2013/2/9
「那覇での思い出」 旅行記録
那覇での食事について。外食ばかりではなくて、自炊もしてみようと思ってウイークリーマンションを借りたのであった。しかし、実際は、散歩帰りにスーパーマーケットで「沖縄らしいもの」を見つけると購入して食することが多かった。
旅行中に購入して食べた果物は、タンカン(これは沖縄の果物)・金柑(たまたま)・パイナップル(種類はピーチパイン)・いちご・バナナ・りんごなど。市場やスーパーなどで購入した。タンカンは、ハッサクやオレンジに似ている、柑橘類。「袋」が薄くて、皮をむけば、袋ごと食べられた。柑橘類の中では一番甘い気がした。甘くておいしかったので、3度も購入した。あの甘さは最高!
調理用具が(自炊できるように)いろいろ備えられていたウイークリーマンションだったが、使ったものは電子レンジだけだった。とにかく電子レンジは便利であった。
旅行の大きな楽しみは、「食べること」。その土地の名物を食することが、幸せな気分にさせてくれるから。
「沖縄宮廷料理」なる店もあったが、予算が合わないのでパスした。庶民的な値段の店で楽しめれば、それで十分だと(普段から)思っているので、そういう料理店で食べるようにしている。
それほど高額な沖縄料理の店ではなかったのに、入ってみたら、有名人の写真が何枚も壁に貼ってあった。そういう店もあった。
その店は、予約客でもない私に「9品のコース料理」をきちんと出してくれた。
「これで、1500円なんだ!」と感激。安くて、おいしかった。
沖縄料理店「首里殿内」でのメニュー
おもろアグー「ステーキ定食」 これを食した
第一牧志公設市場の魚屋で購入した「魚と貝」を刺身にしてもらった。「海ぶどう」が添えられていた。
沖縄カレー専門店 カレーはちょっと変わっていたが・・・
「完熟きんかん=たまたま」? なるほど・・・。別名を知らなかった私は、つい、吹き出しそうになった(笑)
沖縄の島ニンジンなるものは色が違う(右が普通のニンジンの色)し、細長いんだなあ! と注目した。
旅行中に購入して食べた果物は、タンカン(これは沖縄の果物)・金柑(たまたま)・パイナップル(種類はピーチパイン)・いちご・バナナ・りんごなど。市場やスーパーなどで購入した。タンカンは、ハッサクやオレンジに似ている、柑橘類。「袋」が薄くて、皮をむけば、袋ごと食べられた。柑橘類の中では一番甘い気がした。甘くておいしかったので、3度も購入した。あの甘さは最高!
調理用具が(自炊できるように)いろいろ備えられていたウイークリーマンションだったが、使ったものは電子レンジだけだった。とにかく電子レンジは便利であった。
旅行の大きな楽しみは、「食べること」。その土地の名物を食することが、幸せな気分にさせてくれるから。
「沖縄宮廷料理」なる店もあったが、予算が合わないのでパスした。庶民的な値段の店で楽しめれば、それで十分だと(普段から)思っているので、そういう料理店で食べるようにしている。
それほど高額な沖縄料理の店ではなかったのに、入ってみたら、有名人の写真が何枚も壁に貼ってあった。そういう店もあった。
その店は、予約客でもない私に「9品のコース料理」をきちんと出してくれた。
「これで、1500円なんだ!」と感激。安くて、おいしかった。
沖縄料理店「首里殿内」でのメニュー
おもろアグー「ステーキ定食」 これを食した
第一牧志公設市場の魚屋で購入した「魚と貝」を刺身にしてもらった。「海ぶどう」が添えられていた。
沖縄カレー専門店 カレーはちょっと変わっていたが・・・
「完熟きんかん=たまたま」? なるほど・・・。別名を知らなかった私は、つい、吹き出しそうになった(笑)
沖縄の島ニンジンなるものは色が違う(右が普通のニンジンの色)し、細長いんだなあ! と注目した。
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2013/2/4
「無事帰宅」 旅行記録
2013/2/3
「少しだけ自転車利用」 旅行記録
道を歩いていると、タクシーの運転手から声をかけられることがあった。2度も。こちらとしては、「散歩をしているだけなのに…」と、ちょっと不満。とにかくタクシーが多すぎる街だ。それも空車で走っているタクシーが多い。たぶん、「他の仕事」が少ないのであろう。そう推測した。
ホテルで自転車を借りて、少し走ってみた。自転車利用で、少し行動範囲が広がった。しかし、車が多すぎて、自転車利用は危険な気がして、遠出はしなかった。
今回の那覇ショートステイ生活では、いろいろな経験ができてよかった。
そろそろ、気になっている「畑」へ行きたくなってきた。
明日、ピーチ利用で関空へ。さて、ピーチの乗り心地は?
乗り心地が特に悪くなければ、(たぶん一年後になるだろうが)石垣島(新)空港へも、ピーチを利用したいと思っている。ピーチ利用だと、関空から石垣島への直行便が8000円ぐらいで乗れるようだ。これは無茶苦茶安い! 格安航空会社利用は、明日が初めてなので、「変なワクワク感や不信感」がある。
こんなに安くても(那覇~関空=約6000円で購入)、大丈夫なのかな? さて?
* 那覇でのブログは、以上で終わります。
ゆいレール(壺川駅周辺で)後部窓から撮影 右手の川の下流部(河口)は東シナ海。河口は那覇港であり、大型船が停泊していた。(初めて竿を出したが、何も釣れなかった。)
ホテルで自転車を借りて、少し走ってみた。自転車利用で、少し行動範囲が広がった。しかし、車が多すぎて、自転車利用は危険な気がして、遠出はしなかった。
今回の那覇ショートステイ生活では、いろいろな経験ができてよかった。
そろそろ、気になっている「畑」へ行きたくなってきた。
明日、ピーチ利用で関空へ。さて、ピーチの乗り心地は?
乗り心地が特に悪くなければ、(たぶん一年後になるだろうが)石垣島(新)空港へも、ピーチを利用したいと思っている。ピーチ利用だと、関空から石垣島への直行便が8000円ぐらいで乗れるようだ。これは無茶苦茶安い! 格安航空会社利用は、明日が初めてなので、「変なワクワク感や不信感」がある。
こんなに安くても(那覇~関空=約6000円で購入)、大丈夫なのかな? さて?
* 那覇でのブログは、以上で終わります。
ゆいレール(壺川駅周辺で)後部窓から撮影 右手の川の下流部(河口)は東シナ海。河口は那覇港であり、大型船が停泊していた。(初めて竿を出したが、何も釣れなかった。)
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2013/2/2
「ホテル近辺散策」 旅行記録
午前中は、ホテル近辺を散歩して過ごした。今日は那覇市内唯一のビーチ「波の上ビーチ」とその続きの「若狭海浜公園」を散歩した。
ビーチでは、幼い子ども二人が海の中にどっぷりと入り(親御さんは膝まで入って見守り)、寝そべっていた。水泳ごっこをして、キャッキャッと言って楽しんでいた。
全国の天気予報によると、今日は全国的に温かいようであったが、沖縄は最高気温25度ぐらい。「夏日」なので、静かなビーチでは泳げる状況であった。もっとも、波の上ビーチでの水泳解禁日は4月なので、3月までは禁止されていた。(ビーチを監視する人がいないから、禁止になっていた。)今日の子どもたちの様子から、「これなら泳げるなあ」と思った。実際、海水に手をつけてみたら、生温かかった。
親御さんに守られた子どもたちは「たしかに泳いでいた」。海水につかり、寝そべっていても、寒くはなかったらしい。
沖縄は「冬でも泳げるんだ!」と実感した。
午後、ホテルが那覇港に近いので、岸壁へ行って釣りをしてみた。沖縄での初釣り。
旅行前に購入して持ってきておいた釣竿(短くすると、カバンに入るサイズになる竿)を沖縄で使用してみた。
私は畑をするようになって、ほとんど釣りをしなくなった。現役時代は「好きな時」があった。仕事の帰りに、その日の背広姿のままで竿を出す時があったりした。「好きだなあ!」と(ばったり出会った同僚から)笑われ、職場で「その噂」が広まった頃もあった。「釣りバカ」ふうに、釣りに凝っていた時代だった。もう、15年以上も昔のことである。
今までは、主に大阪湾(堺市・高石市周辺の海や泉南地方の海など)で竿を出してきたのだが、今日は那覇の海で出した。
何も釣れなかったが、「自分の竿」を沖縄の海で使用した「記念の日」になった。
いよいよ明後日、帰阪予定。
那覇市内唯一のビーチ 「波の上ビーチ」の端部。
崖に近づかないように、鎖の柵があった。珍しいので「パチリ」と一枚。崖上には「波之上神社」がある。ビーチの海水は、流石に「沖縄の海」らしく、透き通っていた。すぐ目の前は海上道路。それにしても、32万人都市部のビーチだとは! 美しい海だった。
ちなみに、マレーシア・ペナンのビーチは、こんなに美しくはない。ビーチは沖縄(特に宮古島全体と石垣島の川平湾)が美しい。
波の上ビーチ それほど長くはない
子どもたちは(水着ではなく肌着のまま)海の中でうれしそうだった。
ビーチでは、幼い子ども二人が海の中にどっぷりと入り(親御さんは膝まで入って見守り)、寝そべっていた。水泳ごっこをして、キャッキャッと言って楽しんでいた。
全国の天気予報によると、今日は全国的に温かいようであったが、沖縄は最高気温25度ぐらい。「夏日」なので、静かなビーチでは泳げる状況であった。もっとも、波の上ビーチでの水泳解禁日は4月なので、3月までは禁止されていた。(ビーチを監視する人がいないから、禁止になっていた。)今日の子どもたちの様子から、「これなら泳げるなあ」と思った。実際、海水に手をつけてみたら、生温かかった。
親御さんに守られた子どもたちは「たしかに泳いでいた」。海水につかり、寝そべっていても、寒くはなかったらしい。
沖縄は「冬でも泳げるんだ!」と実感した。
午後、ホテルが那覇港に近いので、岸壁へ行って釣りをしてみた。沖縄での初釣り。
旅行前に購入して持ってきておいた釣竿(短くすると、カバンに入るサイズになる竿)を沖縄で使用してみた。
私は畑をするようになって、ほとんど釣りをしなくなった。現役時代は「好きな時」があった。仕事の帰りに、その日の背広姿のままで竿を出す時があったりした。「好きだなあ!」と(ばったり出会った同僚から)笑われ、職場で「その噂」が広まった頃もあった。「釣りバカ」ふうに、釣りに凝っていた時代だった。もう、15年以上も昔のことである。
今までは、主に大阪湾(堺市・高石市周辺の海や泉南地方の海など)で竿を出してきたのだが、今日は那覇の海で出した。
何も釣れなかったが、「自分の竿」を沖縄の海で使用した「記念の日」になった。
いよいよ明後日、帰阪予定。
那覇市内唯一のビーチ 「波の上ビーチ」の端部。
崖に近づかないように、鎖の柵があった。珍しいので「パチリ」と一枚。崖上には「波之上神社」がある。ビーチの海水は、流石に「沖縄の海」らしく、透き通っていた。すぐ目の前は海上道路。それにしても、32万人都市部のビーチだとは! 美しい海だった。
ちなみに、マレーシア・ペナンのビーチは、こんなに美しくはない。ビーチは沖縄(特に宮古島全体と石垣島の川平湾)が美しい。
波の上ビーチ それほど長くはない
子どもたちは(水着ではなく肌着のまま)海の中でうれしそうだった。
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2013/2/1
「旧海軍司令部壕 見学」 旅行記録
那覇に来て、一週間余が経過した。一か所目のウイークリーマンション(7泊)を引き払って、二か所目の宿泊場所(ホテル)に移動した。荷物の移動などのために、レンタカーを使用した。
レンタカーを使用したついでに、「旧海軍司令部壕」なるものを見学してきた。その壕は、那覇市内(空港から車で約15分)の高台にあり、海を見下ろせる位置にあった。その高台の地下壕である。
太平洋戦争中、鍬やつるはしで掘られた壕で、沖縄方面海軍の司令部があった。現在、そこが「平和を祈念するために」保存され、内部がわかりやすいように照明もつけられていた。戦後しばらく放置されていたが、数回にわたる遺骨収集の後、昭和45年「司令官室」を中心に300mが復元された。復元されていない部分が150m残っているようである。この壕で、約4000人の兵士などが収容さていたとのことである。すごい規模の地下壕である。戦争の悲劇を如実に物語っている「壕」である。
戦争後も内部が完全には破壊されず、(大部分が)復元されたおかげで(戦争を知らない私たちでも)見学できたわけである。
この壕で、沖縄戦末期(昭和20年6月13日)に司令官「太田少将」は拳銃自決している。辞世の句は、「大君の 御はたのもとに 死してこそ 人と生まれし 甲斐ぞありけり」であった。
〈天皇ために死んでこそ、人間として生まれた甲斐があったのだ。〉と解釈できる「辞世の句=遺書」である。
こんな句を、二度と誰にも書かせたくない! 「天皇=神」であった時代は終わったのだ。戦争は、やはり恐ろしい。人間を洗脳していくから。
戦争遂行最高責任者たち(軍隊指揮官たち)は、東京で(戦争が終わっても)いつまでも死ななかったのに、沖縄の軍司令官たちは「自決」していった。(この壕を見学し、改めて)、そのことを対比して考えさせられた。
こういうこと(たとえば、中間管理職が一番責任を取るケースなど)って、現在でもあるような気がした。
軍人よりももっと悲惨だと思ったのは、沖縄県民(一般住民、特に子どもたち)の悲劇。
戦中・戦後の写真が資料室に展示されていたので、それらを食い入るように見た。鹿児島県・知覧での資料館でも、展示資料を目にして涙が流れたが、ここで見た写真も涙が流れてきた。
小さな女の子の足に「うじ」がわいて「くつしたのように」見える写真など、子どもが戦争の被害で苦しんでいる姿には、涙せずにいられなかった。
戦争は、してもされても、どちらにしても「普通の人間」を「非人間化」していく(されていく)恐ろしいものである。沖縄戦での戦没者は、日本人が約18万8千人余。アメリカ人は少ないが、それでも1万2千人以上が亡くなっている。合計約20万人。
戦争は2度と起こしても、起こされてもいけない。
遠藤周作氏の小説などを通じて、そのことを考えることが多かったが、沖縄や知覧(特攻基地のあったところ)での戦争写真や「手紙」類も、戦争の悲劇・悲惨さを教えてくれる。
この「旧海軍司令部壕」(高台にある地下防空壕)は、「恒久平和を祈念する場所」として、多くの人に訪れてほしいものだと思った。
「ひめゆりの塔」などが多くの人が訪れる(ツアーのコースになっている)ので、この壕を訪れる時間はないのだろうが、私はこちらの方が「戦争反対」を強く意識できたと思う。もっとも、私も偉そうなことが言えない。今日が初めての見学であったから。
戦争につながる動きには、断固反対!
「力」まかせに領土問題の解決を図ろうとすることにも反対である。
はっきりと、その思いを強くした。
旧海軍司令部壕内部 司令官室(花が供えられていた。この部屋で自決したとのことである。)
鍬やツルハシを使っての手掘りの防空壕。内部はコンクリートで固められていた。壕(通路)中央部は頭を打たない程度の高さで、トンネル状の構造。この形が爆弾投下に耐えやすいのであろう。最大4000人が収容されたとの壕。内部は通路と各部屋になっていた。500人ぐらいなら、なんとか生活できそうである。しかし、4000人がこの壕に収容されたことを想像すると、「身動きがまったくできなかったであろう」と思った。なんといっても「手掘りの防空壕」なのだから!
別の通路
レンタカーを使用したついでに、「旧海軍司令部壕」なるものを見学してきた。その壕は、那覇市内(空港から車で約15分)の高台にあり、海を見下ろせる位置にあった。その高台の地下壕である。
太平洋戦争中、鍬やつるはしで掘られた壕で、沖縄方面海軍の司令部があった。現在、そこが「平和を祈念するために」保存され、内部がわかりやすいように照明もつけられていた。戦後しばらく放置されていたが、数回にわたる遺骨収集の後、昭和45年「司令官室」を中心に300mが復元された。復元されていない部分が150m残っているようである。この壕で、約4000人の兵士などが収容さていたとのことである。すごい規模の地下壕である。戦争の悲劇を如実に物語っている「壕」である。
戦争後も内部が完全には破壊されず、(大部分が)復元されたおかげで(戦争を知らない私たちでも)見学できたわけである。
この壕で、沖縄戦末期(昭和20年6月13日)に司令官「太田少将」は拳銃自決している。辞世の句は、「大君の 御はたのもとに 死してこそ 人と生まれし 甲斐ぞありけり」であった。
〈天皇ために死んでこそ、人間として生まれた甲斐があったのだ。〉と解釈できる「辞世の句=遺書」である。
こんな句を、二度と誰にも書かせたくない! 「天皇=神」であった時代は終わったのだ。戦争は、やはり恐ろしい。人間を洗脳していくから。
戦争遂行最高責任者たち(軍隊指揮官たち)は、東京で(戦争が終わっても)いつまでも死ななかったのに、沖縄の軍司令官たちは「自決」していった。(この壕を見学し、改めて)、そのことを対比して考えさせられた。
こういうこと(たとえば、中間管理職が一番責任を取るケースなど)って、現在でもあるような気がした。
軍人よりももっと悲惨だと思ったのは、沖縄県民(一般住民、特に子どもたち)の悲劇。
戦中・戦後の写真が資料室に展示されていたので、それらを食い入るように見た。鹿児島県・知覧での資料館でも、展示資料を目にして涙が流れたが、ここで見た写真も涙が流れてきた。
小さな女の子の足に「うじ」がわいて「くつしたのように」見える写真など、子どもが戦争の被害で苦しんでいる姿には、涙せずにいられなかった。
戦争は、してもされても、どちらにしても「普通の人間」を「非人間化」していく(されていく)恐ろしいものである。沖縄戦での戦没者は、日本人が約18万8千人余。アメリカ人は少ないが、それでも1万2千人以上が亡くなっている。合計約20万人。
戦争は2度と起こしても、起こされてもいけない。
遠藤周作氏の小説などを通じて、そのことを考えることが多かったが、沖縄や知覧(特攻基地のあったところ)での戦争写真や「手紙」類も、戦争の悲劇・悲惨さを教えてくれる。
この「旧海軍司令部壕」(高台にある地下防空壕)は、「恒久平和を祈念する場所」として、多くの人に訪れてほしいものだと思った。
「ひめゆりの塔」などが多くの人が訪れる(ツアーのコースになっている)ので、この壕を訪れる時間はないのだろうが、私はこちらの方が「戦争反対」を強く意識できたと思う。もっとも、私も偉そうなことが言えない。今日が初めての見学であったから。
戦争につながる動きには、断固反対!
「力」まかせに領土問題の解決を図ろうとすることにも反対である。
はっきりと、その思いを強くした。
旧海軍司令部壕内部 司令官室(花が供えられていた。この部屋で自決したとのことである。)
鍬やツルハシを使っての手掘りの防空壕。内部はコンクリートで固められていた。壕(通路)中央部は頭を打たない程度の高さで、トンネル状の構造。この形が爆弾投下に耐えやすいのであろう。最大4000人が収容されたとの壕。内部は通路と各部屋になっていた。500人ぐらいなら、なんとか生活できそうである。しかし、4000人がこの壕に収容されたことを想像すると、「身動きがまったくできなかったであろう」と思った。なんといっても「手掘りの防空壕」なのだから!
別の通路
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2013/1/31
「寒緋(カンヒ)桜満開近し」 旅行記録
ゆいレール(モノレール)牧志駅近くに牧志公園があった。小さな公園だが、カンヒ桜の木が4、5本植えられていた。花は満開に近かった。「流石に、亜熱帯地方のサクラなんだなあ!」と見とれていた。花の色はやや濃いピンク色で、桃の花の色に似ていた。ちらっと見た感じでは、「あれっ、紅梅かな?」と思ってしまった。
空港方面の次の駅(美栄橋駅)近くの「緑ヶ丘公園」へも行ってみた。広い公園だったが、桜の木はたった一本だけであった。この木も、やはり満開近い状態であった。
しばらく経てば、「沖縄では、桜満開」というニュースが全国に流れることであろう。
那覇に来て、ウイークリーマンション生活も6泊した。明日で、今借りているマンションを引き払う予定。7泊の契約だから。明日からは違う宿泊場所(ホテル)になる。次のホテルを3泊予約している。今回は(那覇市内2箇所で合計)10泊11日の旅行計画なので、そろそろ(旅行の)後半に入ってきている。
「暖かさ」が何よりのごちそう。明日から2月だというのに、エアコンのスイッチを一度も入れていない(冷房も暖房もしなくていい気温)生活が続いている。適温の日々で、体にはとてもいい。
血圧が無茶苦茶高くなっている時がある私には、ほんとうに「暖かさがごちそう!」の冬の沖縄である。この気候に感謝している。経済面が許す限り、また来年も計画しようと思った。
でも、来年は去年同様、石垣島にしようかな?
(もう少し経てば、ピーチが飛ぶようになるので、関空~石垣島は8000円ぐらいで行けるかも? 参考までにJALやANAの正規料金を調べてみたら、片道50000円している。 ピーチは信じられないぐらい安い! 現在、関空での格安航空会社便参入は急ピッチである。しばらくすると、関空発便の約4割が格安航空会社便になるそうである。年金生活者には、ありがたい話である。座席は少々狭くても、安さが魅力的。「貧乏人は格安飛行機利用」の時代になりつつある。)
とにかく那覇市内を走っているタクシーは想像以上の数だ。なんとなく落ち着かない気がする。市内の雰囲気が堺市と同じようで、(いや、それ以上に)「都会的」過ぎるかな? それに比べて、石垣島(八重山諸島)はのんびりするなあ・・・と、思い始めている。「那覇って、こういうところなのだ」と、一週間ほど過ごしてみて理解できた。那覇市の悪口を書いているのではない。私には「石垣島がよく似合う」ということを自覚した、そういうことである。
「何事も、比較してこそ、本質に迫れるものである!」これは、やはり真実だ。
牧志公園(小さな公園) 写真左手に桜並木
カンヒサクラ 満開近し
モノレールの窓から 那覇市内中心部を撮影
空港方面の次の駅(美栄橋駅)近くの「緑ヶ丘公園」へも行ってみた。広い公園だったが、桜の木はたった一本だけであった。この木も、やはり満開近い状態であった。
しばらく経てば、「沖縄では、桜満開」というニュースが全国に流れることであろう。
那覇に来て、ウイークリーマンション生活も6泊した。明日で、今借りているマンションを引き払う予定。7泊の契約だから。明日からは違う宿泊場所(ホテル)になる。次のホテルを3泊予約している。今回は(那覇市内2箇所で合計)10泊11日の旅行計画なので、そろそろ(旅行の)後半に入ってきている。
「暖かさ」が何よりのごちそう。明日から2月だというのに、エアコンのスイッチを一度も入れていない(冷房も暖房もしなくていい気温)生活が続いている。適温の日々で、体にはとてもいい。
血圧が無茶苦茶高くなっている時がある私には、ほんとうに「暖かさがごちそう!」の冬の沖縄である。この気候に感謝している。経済面が許す限り、また来年も計画しようと思った。
でも、来年は去年同様、石垣島にしようかな?
(もう少し経てば、ピーチが飛ぶようになるので、関空~石垣島は8000円ぐらいで行けるかも? 参考までにJALやANAの正規料金を調べてみたら、片道50000円している。 ピーチは信じられないぐらい安い! 現在、関空での格安航空会社便参入は急ピッチである。しばらくすると、関空発便の約4割が格安航空会社便になるそうである。年金生活者には、ありがたい話である。座席は少々狭くても、安さが魅力的。「貧乏人は格安飛行機利用」の時代になりつつある。)
とにかく那覇市内を走っているタクシーは想像以上の数だ。なんとなく落ち着かない気がする。市内の雰囲気が堺市と同じようで、(いや、それ以上に)「都会的」過ぎるかな? それに比べて、石垣島(八重山諸島)はのんびりするなあ・・・と、思い始めている。「那覇って、こういうところなのだ」と、一週間ほど過ごしてみて理解できた。那覇市の悪口を書いているのではない。私には「石垣島がよく似合う」ということを自覚した、そういうことである。
「何事も、比較してこそ、本質に迫れるものである!」これは、やはり真実だ。
牧志公園(小さな公園) 写真左手に桜並木
カンヒサクラ 満開近し
モノレールの窓から 那覇市内中心部を撮影
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2013/1/30
「国際通り散歩」 旅行記録
国際通りを散歩。雨が降ったりやんだりの散歩であったが、牧志公設市場周辺はアーケード街だったので、傘を差さずに散歩できた。
国際通り(沖縄県庁近くより東西約1600mの道路)のほぼ中央に、「市場本通り」→「市場中央通り」の入り口がある。入り口から南へ100m余り入ったところに「第一牧志公設市場」がある。そこは、大阪で例えるならば、「鶴橋商店街」の雰囲気。魚屋・八百屋・果物屋・肉屋・雑貨店・土産物店など、いろいろな店がぎっしり。市場内の通路がやや狭いので、よけいに混雑している雰囲気を感じた。
魚屋で活きのいい魚を覗き込んでいたら、「ここの2階で食べられますよ」と、お店の方から声をかけられた。沖縄近海でとれる魚を御造りで食べてみたかったので、店主お薦めの魚(一尾)・貝(一つ)・蟹(半分)を購入した。購入後、2階の食堂に案内された。調理代(二人分で1000円)を食堂で支払い、調理してもらった。魚の半身は御造りに、残り半身は焼き魚に、貝は御造りのみ、蟹は味噌汁にしてもらった。
新鮮な魚類を食べることができ、満足した。ちょっと高くついたが、これも思い出になるだろう。
最初から公設市場で昼食をとる予定ではなかった。散歩コースの予定では、「安里」というところにある「むじ汁専門店」で「むじ汁定食」なるものを食べる予定をして出かけた。「むじ汁」なるものが沖縄特有のものだと旅行本に書かれていた。その「むじ汁」を求めての散歩でもあった。地図を頼りに、その店周辺に辿り着き、その店の場所を住民に教えてもらい、やっと見つけることができた。
ドアを開けて、「こんにちは」と言った途端、優しい感じの女店主から
「いらっしゃいませ。ところで、何を注文されるのですか?」と聞かれた。
「むじ汁定食を・・・」
「それが・・・、『むじ汁』は材料が手に入らなくて、つくれないんです。申し訳ありません。あっちこっち探しているのですが・・・、だめなんです」
「そうなんですか、残念・・・、ところで『むじ』とは、どんなものなのですか?」と尋ねてみた。
「『ずいき』なんですよ」
「そうだったんですか・・・ありがとうございました」とあいさつして、店を出た。
むじ汁の食材が「ずいき」だったのだ。
ちなみに、サトイモの中でも『ずいき(茎の部分が食用に)』にできる種類とそうではないものがある。私が栽培したサトイモは『ずいき』にできない種類であった。
野菜について、沖縄での「むじ」なる言葉の意味を知ることができたのだった。
「むじ汁定食」を食べることはできなかった。しかし、こういうことがあったので、沖縄近海でとれた魚介類を(魚屋で購入した直後に料理してもらって)食べるという経験をすることができたのだった。ラッキー!
些細な出来事ではあるが、(私なりの)ささやかな「塞翁が馬」かな???
「壺屋やちむん通り」入り口 シーサーが守っている
石畳の通り 壺屋(焼き物店)が多い通りである。
牧志公設市場からゆっくり歩いて約20分ぐらいで行けた。
市場本通り入り口 ここを入って行くと第一牧志公設市場に至る。
国際通り(沖縄県庁近くより東西約1600mの道路)のほぼ中央に、「市場本通り」→「市場中央通り」の入り口がある。入り口から南へ100m余り入ったところに「第一牧志公設市場」がある。そこは、大阪で例えるならば、「鶴橋商店街」の雰囲気。魚屋・八百屋・果物屋・肉屋・雑貨店・土産物店など、いろいろな店がぎっしり。市場内の通路がやや狭いので、よけいに混雑している雰囲気を感じた。
魚屋で活きのいい魚を覗き込んでいたら、「ここの2階で食べられますよ」と、お店の方から声をかけられた。沖縄近海でとれる魚を御造りで食べてみたかったので、店主お薦めの魚(一尾)・貝(一つ)・蟹(半分)を購入した。購入後、2階の食堂に案内された。調理代(二人分で1000円)を食堂で支払い、調理してもらった。魚の半身は御造りに、残り半身は焼き魚に、貝は御造りのみ、蟹は味噌汁にしてもらった。
新鮮な魚類を食べることができ、満足した。ちょっと高くついたが、これも思い出になるだろう。
最初から公設市場で昼食をとる予定ではなかった。散歩コースの予定では、「安里」というところにある「むじ汁専門店」で「むじ汁定食」なるものを食べる予定をして出かけた。「むじ汁」なるものが沖縄特有のものだと旅行本に書かれていた。その「むじ汁」を求めての散歩でもあった。地図を頼りに、その店周辺に辿り着き、その店の場所を住民に教えてもらい、やっと見つけることができた。
ドアを開けて、「こんにちは」と言った途端、優しい感じの女店主から
「いらっしゃいませ。ところで、何を注文されるのですか?」と聞かれた。
「むじ汁定食を・・・」
「それが・・・、『むじ汁』は材料が手に入らなくて、つくれないんです。申し訳ありません。あっちこっち探しているのですが・・・、だめなんです」
「そうなんですか、残念・・・、ところで『むじ』とは、どんなものなのですか?」と尋ねてみた。
「『ずいき』なんですよ」
「そうだったんですか・・・ありがとうございました」とあいさつして、店を出た。
むじ汁の食材が「ずいき」だったのだ。
ちなみに、サトイモの中でも『ずいき(茎の部分が食用に)』にできる種類とそうではないものがある。私が栽培したサトイモは『ずいき』にできない種類であった。
野菜について、沖縄での「むじ」なる言葉の意味を知ることができたのだった。
「むじ汁定食」を食べることはできなかった。しかし、こういうことがあったので、沖縄近海でとれた魚介類を(魚屋で購入した直後に料理してもらって)食べるという経験をすることができたのだった。ラッキー!
些細な出来事ではあるが、(私なりの)ささやかな「塞翁が馬」かな???
「壺屋やちむん通り」入り口 シーサーが守っている
石畳の通り 壺屋(焼き物店)が多い通りである。
牧志公設市場からゆっくり歩いて約20分ぐらいで行けた。
市場本通り入り口 ここを入って行くと第一牧志公設市場に至る。
2013/1/29
「那覇市内 公園散歩」 旅行記録
那覇市内には公園が多いように思われる。那覇空港と国際通りとの中間ぐらいに奥武山公園という大きな公園がある。例によって、沖縄の地名は読みにくい。公園の名前を勝手に想像して、(「喜屋武=きゃん」「金武=きん」だから、「武=ん」だとみなして、)「おくんやまこうえん」または「おんやまこうえん」かな? と読んでみた。
しかし、他の地名の読みを間違って読んだように、また間違っていた。読めない地名の多いこと!
正しい読みは「おうのやまこうえん」だった。「武」を「の」と読むとは! 驚いた。日本の地名の読みはほんとうに難しい。また一つ勉強になった。
今日は公園散歩だけでゆっくり過ごした。
奥武山(おうのやま)公園
しかし、他の地名の読みを間違って読んだように、また間違っていた。読めない地名の多いこと!
正しい読みは「おうのやまこうえん」だった。「武」を「の」と読むとは! 驚いた。日本の地名の読みはほんとうに難しい。また一つ勉強になった。
今日は公園散歩だけでゆっくり過ごした。
奥武山(おうのやま)公園
2013/1/28
「晴天だから、残波岬へ」 旅行記録
週間天気予報によると、今日(1月28日)は晴天だが、その後は天気が悪いとの予報だった。
そこで、「残波岬と灯台」を見たくなって、レンタカーを借りることにした。
タイミングよく、「晴天時のドライブ」を楽しむことができた。1月2月の沖縄地方は天気の悪い日が(例年)多い。一日中晴天が続く日は少ない。今日は、晴天が続き、いいドライブになった。
一度も訪れたことのない場所へ行ってみた。
沖縄本島の西側の残波岬・真栄田岬・万座毛(2度目の訪問)などを訪れた後、本島東側の「海中道路」及び伊計島へ行ってみた。たぶん伊計島へ行ったことのある人は少ないだろう。ツアーでは観光コースに入っていないから。
残波岬灯台(ざんぱみさきとうだい)は、沖縄本島中ほどにある読谷村(よみたんそん)の北西端に位置する残波岬突端に立っていた。白い円柱形の大型の灯台。周辺は、沖縄海岸国定公園に指定され、30mもの断崖絶壁が約2kmも続いており、雄大な景観が広がっていた。昔は、200円で灯台の上に登れたようであるが、今日は立ち入り禁止になっていた。残念。
しかし、「岬と灯台」の観賞にひたりつつ、断崖絶壁に感激し、心が満ちた時間になった。
東シナ海に面した「残波岬」・「真栄田岬」・「万座毛」。それぞれの断崖絶壁を比較して味わうことができた。
「真栄田岬」と「万座毛」には、灯台はなかったが。
伊計島は太平洋に面している島である。観光地になりにくく、言わば「何もない島」であった。周りの海が美しく、小さな海水浴場が一か所だけの島。この島に至る途中に「海中道路」(実は、海上道路)を通ったが、期待したものはなかった。「普通の直線道路」であった。名前に魅かれて走行してみたが、期待外れ。
「万座毛」は「観光客銀座」であったが、伊計島にはほとんど人がいなかった。
私には、それも、また一興であった。
夕方になり、那覇空港の着陸コース真下にある瀬長島を訪れた。着陸する飛行機を間近(頭上約30mかな?)に見ることができた。短時間だったが、5機ほど見ることができた。やはり、迫力満点!
飛行機の着陸を頭上間近に見て、心がワクワク! その時の私は「少年」だった。
残波岬灯台
残波岬からの眺め(断崖絶壁が続いている)
真栄田岬からの眺め(灯台はないが、断崖絶壁が続いている)
万座毛 象の形の断崖絶壁は有名(ここにも灯台はない)
万人が座れる草原のような場所だが、絶壁は約3㎞続いている。
着陸直前の飛行機 瀬長島にて(迫力満点だった)
そこで、「残波岬と灯台」を見たくなって、レンタカーを借りることにした。
タイミングよく、「晴天時のドライブ」を楽しむことができた。1月2月の沖縄地方は天気の悪い日が(例年)多い。一日中晴天が続く日は少ない。今日は、晴天が続き、いいドライブになった。
一度も訪れたことのない場所へ行ってみた。
沖縄本島の西側の残波岬・真栄田岬・万座毛(2度目の訪問)などを訪れた後、本島東側の「海中道路」及び伊計島へ行ってみた。たぶん伊計島へ行ったことのある人は少ないだろう。ツアーでは観光コースに入っていないから。
残波岬灯台(ざんぱみさきとうだい)は、沖縄本島中ほどにある読谷村(よみたんそん)の北西端に位置する残波岬突端に立っていた。白い円柱形の大型の灯台。周辺は、沖縄海岸国定公園に指定され、30mもの断崖絶壁が約2kmも続いており、雄大な景観が広がっていた。昔は、200円で灯台の上に登れたようであるが、今日は立ち入り禁止になっていた。残念。
しかし、「岬と灯台」の観賞にひたりつつ、断崖絶壁に感激し、心が満ちた時間になった。
東シナ海に面した「残波岬」・「真栄田岬」・「万座毛」。それぞれの断崖絶壁を比較して味わうことができた。
「真栄田岬」と「万座毛」には、灯台はなかったが。
伊計島は太平洋に面している島である。観光地になりにくく、言わば「何もない島」であった。周りの海が美しく、小さな海水浴場が一か所だけの島。この島に至る途中に「海中道路」(実は、海上道路)を通ったが、期待したものはなかった。「普通の直線道路」であった。名前に魅かれて走行してみたが、期待外れ。
「万座毛」は「観光客銀座」であったが、伊計島にはほとんど人がいなかった。
私には、それも、また一興であった。
夕方になり、那覇空港の着陸コース真下にある瀬長島を訪れた。着陸する飛行機を間近(頭上約30mかな?)に見ることができた。短時間だったが、5機ほど見ることができた。やはり、迫力満点!
飛行機の着陸を頭上間近に見て、心がワクワク! その時の私は「少年」だった。
残波岬灯台
残波岬からの眺め(断崖絶壁が続いている)
真栄田岬からの眺め(灯台はないが、断崖絶壁が続いている)
万座毛 象の形の断崖絶壁は有名(ここにも灯台はない)
万人が座れる草原のような場所だが、絶壁は約3㎞続いている。
着陸直前の飛行機 瀬長島にて(迫力満点だった)
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2013/1/27
「首里城周辺散歩」 旅行記録
城壁だけ(中に入らないので無料)を見て、首里城周辺の散歩をした。
城壁はほんとうに見事で、遠くから眺めても迫力がある。今回も城壁に感動した。城壁の魅力が世界遺産になったのかもしれない。そんな気がする。
再建された「城」そのものは、(前回に見たときに)安っぽい気がして・・・がっかりしたものである。(首里城再建に努力された方々には申し訳ない感想だが)まあ、私の本音である。
今回の散歩道、「首里金城町石畳道(しゅりきんじょうちょういしだたみみち)」は、散歩コースとしてすばらしかった。王朝時代の風情を残す美しい道であり、「日本の道100選」の一つでもあった。
資料によると、16世紀ごろに、首里城から沖縄南部に通じる道として造られている。琉球石灰岩の石畳の道である。現存しているのはわずか300mぐらいだが、道の両側には古い石垣や沖縄特有の赤瓦の家が並んでいる。道を首里城から下っていくと、那覇市内のビルやマンション群が見下ろせ、その向こうには海が見えている。結構高台にある石畳道である。
石畳道を下りきったころになると、お腹が空いていたので昼食をとることにした。「首里殿内(すいどぅんち)」という沖縄料理の店がちょうど石畳道の終わり(始まり)にあった。予約してなかったが、席が空いていたので、すぐに注文ができた。いい雰囲気の店だったし、味もよかった。料金はランチメニューなので、高くはなかった。
昼食後、元の道を首里駅に向けてもどることを少しだけ考えたが、あまりにも急な登りになりそうなので、あきらめた。
城壁はほんとうに見事で、遠くから眺めても迫力がある。今回も城壁に感動した。城壁の魅力が世界遺産になったのかもしれない。そんな気がする。
再建された「城」そのものは、(前回に見たときに)安っぽい気がして・・・がっかりしたものである。(首里城再建に努力された方々には申し訳ない感想だが)まあ、私の本音である。
今回の散歩道、「首里金城町石畳道(しゅりきんじょうちょういしだたみみち)」は、散歩コースとしてすばらしかった。王朝時代の風情を残す美しい道であり、「日本の道100選」の一つでもあった。
資料によると、16世紀ごろに、首里城から沖縄南部に通じる道として造られている。琉球石灰岩の石畳の道である。現存しているのはわずか300mぐらいだが、道の両側には古い石垣や沖縄特有の赤瓦の家が並んでいる。道を首里城から下っていくと、那覇市内のビルやマンション群が見下ろせ、その向こうには海が見えている。結構高台にある石畳道である。
石畳道を下りきったころになると、お腹が空いていたので昼食をとることにした。「首里殿内(すいどぅんち)」という沖縄料理の店がちょうど石畳道の終わり(始まり)にあった。予約してなかったが、席が空いていたので、すぐに注文ができた。いい雰囲気の店だったし、味もよかった。料金はランチメニューなので、高くはなかった。
昼食後、元の道を首里駅に向けてもどることを少しだけ考えたが、あまりにも急な登りになりそうなので、あきらめた。
とにかく「バスがよく走っている道のバス停か、ゆいレールのどこかの駅を探して歩いてみよう!」ということになり、歩き始めた。
歩くスピードで知らない街をさまようことは楽しかった。緩やかに道を下りつつ、那覇市の中心部を目指して歩いた。
1時間ぐらい歩いたころだろうか、「あった!」。
ゆいレール安里(あさと)駅に辿り着けたのだった。その駅は那覇中心部「国際通り」から少し離れてはいた(牧志駅の次の駅)が、「もう歩かなくてもいい」と思い、散歩を終えた。
那覇市内でも、バスが一日2本のところもあるのだなあ…と、意外な驚きを感じた散歩であった。
首里城壁と門(門を入って行くと、再建された首里城がある)
首里金城町石畳道
道からの眺め 眼下に那覇の街が見える
石畳道の終点付近 沖縄料理店で昼食
歩くスピードで知らない街をさまようことは楽しかった。緩やかに道を下りつつ、那覇市の中心部を目指して歩いた。
1時間ぐらい歩いたころだろうか、「あった!」。
ゆいレール安里(あさと)駅に辿り着けたのだった。その駅は那覇中心部「国際通り」から少し離れてはいた(牧志駅の次の駅)が、「もう歩かなくてもいい」と思い、散歩を終えた。
那覇市内でも、バスが一日2本のところもあるのだなあ…と、意外な驚きを感じた散歩であった。
首里城壁と門(門を入って行くと、再建された首里城がある)
首里金城町石畳道
道からの眺め 眼下に那覇の街が見える
石畳道の終点付近 沖縄料理店で昼食