2011/1/6
「鬼井江の世界」 旅行記録
1994年発行の古い本『定年後の20年は夫婦で旅を愉しみなさい』を読み返している。その本に書かれている記述で、気に入った言葉をとりあげてみたい。
「好奇心の強さが、旅の奥行きを広げる」
「旅行の値打ちは、感動の大きさに比例する」
「旅行好きの人はボケにくい」
「一回の旅行には3回の愉しみがあります。それは、出発前の愉しみ、出発してからの愉しみ、帰ってからの愉しみの3回です。」
これら以外にも「そのとおりだな!」と共感できる言葉が多い書物です。
発行年度は古い本ですが、旅に対する考え方や感覚には普遍的なものがありますので、「古い考え方だなあ」とは思わないですね。「旅の魅力」は昔も今も変わらないからでしょう。
「好奇心」から旅先を決めることが多い。私は岬や灯台のあるところへ行ってみたくなる。一人旅(病気をしてからはしなくなったが)だと、その方面を目指すことが多かった。妻はその方面への「好奇心」が沸かないので、私一人で・・・ということになりやすい。好奇心を押し付ける気はないので、無理に一緒に行動してきていない。夫婦とはいえ、「好奇心」の方向が違って当たり前であるから。岬や灯台に夫婦共に好奇心がある場合は少ないであろう。(友人「阿乱怒論」さんの夫妻は、彼の旅行記の内容から察すると、同じような方向らしい。珍しいケースかも?)
好奇心の向かう旅先は、「阿乱怒論」さんとよく似ているなあ! と思う。彼のブログの旅行記を読むと「岬や灯台」を目指している記述が多い。鹿児島県では、佐多岬へ。宮崎県では、都井岬へ。(ブログによると、私が行ったことのない「岬や灯台」へ行かれているので、うらやましい限りである。)私の場合、佐多岬(2008年)や都井岬(2000年)へ行ったのは、「一人旅」でのこと。それぞれの岬へ一人旅をした年度は違うが、いいところであった。特に佐多岬への一人旅は感慨深い。彼のようにキャンピングカーではなく、レンタカー利用だった。たぶん、車を利用しなければ、「佐多岬」には行けないであろう。観光客の少ない、一人では心細く感じた岬であった。ほとんど、出会う人はいなかったから。一人だったので、結構、駐車場から岬までは遠く感じた。灯台そのものに行きたかったのだが、歩いては行けない「島」の上に立っていたので、無理だった。岬に行ってみて、初めて「無理」だと気づかされた。(今まで行った岬の灯台は、歩いてなら辿り着けたのだが・・・)
とにかく、「好奇心の強さ」が旅を豊かにしてくれることは確かである。ボケ防止にもなっているはずである。こうして、昔の旅をブログに書くことも「帰ってからの愉しみ」になる。鹿児島県へ旅行(今までに4回ぐらいかな?)では、佐多岬、開聞岳、桜島、山川港、根占港(南蛮船係留の楠木)、坊津などの風景が心の中の宝物になっている。また、知覧で目にした「特攻隊たちの遺書(手紙)」には、涙が流れた。若くして戦死した人々の「遺書」から「戦争の真実」を聞き取ることが出来た。
佐多岬の風景
佐多岬から開聞岳を望む。(残念ながら、雲がかかっていた)
桜島から佐多岬へ向かう途中、根占港近くの「くすのき」に感動。
坊津(ぼうのつ) 天然の良港。室町時代ごろから海外貿易で栄えている。
「好奇心の強さが、旅の奥行きを広げる」
「旅行の値打ちは、感動の大きさに比例する」
「旅行好きの人はボケにくい」
「一回の旅行には3回の愉しみがあります。それは、出発前の愉しみ、出発してからの愉しみ、帰ってからの愉しみの3回です。」
これら以外にも「そのとおりだな!」と共感できる言葉が多い書物です。
発行年度は古い本ですが、旅に対する考え方や感覚には普遍的なものがありますので、「古い考え方だなあ」とは思わないですね。「旅の魅力」は昔も今も変わらないからでしょう。
「好奇心」から旅先を決めることが多い。私は岬や灯台のあるところへ行ってみたくなる。一人旅(病気をしてからはしなくなったが)だと、その方面を目指すことが多かった。妻はその方面への「好奇心」が沸かないので、私一人で・・・ということになりやすい。好奇心を押し付ける気はないので、無理に一緒に行動してきていない。夫婦とはいえ、「好奇心」の方向が違って当たり前であるから。岬や灯台に夫婦共に好奇心がある場合は少ないであろう。(友人「阿乱怒論」さんの夫妻は、彼の旅行記の内容から察すると、同じような方向らしい。珍しいケースかも?)
好奇心の向かう旅先は、「阿乱怒論」さんとよく似ているなあ! と思う。彼のブログの旅行記を読むと「岬や灯台」を目指している記述が多い。鹿児島県では、佐多岬へ。宮崎県では、都井岬へ。(ブログによると、私が行ったことのない「岬や灯台」へ行かれているので、うらやましい限りである。)私の場合、佐多岬(2008年)や都井岬(2000年)へ行ったのは、「一人旅」でのこと。それぞれの岬へ一人旅をした年度は違うが、いいところであった。特に佐多岬への一人旅は感慨深い。彼のようにキャンピングカーではなく、レンタカー利用だった。たぶん、車を利用しなければ、「佐多岬」には行けないであろう。観光客の少ない、一人では心細く感じた岬であった。ほとんど、出会う人はいなかったから。一人だったので、結構、駐車場から岬までは遠く感じた。灯台そのものに行きたかったのだが、歩いては行けない「島」の上に立っていたので、無理だった。岬に行ってみて、初めて「無理」だと気づかされた。(今まで行った岬の灯台は、歩いてなら辿り着けたのだが・・・)
とにかく、「好奇心の強さ」が旅を豊かにしてくれることは確かである。ボケ防止にもなっているはずである。こうして、昔の旅をブログに書くことも「帰ってからの愉しみ」になる。鹿児島県へ旅行(今までに4回ぐらいかな?)では、佐多岬、開聞岳、桜島、山川港、根占港(南蛮船係留の楠木)、坊津などの風景が心の中の宝物になっている。また、知覧で目にした「特攻隊たちの遺書(手紙)」には、涙が流れた。若くして戦死した人々の「遺書」から「戦争の真実」を聞き取ることが出来た。
佐多岬の風景
佐多岬から開聞岳を望む。(残念ながら、雲がかかっていた)
桜島から佐多岬へ向かう途中、根占港近くの「くすのき」に感動。
坊津(ぼうのつ) 天然の良港。室町時代ごろから海外貿易で栄えている。
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2010/12/26
「鬼井江の世界」 旅行記録
宮古島にはこんなところもありました。団体ツアー旅行では見られそうではない風景を紹介。
ムイガー断崖(宮古島)
ムイガー断崖に上り、下を見た風景。断崖上には私一人だけ。
宮古島中心部の平良(ひらら)港にある魚市場風景
袋の中の赤っぽい魚が、沖縄でよく食される「グルクン」
ムイガー断崖(宮古島)
ムイガー断崖に上り、下を見た風景。断崖上には私一人だけ。
宮古島中心部の平良(ひらら)港にある魚市場風景
袋の中の赤っぽい魚が、沖縄でよく食される「グルクン」
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2010/12/25
「鬼井江の世界」 旅行記録
下地島の「通り池」という観光ポイントについて。
宮古島諸島はダイビングをする人にとっては、魅力的なダイビングポイントの多いところであるらしい。20箇所ぐらいあるようである。
その一つが「通り池」周辺。「通り池」は底が海につながっているのである。潮の満干で、水面の高さが変わる珍しい池。ダイビングをしたことのない私でも、魅力的なダイビングポイントだと想像できる。池の色が神秘的。ブルーのような・・・紺色のような・・・すごく魅惑的な色の池である。
私が訪れたときには、人がまったくいなかった。だから、なおさら魅惑的だったのかもしれない。写真に撮った「通り池」は、周りの風景がカットされてしまっているので、「通り池」の魅力を十分に伝えていない。残念。
どこの風景でもそうであるが、写真になると風景を切り取ってしまうので、魅力を十分に伝えられない。切り取られた風景以外は、想像力をはたらかせて見ることになる。その風景を実際に見ている者にとっては想像しやすいが、一度も見ていないものにとっては想像しにくいものである。
しかし、日本人は見えない部分を想像することが得意である。なぜなら、襖絵などの日本画を見ることのよって、想像力を鍛えられてきているから。画家でなくても、襖絵などの日本画は、「見えない部分=省略されて描かれていない部分」を想像しながら見ることが多い。
たとえば、日本画家が木を描く場合、根元の部分を省略して、いきなり枝から描いていることが結構多い。根元や大きな幹は省略。この描き方をした「木=枝」を見ても、日本人は「変だなあ」とは思わない。根元部分が描かれていなくても、想像力でもって、鑑賞する力があるのが「日本人」なのである。
一方、西洋人の絵は、木を描く場合、根元や幹を含んだ絵を描くことがほとんどである。いきなり枝や花を描く場合は、花瓶に入れないと落ち着かないようである。いきなり「枝から描いた絵」はほとんどない。花瓶に入っている枝や花ばかりである。
西洋人は、(画家も鑑賞する人々も)想像力が乏しいのか? それとも、「根元部分が見えない絵」を見慣れていないので、「変だなあ!」とみんなが感じるからであろうか?
私に言わせれば、「西洋人は想像力に乏しい民族」なのだ。(もちろん、私の独断だが)
日本人をひいき目に見ているわけではないが、想像力に関しては、日本人はすごい!
話は脱線してしまったが、「通り池」は魅惑的な池であった。
下地島といえば、パイロット訓練飛行場のある島。海の沖に向かって誘導灯が設置されていた。その海も美しい。下地島・伊良部島には、魅力的ダイビングポイントのほとんどが集中しているようである。宮古島そのものよりも多い。ある資料によると、10箇所以上ある。宮古島そのものには6箇所しかない。下地島・伊良部島周辺の海は、ダイバーにとっては潜りたい所だらけである。
素潜りしか経験のない私だが・・・「想像」はできる!
魅惑の池「通り池」(下地島にある二つの池。底は海につながる。)
もう一つの池
下地島・航空機誘導灯が海の沖へ
宮古島諸島はダイビングをする人にとっては、魅力的なダイビングポイントの多いところであるらしい。20箇所ぐらいあるようである。
その一つが「通り池」周辺。「通り池」は底が海につながっているのである。潮の満干で、水面の高さが変わる珍しい池。ダイビングをしたことのない私でも、魅力的なダイビングポイントだと想像できる。池の色が神秘的。ブルーのような・・・紺色のような・・・すごく魅惑的な色の池である。
私が訪れたときには、人がまったくいなかった。だから、なおさら魅惑的だったのかもしれない。写真に撮った「通り池」は、周りの風景がカットされてしまっているので、「通り池」の魅力を十分に伝えていない。残念。
どこの風景でもそうであるが、写真になると風景を切り取ってしまうので、魅力を十分に伝えられない。切り取られた風景以外は、想像力をはたらかせて見ることになる。その風景を実際に見ている者にとっては想像しやすいが、一度も見ていないものにとっては想像しにくいものである。
しかし、日本人は見えない部分を想像することが得意である。なぜなら、襖絵などの日本画を見ることのよって、想像力を鍛えられてきているから。画家でなくても、襖絵などの日本画は、「見えない部分=省略されて描かれていない部分」を想像しながら見ることが多い。
たとえば、日本画家が木を描く場合、根元の部分を省略して、いきなり枝から描いていることが結構多い。根元や大きな幹は省略。この描き方をした「木=枝」を見ても、日本人は「変だなあ」とは思わない。根元部分が描かれていなくても、想像力でもって、鑑賞する力があるのが「日本人」なのである。
一方、西洋人の絵は、木を描く場合、根元や幹を含んだ絵を描くことがほとんどである。いきなり枝や花を描く場合は、花瓶に入れないと落ち着かないようである。いきなり「枝から描いた絵」はほとんどない。花瓶に入っている枝や花ばかりである。
西洋人は、(画家も鑑賞する人々も)想像力が乏しいのか? それとも、「根元部分が見えない絵」を見慣れていないので、「変だなあ!」とみんなが感じるからであろうか?
私に言わせれば、「西洋人は想像力に乏しい民族」なのだ。(もちろん、私の独断だが)
日本人をひいき目に見ているわけではないが、想像力に関しては、日本人はすごい!
話は脱線してしまったが、「通り池」は魅惑的な池であった。
下地島といえば、パイロット訓練飛行場のある島。海の沖に向かって誘導灯が設置されていた。その海も美しい。下地島・伊良部島には、魅力的ダイビングポイントのほとんどが集中しているようである。宮古島そのものよりも多い。ある資料によると、10箇所以上ある。宮古島そのものには6箇所しかない。下地島・伊良部島周辺の海は、ダイバーにとっては潜りたい所だらけである。
素潜りしか経験のない私だが・・・「想像」はできる!
魅惑の池「通り池」(下地島にある二つの池。底は海につながる。)
もう一つの池
下地島・航空機誘導灯が海の沖へ