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北海道に生まれ育ち、四季折々大地の恵みと自然美豊かな充実の日々
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No.19 旧倶知安駅逓所/倶知安草分けの地碑(碑文)

2017-09-14 | 北海道の旧駅逓所

 

北海道の旧駅逓所
No.19 旧倶知安駅逓所(碑)
碑の所在地 虻田郡俱知安町南8条西2丁目  さくら公園   1丁四方の南西角に碑文
電話番号 倶知安草分けの地
開設年月日 倶知安町長 吉田 冨美雄
場所請負人 (碑文) 
現管理者 原始林に覆われた倶知安原野に明治25年5月、仁木宇蔵氏を先達とした一行16名が
所在地 入地、クドサン川筋(ここから南約400m)の猟小屋にたどりつき一夜を明かし翌日
電話番号 から開墾の鍬入れを行った。
新設時用途 その後、開拓が進むにつれこの猟小屋の跡に公設の駅逓が置かれ、この管理人として
構造・面積 赴任したのが宮脇胤意氏(のち初代倶知安町長)であった。
廃止年月日 昭和50年11月3日
文化財指定 倶知安町文化財促進調査委員会
見学・休館日 委員長 上野 留蔵
役場・電話番号 虻田郡倶知安町北1条東3丁目3番地   0136-22-1121
入場料  
特記事項 上記場所より南へ約400mの地には、確かにクドサン川の堤はあるが年代も経ており
  、それらしき駅逓跡は残っていない。倶知安町の役場を訪ね職員の人に色々話を伺う
  と、クドサン川は数次にわたり決壊氾濫しており現在の川筋になったのは築堤してか
  らであり、上記碑文にある南へ400mの位置確認はできない。
  「倶登山川」に架かる橋のたもとにある北海道の標板によれば「倶登山」(くとさん
  )とはアイヌ語:「クトサニ」で、その意味は「帯状に岩層の露れた断崖を下る川」
  となっており氾濫を繰り返した上流部のことだと推測する。
  さくら公園から南進する堤への方角は、ニセコ~函館へのR5と並行していて交通の
  要所であったはずだ。
         
     倶知安草分けの碑         碑文            さくら公園全景
         
     クドサン川の堤      倶登山川              倶登山川々名の由来
       
   
   
   
   

 


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