゃ。寺といってももう住職も大昔に亡くなり、跡を継ぐものもおらぬゆえ、荒れてはおるが、わしらで修復もしたで、雨露はしのげる。ときには旅人が行き倒れておったこともある。あれは何年まえになるかのう。女人が道中病を得て、その寺で行き倒れていたこともあった。美しいおなごじゃった。いやいや、おなごのはなしではなかったのう。

物語は月のない晩に何人か人が集まって行われたものじゃ。寺の本堂に蝋燭を百本立てて置いて、一人が一つずつ怪談や不思議な因縁話をして、一本ずつ蝋燭を消してゆく。暮れ六からはじめると、最後の百の話は、丑三つ時になる。残されたたった一本の蝋燭のまわりはぼんやり照らされてはいるが、わしらの背後は漆黒の闇じゃ。闇はわしらの身体をそっと包み、絡み付いて、やがてわしらは暗闇そのものになる。最後の話が終わるとき、百本目の蝋燭が消され、本物の怪がおきるのじゃ。わしらの恐怖が最高潮に達したとき、わしらの仲間の年長者である五平の低い声が話し始めた。その晩の最後の話は、五平の家の呪われた物語じゃった . . .

最後の話がおわって、最後の蝋燭の火が消されたんじゃ。わしらは身じろぎもせずに闇のなかで息を止めた。そのとき、わしは背後の闇にそっと潜んでいる恐怖の源に触れた気がした。そして背筋をはいのぼってくるざらついた霊気に総毛立った。

ぎゃあああー !!!!