ウォーキング・レボリューション

地に足を付けて、自然と伝統文化に寄り添いながら、日々の生活を丁寧に送っていく。そんな暮らしの革命です。

荒壁塗り

2012-09-08 02:19:34 | 家づくり

木組みと土壁の平屋の家、通称「くろnecoハウス」の荒壁塗りが終了した。そこで、プロの左官Eさんより教えてもらった荒壁塗りの方法を紹介する。荒壁塗りにおいても地域や使う材料によって違いがあるので、一つの例としてとらえて欲しい。

壁の面積は、畳30枚ほど。素人2名により左官集団「チームつばくろ」を結成。初日のみ左官Eさんと奥様に手伝って頂き、チームつばくろ with E2として作業を行った。

作業期間は7月22日~8月10日の間に延13日、約21人日である。通常は塗り手3人に対して才取り(運び手)1人で行うそうだが、初日以外は2人で作業したため、効率が悪かった。

材料

・仕込み済み荒壁土・・・約2トン
・切苆(約6cm)・・・1.5袋 無農薬栽培。2010年群馬県産。

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約9か月寝かされた荒壁土

道具

・耕運機
・角スコップ
・長靴
・養生用テープ
 ・マスキングテープ24mm
 ・クロスマスカーテープ550mm
・才取り棒
・一輪車
・左官バケツ
・左官用ポリ舟
・左官用手クワ
・左官用洗いブラシ
・左官用ちり刷毛
・鏝板
・鏝 各種

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道具類

荒壁土のこね直し

昨年10月29日に仕込んでおいた荒壁用の土をこね直す。仕込み期間が予定より長引いてしまったため、土の上に被せておいた切苆2.5袋分の分解がかなり進んでいた。そのため、新しく1.5袋分の切苆を追加し、耕運機でこね直した。仕込みの時によくこねてあったので、5往復ほどで混ざった。

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新しい切苆を加え耕運機でこね直す

ちなみに、仕込み期間を長くしても壁の強度は変わらないそうだ。ただし、仕込み期間が長い方が藁苆が分解され、細かい繊維がたくさんできるので、雨には強くなるらしい。また、仕込み期間が長いと、藁苆の灰汁が出て、柱などにシミを作ってしまう。そのため、養生をしっかりと行い、柱などに付いたら、すぐにチリぼうきで拭き取る必要がある。荒壁土を仕込んでしばらく寝かせておくと、茶色い土が薄緑色に変わっていく。しかし、この土を竹小舞に塗りつけてしばらく経つと、色が少しずつ茶色に戻っていく。これは藁苆から染み出た色が、紫外線などによって消えるために起こる現象らしい。

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茶色と薄緑色のグラデーションが美しい

仕込みの土を実際に塗ってみると、小石ほどの土の塊が残っていて、作業しにくいことがあった。耕運機の刃には、ちょうど土の塊ほどの間隔が開いているので、よく混ぜたつもりでも土の塊が残ってしまうのは仕方がないことなのだろう。ちなみに、荒壁土を混ぜるには、耕運機を使う以外にも、ユンボで混ぜたり、専用の撹拌機を使う方法があるそうだ。

土の運搬

土はこね場から角スコップで一輪車に積んで、ポリ舟まで運び、手クワで固さを調整しながらこね直す。広いところではポリ舟から才取り棒ですくって歩いて運ぶが、足場などがある狭いところでは再度一輪車に積んで、そこから直接土をすくい取り塗り手に渡す。

養生

柱や桁、床などが土で汚れないようにマスキングテープやクロスマスカーテープを使って養生を行う。今回は柱や桁にチリじゃくりを入れてもらっているので、ちりじゃくりに沿ってマスキングテープを貼る。チリは20mm出ているので、24mmのマスキングテープを使うと、1回で柱の角まで養生できて都合がよい。床面はマスキングテープの上にクロスマスカーテープを貼ってビニールを伸ばし、マスキングテープで固定する。また、窓や柱・桁などを必要に応じてクロスマスカーテープで覆って保護する。
マスキングテープは貼ったままでいると、柱などに糊が残ってしまうので、土を塗り終わったら速やかにはがすようにする。

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養生後の様子

才取り棒

荒壁土を塗り手に渡すには、大きなフォークですくって、投げ渡す方法もあるようだが、今回は才取り棒を使った。
才取り棒は柄の下に羽子板状の板がくるようにして使う。こうすると柄の先端に土が引っ掛かり落ち難くなる。
才取り棒で荒壁土をすくうには、まず、ポリ舟の中の荒壁土を平らに均す。次に、才取り棒を縦に使い、才取り棒の羽子板の幅で土に筋を入れる。さらに、才取り棒の先で1回にすくう分を3つに分け、切苆の絡まりを減らす。最後に、3つに分けた土の下に才取り棒をすべり込ませてすくい取る。慣れるまでは、ポリ舟の角や端を利用して土をすくうと取りやすい。
塗り手に土を渡すには、まず、才取り棒の土が載っている羽子板を鏝板の上に載せる。次に、塗り手に才取り棒の上に鏝を内向きに当ててもらう。最後に、才取り棒をゆっくりと引き抜くと、土が鏝板の上に残る。

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才取り棒での土の受け渡し

運び手は才取り棒に土を取ったら、塗り手のそばで待っている。塗り手は土が必要になったら、「はい」と声を掛ける。塗り始めは次々と土を小舞に盛り付け、運び手が忙しい時に土を伸ばすようにすると効率がよい。

荒壁塗り

荒壁土を塗る工程は、表塗り、裏撫で、裏返し塗りの3工程に分かれる。
表塗りは竹小舞の片側から荒壁土を塗っていく作業であるが、どちら側から塗るかは地域によって、個々の壁や現場の状況によって違ってくる。今回は小舞の横竹側から先に塗った。一般的には縦竹側から塗ることが多いそうだが、縦竹側から塗るよりも土の引っ掛かりがよく、塗りやすいように感じた。塗り始める方向の違いによるメリット・デメリットについては、『土と左官の本 4』の「竹小舞の荒壁土は,横竹側から塗るか,縦竹側から塗るか?」(p73)という記事が参考になる。
塗る順番の基本は、中塗りなどと同じくロの字に塗っていくが、小舞竹(篠竹)の上に土を盛って伸ばすようにすると、小舞がグラつかず、塗りやすい。チリ際や貫の上下などは、鏝で土を押し込むようにするとよい。
荒壁土を塗る時は、竹小舞の反対側にはみ出る土の量や形が一定にそろうようにする。これは土が少し固まった後(今回は翌日)に、はみ出た土を下から上に鏝で撫で上げ(裏撫で)て、裏返し塗りの土を絡ませ、一体化させるためである。はみ出る土の量や形をそろえるには、水と切苆の量および鏝の圧力のかけ方がポイントとなる。また、鏝を上下左右に大きく動かし、薄く塗り伸ばすと、はみ出る土が多過ぎたり、つながったりしてしまい、一体化の効果が減ってしまう。

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土を均一にはみ出すのは難しい

表塗りは土の厚さを貫面に合わせるが、裏返し塗りは竹小舞が見えなくなる程度に薄めに塗る。貫がなく、竹小舞だけの壁は柱芯に小舞をかけるので、土の厚さは表塗り、裏返し塗りともに同じ厚さにできる。

乾燥

土の乾燥には風通しが重要なので、できるだけ窓を開けるようにする。また、ユニットバス周りなど壁で囲まれたところは扇風機を使って風を送るとよい。乾燥の目安は土が元の茶色に戻った具合でみる。また、よく乾くと土が痩せてひび割れ、貫や柱、桁との間に1cm以上の隙間ができる。

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荒壁土が塗り終わり、養生をはがしたところ

余談

当初の予定では、ツバメが巣をつくる頃に塗るつもりで「チームつばくろ」と名づけた。あわよくば、ツバメが巣の材料用に壁土を持って行ってくれればと思っていた。しかし、実際に塗り始めたのは7月に入ってからだったので、ツバメの姿は見かけなかった。代わりにハチの一種が土を持って行ってくれた。

荒壁土とハチ

参考文献
・『土壁・左官の仕事と技術』p77-79
・『家づくりビジュアル大事典』p65-67


竹小舞かき

2012-06-11 05:15:00 | 家づくり

木組みと土壁の平屋の家、通称「くろnecoハウス」の竹小舞かきが終了した。そこで、プロの左官Eさんより教えてもらった竹小舞のかき方を紹介する。小舞かきは地域によって使う材料やかき方に大きな違いがある。そのためここで紹介するかき方も一つの例に過ぎない。また、指導して頂いた時間は1日半ほどなので、やり方を誤解したり、独自に変更を加えたりした部分もあることをお断りしておく。

壁の面積は、畳30枚ほどである。このうち1面だけプロにお願いし、残りは素人2名で小舞をかいた。

作業期間は3月13日~6月11日の間に延33日、約55人日である。壁が細かく区切られたり、三角形のところも多かったので、思ったよりも時間がかかってしまった。

材料

・間渡し竹・・・5束、篠竹、群馬県那須産
・小舞竹・・・約3m (通称8尺9尺)×5束、真竹、群馬県産
・麻縄・・・3mm×490m×2ロール、根巻き用
・ステンレス釘・・・25mm、スクリュー
・また釘・・・32mm

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右から麻紐、ステンレス釘、また釘

道具

・カッター
・差し金
・えんぴつ
・墨壺
・マジック
・インパクトドライバー(直径12mmの木工用ドリル)
・竹用のこぎり
・剪定ばさみ
・ジグ(60mm・55mm、12mm深さ、小舞竹長さ)
・手袋
・テーピング(人差し指の第一関節と第二関節の間など)
・S字フック
・ハンガーで作ったフック
・錐
・げんのう

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道具類

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小舞竹を長さを揃えて切るためのジグ

準備

間渡し竹と小舞竹は、雨がかからない風通しのよいところに保管し、ブルーシートなどで密閉しないようにする。濡れたり、蒸れたりするとカビてしまうからである。

麻紐は約1間(180cm)の長さに切り、50本ずつ束ね、真中を麻紐で縛り、引っ掛けられるように輪を作っておく。麻紐を一定の長さに切るには、端材で糸巻きを作り、麻紐をぐるぐる巻き、カッターで切る。麻紐1本の長さが長すぎると、竹の間に紐を通していくのが大変になる。しかし、短すぎると何度も継ぐ必要があるため手間がかかる。また、小舞の端で縛る時、あまり短いと力が入らず締めにくい。20cm以上の余裕があると楽である。麻紐の結び目が小舞竹の上にくると、土がうまく塗れないので、結び目の位置を調整する。

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麻紐を一定の長さで切るための糸巻き

手順

まず、標準的な四角い壁の小舞の書き方を述べる。

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左官Eさんに見本としてかいて頂いた壁

(1)間渡し穴を開ける位置に印を付ける

まず、小舞をかく壁に小舞の中心線を引く。今回の貫は柱芯に入っているので、小舞をかく位置は柱芯から貫の厚さ半分だけ片側にずれている。地域によっては貫の位置をずらし、小舞の中心線と一致させるところもあるそうだ。通常、壁土の厚みが薄くなる方が壁の裏面となり、裏面を家の屋外側や押し入れなどの目立たない側にする。そのため、外壁の小舞をかく場合、小舞の中心線は貫の厚さ半分だけ屋外側にずれることになる。

縦竹は中心線の屋外側、横竹は屋内側になる。小舞は屋外側からかいた。貫と貫の間隔は60cmを標準とした。間渡し竹を通す位置は、桁や土台から60mm、貫の上端から60mm、貫の下端から55mm、柱わきから60mm離れたところとする。間渡し竹と間渡し竹の間隔は、30~40cmになるように間渡し竹を追加する。土台のアンカーボルトが邪魔して柱わきから60mmのところに穴が開けられない場合は、120mm離れた位置にする。換気扇やほぞなどが干渉して、間渡し竹を上から下まで一本で通せない時は、貫の位置でずらし、貫と交差しているところを釘で固定する。貫の上下の間渡し穴の位置はジグを貫面に合わせて、中心線と穴の位置を求める。壁の上下(桁、土台など)はまっすぐな棒を貫面に合わせて、写し取り、墨壺で中心線を書き、差し金で穴の位置を求める。

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中心線および貫の上下の穴の位置を求めるジグ

(2)間渡し穴を開ける

間渡し穴は、直径12mmの木工用ドリルで深さ12mmに開ける。穴の中心は、縦の間渡し竹が中心線から6mm屋外側に、横の間渡し竹が中心線から6mm屋内側にずれる。こうすることで小舞をかいた時に縦と横の間渡し竹が中心線上で接するようになる。

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穴の深さ12mmを確認するためのジグ

無垢の柱や土台を使っている場合、場所によって穴の開けやすさがかなり違うので注意する。穴を深く開け過ぎると、間渡し竹を入れるのが大変になる。また、長さの調整も面倒になる。

また、インパクトドライバーが入らない狭いところは篠竹も入れにくいので、下側は穴を開けず、又釘を左右から打ち込んで固定する。

(3)間渡し穴に間渡し竹を切って入れる

間渡し竹として使う篠竹は使う前に選別と下ごしらえをする。まず、篠竹を見て痛んだり、割れていたり、虫が食っていたりしたものがあったらはじく。篠竹から粉のようなものが出てきたら、虫食いなので使わない。次に、節に付いている皮や枝の切り残しを取り除く。

間渡し竹も小舞竹も大きい壁のものから取っていき、材料の無駄を防ぐ。また、小舞竹は、太くて厚い竹を横竹に、細くて薄い竹を縦竹に使うと壁が厚くならなくてよい。そのため、小舞竹で長い材料を取る場合は、竹の先端側の細い方から切っていくとよい。

間渡し竹は麻紐が結びやすいよう上から5mm、左から5mm(右利きの場合)のところに節がくるように切る。

篠竹が太くて12mmの穴に入らない時は、カッターで削って細くする。

(4)間渡し竹を貫に釘で固定する

篠竹を穴に入れ込んだら、貫と交差している部分を2ヶ所ずつステンレス釘で固定する。曲がっている篠竹は土が厚く塗れるように出っ張らない向きに回転して固定する。竹が割れないよう錐で下穴を開ける。また、下穴の位置は2ヶ所が直線上に並ばないようにずらす。これは一方の釘の位置で竹が割れてももう一方の釘の効きをよくするためである。

(5)小舞竹を適した長さに切る

間渡し竹が済んだら、次に小舞竹を切って用意する。横竹は柱間より6~10mm短くする。これは、地震の横揺れで横竹が押されて土をはがしてしまわないためである。また、隙間があると柱わきの小舞をかく時、麻紐が通しやすい。縦竹は上をぴったりつけた時に下が10~15mm隙間が空く長さに切る。これは、荒壁土を塗った際、曲がっていた竹が伸びて突っ張り土をはがしてしまわないため、土壁が雨で濡れた際、縦竹と土台の間に水が溜まって竹が腐らないようにするためである。

(6)間渡し竹に小舞竹を麻紐で巻きつける

始点の縛り方は間渡し竹の周りに輪を作り、麻紐を下から上に2回通して引っ張って縛る。横小舞をかく時は、真中の間渡し竹から始める。使用する小舞竹は、貫に引っ掛けたS字フックにのせておくと作業がしやすい。紐は千鳥に編んでいく。すなわち、間渡し竹は、斜めに編み、小舞竹はまっすぐ編む。

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始点の縛り方

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小舞竹をかいている様子。貫に引っ掛けたS字フックに小舞竹を置いている。

柱と小舞竹の隙間は左右交互に開けていく。一般的には柱との隙間は左右両側を開ける。これは地震の横揺れで壁が歪んだ時に、小舞竹が突っ張って土をはがしてしまわないようにするためである。左右片方ずつ柱に付けるのは、壁の歪みに対して抵抗を持たせるための工夫である。

また、最初と最後、間渡し竹が交差しているところ、貫の上は、二重に編む。凵の字のように間渡し竹は横に編み、小舞竹で上に上がってから斜め下に降りてくる。終点は、二重に編んだ後、最後の小舞竹の上で間渡し竹を一周し、さらにもう一周する時に輪をひねって小さい輪を作り、その中に紐の残りを通して引っ張って留める。紐は3cmほど残して切る。

貫のところは、間渡し竹に沿ってまっすぐに紐を降ろし、貫に打ちつけてある下側の釘のところで、貫と間渡し竹の間に紐を引っ掛ける。ここで引っ掛けると、紐が緩まずに手が離せるので、他の間渡し竹を同じ位置まで編んでいけ、脚立を登ったり降りたりせずにすむ。

縦の小舞竹をかく時は、初めに麻紐を緩めに仮編みしておく。そうすると、縦の小舞竹が支えられ、両手が空くので、ゆっくりと強く締めていくことができる。

竹の癖で小舞竹が出っ張ってしまったところは、麻紐で編んで平らにする。

小舞竹の間隔は人差し指と中指の二本が斜めに入るくらいの間隔にする。通常は30cmの間渡し竹の間に小舞竹を5本入れるが、小舞竹の本数を加減したり、幅の狭い竹や広い竹を組み合わせて間隔を調整する。

貫の下や一番下の横小舞竹は細いものを使うと指が通しやすく、編みやすい。狭いところに麻紐を通すには、ハンガーで作ったフックで引っ掛けて引き出すとよい。フックには100円ショップで売っているばねを付けて腰にぶら下げておくと使いやすい。

その他例外的な処理

貫や床束が邪魔して小舞竹がしばれないところは、ステンレス釘を打って固定する。

縦貫や床束などに横間渡し竹を取り付けるには、面から幅、深さとも12mmの窪みを作って、また釘で固定する。

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床束に12mmの窪みを作り、また釘で固定

横の間渡し竹が入らないような横長の壁は、割竹の両端を凸型に加工し、12mmの穴にはめ込む。

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横の竹は両端を凸型に加工した割竹

貫のない壁の場合、小舞の中心線は、柱の芯と一致する。そのため屋外側と屋内側の壁の厚さはほぼ同じになる。

小庇などとの取り合いで、片側からしか塗れない壁がある場合は、屋内側を縦竹にして小舞をかく。

三角形や台形などの放射状に小舞をかく必要がある壁は、竹の長さや位置が複雑になるため、あらかじめベニヤ板などに原寸で形を写し、その上で検討する。基本は、間渡し竹を放射状に数本取り付け、その間を長さの違う小舞竹でうめていく。

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原寸大の型板の上で小舞竹の配置を検討

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実際に小舞をかいたところ(妻壁)

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実際に小舞をかいたところ(越屋根の壁)

スリーブなど円形になっている部分は、スリーブの周りの小舞竹同士を麻紐で編んで固定する。

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スリーブ周りの様子

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完成後の外観

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室内の様子

参考文献

『左官超実用テクニック読本』 p29

『日本の壁―鏝は生きている』 p47-51


※紐は藁縄。編み方は千鳥でない。違いは多いが、とても参考になる。


【終了】「青梅・小さな木組みの家」構造見学会(2/25)のお知らせ

2012-02-19 08:09:42 | 家づくり

我が家の構造見学会を設計・監理をお願いしている木住研さんが企画しました。家づくりに興味のある方はぜひお越し下さい。木組みの家のスケール感や木の香り、天然乾燥材の色艶や木目の美しさなどは実物を見てみないと実感できないと思います。詳細や申込み方法は、木住研さんの「お知らせ」ページをご覧下さい。


また、木住研さんが我が家の建て方の様子を動画にしてUPしてくれました。木組みの家の建て方はなかなか見る機会がないと思いますので、ぜひご覧下さい。



YouTube: 青梅・小さな木組みの家-木組みの架構が出来上がるまで


地縄張り・水盛り・遣り方

2011-12-16 01:30:00 | 家づくり

今日は建物の位置、基礎の高さ、水平を決める作業である「地縄張り・水盛り・遣り方」を見学させてもらった。この記事をまとめるに当たって、『和風デザイン図鑑 CD-ROM付改訂版』(p52-54)や『棟梁に学ぶ家 図解 木造伝統工法基本と実践 第二版』などを参考にした。

地縄張り

まず、敷地の境界線に張った糸から、配置図に基づいた建物の大きさに水糸を張る。今回は基準にした境界線(写真右下の境界標からの線)がちょうど直角に交わっていたため、境界線に張った糸から平行の線を引くだけで、比較的簡単に地縄張りができたようだ。

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四隅の杭を打ち、水糸にそって貫板を並べたところ

遣り方

次に、建物の大きさから約2尺外回りに遣り方の四隅の杭を打ち水糸を張る。そして、貫板(12尺)を糸にそって継ぎ目を確かめる。継ぎ目に必ず杭を打ち込み、間隔を見ながら杭を打っていく。今回は継ぎ目の間に1本ずつ杭を打った。

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継ぎ目に杭を打ち込んでいるところ

水盛り

古くは水盛り台や鴨居に水を入れて水平を見たそうだが、今回は赤外線レベルを使った。まず、高さの基準となるベンチマークを選ぶ。今回は向かいのマンションの花壇を使用。受光器の高さを調整して、ランプが緑、ブザーが連続音になれば、本体と水平になる。レベル棒を固定すれば、棒の下端がベンチマークと同じ高さになる。

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ベンチマークとなる花壇の上でレベル棒をセット中

この後、地盤面の高さをベンチマークから何ミリ下げるかを棟梁と設計士さんが話し合って決めた。台風の時、敷地に水たまりができたので、地盤面を少し高めに設定してもらった。地盤面から基礎の高さ300mm+100mmを測れるように、レベル棒を切って短くした。後は、赤外線レベルの本体と受光器を通信させて、全ての水杭に水貫上端の印を付ける。

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赤外線レベルの本体と受光器とで通信中

水杭の印の位置に水貫を回して、固定する。補強のため筋違い貫も取り付ける。

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水貫を回して固定

直角を出すには、三平方の定理を利用した大矩(おおがね)ではなく、カネピタを使っていました。底辺が同じ二等辺三角形の頂角を結ぶと底辺と直角に交わる原理を利用している。

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今は廃業した協和建鉄株式会社の「おおがね巻尺カネピタ」

遣り方に柱芯墨を印して、釘を打ち、水糸を釘に引っかけて張る。最後に、2つの対角線の長さを測り、同じなら完了。この家は正方形なので、遣り方は四隅のL字型部分だけあればよいのだが、基礎屋さんが型枠をセットしやすいように、四角形にして910mmごとに印をつけていた。

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対角線の長さを計測中

最後に冬の渡り鳥「イスカ」に会えるかと思ったが、最近は遣り方から基礎工事まですぐに終わってしまうこともあり、あまり重要視されておらず、建築業界では絶滅危惧種に指定されているらしい。

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遣り方完了


地鎮祭・木材店と工務店の作業場見学・工事請負契約

2011-12-01 16:15:00 | 家づくり

地鎮祭(とこ しずめのまつり)

今日は待ちに待った地鎮祭だ。家づくりを計画してから早一年。いよいよ実際の家づくりが始まると思うとやはり期待と不安で一杯だ。昨夜から雨が降り、傘を差しながらの地鎮祭かと考えていた。しかし、工務店の棟梁が木材を持って来て、ブルーシートで立派な仮設テントを作ってくれた。幸い雨も小降りになり、地鎮祭は滞りなく行われた。

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立派な仮設テントと祭壇

地鎮祭の準備をするにあたって、棟梁や神主さん、近所の造園屋さん、母の助言を元に行った。また、この記事をまとめるに当たって、『和風デザイン図鑑 CD-ROM付改訂版』(p50-52)や「地鎮祭の準備(服装・初穂料・費用など)」などを参考にした。ただし、地域や棟梁、神主さんによっても色々と違いがあるようだ。

祭場を作るには、まず家の中央を選び、斎竹(いみだけ)とと呼ばれる葉付きの青竹を一間四方の四隅に立てる。次に注連縄を目の高さで斎竹に張りめぐらせる。祭場の中央に神さまの降りる場所として、榊に麻と紙垂(しで)をつけた神籬(ひもろぎ)を立てる。祭壇は南または東向きに設ける。また、祭壇近くに盛砂を作り、笹を立てた。砂と注連縄は棟梁に、青竹は近所の造園屋さんにお願いし、直前に切って持ってきてもらった。

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左の台に玉串、中央に鎌、鍬、鋤、左に盛砂

祭壇には、神饌物として次のものをお供えした。
米1合、塩1合、酒1升、水コップ1杯
海のもの(鯛の尾頭付き2匹、昆布1袋、するめ1袋)
山のもの(野菜(大根、白菜、小松菜、人参、さつま芋)、
     果物(柿、林檎、梨、みかん、ラフランス))

お酒は、清酒に「奉献」と表書きしたのし紙を貼る。ちなみに、用意した野菜や果物が多すぎて神主さんが持ってきた三方(お盆)に載り切らなかった(笑)。そして、なぜか母はお菓子もお供えした。お米は前夜に水で洗い、ざるで水切りした洗米を使うのが正しかったようだ。

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地鎮祭式次第

  • 修祓(しゅばつ)の儀・・・斎場と参列者を祓い清める。
  • 降神(こうしん)の儀・・・地鎮祭の神々を神籬にお招きする。
  • 献饌(けんせん)の儀・・・地鎮祭のお供えものを献上する。
  • 祝詞奏上(のりとそうじょう)・・・神主が地鎮祭の祝詞を奏上する。
  • 清祓(きよはらい)の儀・・・敷地の四方を祓い清める。
  • 地鎮(ぢちん)の儀
  •   苅初(かりぞめ)の儀・・・設計者が盛砂に斎鎌(いみかま)を入れる。
  •   穿初(うがちぞめ)の儀・・・施主が盛砂に斎鍬(いみくわ)を入れる。
  •   鎮物埋納(しずめものまいのう)の儀・・・穿初の儀で掘られた盛砂の中に鎮物を仮埋めする。
  •   鍬入(くわいれ)の儀・・・施工者が盛砂に斎鋤(いみすき)を入れる。
  • 玉串奉奠(たまぐしほうてん)・・・神職および参列者一同が玉串を奉納し、拍手で拝礼する。
  • 徹饌(てっせん)の儀・・・地鎮祭のお供えものをお下げする。
  • 昇神(しょうしん)の儀・・・祭壇にお招きした神々をお送りする。
  • 神酒排戴(しんしゅはいたい)・・・神酒を飲み交わし、喜び合い、互いに助け合うことを誓う。

清祓の儀では、東北隅、東南隅、西南隅、西北隅、中央の順に神主さんに続いて、設計者が塩、施工者が米、施主が神酒を撒いてお祓いをする。
地鎮の儀で、盛砂に斎鎌、斎鍬、斎鋤を入れる時、「エイ、エイ、エイ」と言いながら所作を3回行う。
玉串奉奠では、玉串は右手で根を左手で葉を持つように受け取る。玉串を時計回りに4分の3回転させたら根を神前に向け、両手で玉串案に供え、「二礼二拍手一礼」をする。ちなみに、自分は玉串を回転させずにそのまま奉納してしまった。よく見ると棟梁はきちんと回転させていた。
鎮物埋納の儀では、鎮物を仮埋めすることもあるようだが、今回は地鎮祭の後、神主さんから直接受け取った。基礎工事が始まるまで、実家の神棚に供えることになった。

神酒排戴の時、施主の挨拶をした。事前に考えておいたのだが、実際にはこの半分も言えなかった。以下、参考までに。
「本日はお忙しい中、我が家の地鎮祭にご出席いただき誠にありがとうございます。これからの工事では色々とご苦労をお掛けするかと思いますが、宜しくお願いします。初めての住宅工事で不慣れな点も多々あるかとは思いますが、今から夫婦二人と猫一匹で暮らせる日を楽しみにしています。色々と無理なお願いをしたり、教え貰うこともあるとは思いますが、宜しくお願い致します。それでは『工事の無事を祈願して乾杯!』」

気になるお金だが、お供え物の手配や神主さんの送迎はこちらで行ったので、「御供物料」や「御車代」はかからなかった。神主さんへの御礼は1万円~2万円程度だそうだが、地域や神社により違いがあるそうだ。これは母に相談して決めた。御礼の表書きは「初穂料」とした。棟梁と設計士さんには、御祝儀とお酒を用意した。表書きはいずれも「御祝儀」。また、竹を持ってきてくれた造園屋さんにもお礼をした。

地鎮祭の後、神主さん、棟梁、設計士さん達と直会(なおらい)を行った。お供え物の御下がりを食することもあるらしいが、今回は母の手作りのお赤飯と煮しめを食べた。皆で炬燵に入りながら雑談をしたが、神主さんが神社のことについて色々と話をしてくれた。氏子とは代々その地域に住んでいなくても、その土地に引っ越してくれば、自然とその神社の氏子になるものだそうだ。小さい頃は神社で虫を捕まえたり、椎木のどんぐりを拾って遊んだものだが、今また改めて氏子に戻るのだと実感した。神主さんを車でお送りし、神饌物を差し上げて、地鎮祭は無事終了した。

近所への挨拶回り

この後、棟梁、設計士さんと一緒に近所への挨拶回りに行った。工事に伴う騒音や車両の出入りなど、近所の方々へは色々と迷惑をかけることになるので、挨拶回りはとても重要だ。

木材店の作業場見学

材木に関してはできるだけこだわりたい。外国産よりは国内産、集成材よりは無垢の木、人工乾燥よりは天然乾燥。国内産材でもウッドマイルズが短い地域材、森林認証制度に取り組んでいる林業者さんのものを使いたい。そして、これらの木材をさらに生かすには、プレカットではなく手刻みで、金物は使わず木組みで作りたい。

そんな木材を求めて、埼玉県にある木材店を設計士さん、棟梁と共に訪ねた。雨が降り続いてぐっと冷え込む中、約束の時間よりだいぶ遅くなってしまったが、木材店の社長は暖かく出迎え、丁寧に説明をしてくれた。今日の製材作業は終わった後だったが、特別に1本だけ製材するところを見せてくれた。

丸太が製材機に固定されると、台に乗った丸太は中央の巨大なのこぎりに送られ、外側が少しずつスライスされていく。1辺につき2回ずつ4面切り取ると、残りが角材となる。どの面をどのくらい切り取るかは長年の経験と勘によるそうだ。

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製材機の台に丸太を固定

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巨大なのこぎりが丸太をスライス

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四面切り取られ角材に

この後、我が家に使う予定の木材を見せてもらった。土台に使う檜の角材だ。

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残念ながら柱や梁などに使う杉はストックがなかった。木材店のネットワークを通じて他から調達するそうだ。無節の檜材や大きく曲がった梁材、樹齢百年は超える板材などはたくさんあった。しかし、安い杉材、しかも節のある材は割に合わないからか、置いていなかった。できるだけ近くからいい材が手に入ることを期待したい。

工務店の作業場見学

続いて棟梁の作業小屋を見学させた頂いた。刻み終わった木材が並ぶ中、目的の大黒柱は大切に保管されていた。およそ8寸(24cm)はある杉の角材だ。もう5、6年は寝かせてあるので、刻んでもほとんど反ったり捻じれたりしないとのこと。近くにあった栗材に目移りしたが、木組みの小さな家には杉の大黒柱で十分だ。表面が削られた美しい木肌にお目にかかれる日が待ち遠しい。

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作業小屋の様子

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真ん中の角材が大黒柱に

参考までに別の仕事で余った人工乾燥の材を見せてもらった。表面にひび割れはないが、中に無数の小さな割れが入っているという。ひどい時はのこぎりの刃がひびに食い込むという。こんな状態では継ぎ手の強度も当然弱くなるはずだ。

また、小口が黒ずんでいるのは中から染み出てきたタール分。これではシロアリに強い木の成分も失われてしまう。小原二郎著『日本人と木の文化』(p176)によると、常温で千年かかる木の老化を百度なら十日程度でつくりだすことができるそうだ。せっかく長年かけて育ってきた木も高温乾燥によって、第2の人生が短命に終わってしまうのはもったいない。

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人工乾燥の木材

棟梁の自宅にて工事請負契約

工事請負契約を結ぶために棟梁の自宅にお邪魔した。太い柱と巨大な梁にまず圧倒された。大きな吹き抜けと薪ストーブ。ちょっと山小屋風な感じの木組みの家だ。コーヒーを飲みながら自宅の造りを説明して頂いた。そして、いよいよ工事請負契約だ。契約書には事前に目を通し、疑問点をまとめておいた。書式は、日本法令の「建設26 22.07改」で、最低限必要とされる以下の項目も全て網羅されていた。

  1. 瑕疵担保の規定について
  2. 履行遅滞違約金について
  3. 仕様書不適合の改造義務について
  4. 検査関係について
  5. 施主側の中止権、解除権について
  6. 紛争処理関係について
  7. 工事監理者について

疑問点を確認した後、契約書2部にそれぞれ署名・捺印し、収入印紙にも捺印し、割印も押して、契約は無事完了した。今までこんな高価な買い物をしたことがなかったので気が付かなかったが、収入印紙代(印紙税額の一覧表)も結構馬鹿にならないものだ。蛇足だが、くれぐれも実印と収入印紙はお忘れなく。

この後、棟梁に鯨料理屋に連れて行ってもらい、ご馳走になった。『棟梁、小さい家ですが、よろしくお願いします』


荒壁用土の仕込み

2011-10-29 22:39:00 | 家づくり

現在、木組みと土壁の平屋の家、通称「くろnecoハウス」の建築を計画中である。その準備として、10月29日(土)、プロの左官Eさんの指導のもと、荒壁用土の仕込みを行った。作業は、プロ1名+素人2名の計3名で、9時頃から15時頃までかかった。

事前準備
事前に8畳ほどの捏ね場を用意した。今回は敷地の関係で、2m×7.2mの細長い形になった。12mmのコンパネで高さ30cmの囲いを作り、杭で固定する。内側に3.6m×5.4mのブルーシートを3枚敷き、底に5.5mmのベニヤを8枚敷く。立ち上がり部分にも5.5mmのベニヤをネジで留めつける(使用する耕運機が側面カバー付ならば、このベニヤは必要ない)。土の仕込みが終わったら、はみ出たブルーシートを内側に折り、さらにその上から3.6m×5.4mのブルーシート2枚を被せ、石と板で固定して風で飛ばないようにする。

材料
・荒壁土・・・2トン 群馬県藤岡産の瓦用粘土。粘性が高く乾くと固くなるが、その分痩せる。
・切苆(約6cm)・・・5袋半 無農薬栽培。2010年群馬県産。
・水・・・適量

道具
・耕運機 (足で捏ねた方がよい土ができるという人も)
・角スコップ×3
・ホース×2 (時間短縮のため2系統から給水)
・左官バケツ×3
・左官用洗いブラシ

仕込みの手順
①トラックから荒壁土を角スコップで捏ね場に降ろし、平らにならす。
②切苆2袋を土の上に万遍なく被せる。
③切苆の上からホースで水をかける。
④あちこち足で踏んで水のたまり場を作る。
⑤切苆が十分湿ったら、耕運機でかき混ぜる。
⑥耕運機がうまく回転しない時は、バケツで近くに水をかけてもらう。
⑦捏ね場の際は混ざり難いので、角スコップで土を内側に移動する。
⑧土の塊がなくなり、田んぼのように土に粘りが出るまで、耕運機でかき混ぜる。
⑨最後に残りの切苆2.5袋分を万遍なく被せ、ブルーシートで覆う。
⑩約半年後、再度耕運機でよくかき混ぜる。

ポイント
・角スコップで土をすくう時は、底を滑らせるようにスコップを差し込み、てこを使って持ち上げるとよい。
・トラックから土を降ろした後、できるだけ踏まずにフワッとした状態を保つ。
・捏ね始めは、耕運機を引き寄せ、できるだけ同じ位置で回転させる。腰を入れ、左右どちらかの足で踏ん張ると耕運機に体を持ってかれない。通常は、耕運機の後ろの方に抵抗棒が付いているので、ハンドルに体重をかければ、深く耕せるらしい。今回は抵抗棒を借りてくるのを忘れてしまった。
・耕運機の刃が底のベニヤに当たるようになったら、行ったり来たりを繰り返す。合計で7、8往復はした。
・土には20、30cmの塊も含まれていたが、耕運機をかけ続けると、足の裏に塊を感じないようになってくる。
・土と藁と水がよく混ざると、土に粘りけが出て、足が抜け難くなる。
・長靴が土にはまり、足だけ抜けてしまわないよう、紐で足首と足の甲を縛るとよい。ただし、長靴だと丈が短くてズボンまで汚れてしまうので、田植え用水足袋の方がよい。
・今回はブルーシートの内側にもベニヤを取りつけたので、側面ギリギリまで捏ねることができ、捏ね場の際の土を何度も内側に移動しなくてもよかった。
・捏ね場の形は、敷地の関係で長方形となったが、8畳ほどの規模であれば、トラックの横付けが容易、耕運機の折り返しが少なくて済むなど、有利な点も多い。
・捏ね場は使う土の分よりも一回り大きい方が、耕運機の折り返しや土の運び出しに有利なようだ。
・捏ね場の底が水平でなかったため、水が少し一方に偏ってしまった。しかし、荒壁は後から塗る土の水分を多くするらしく、水分の少ない土の方から先に使うようアドバイスをもらった。
・別の仕込み方では、最後に切苆を被せずに、荒壁を塗る数週間前に乾燥した切苆を混ぜ込んで、さらに寝かせて使うらしい。今回のやり方では、上に被せた切苆が適度に発酵して分解されるので、混ぜてすぐに使えるメリットがあるのではないか。
・土を使う時は捏ね場の囲いの一部を取り外し、そこから猫車を入れて、土を運ぶらしい。そうとは知らず、捏ね場の囲いを少し頑丈に作ってしまった。

その他
・耕運機を使う時に指輪は外した方がよい。思わぬ事故につながることがあるそうだ。
・ホンダの耕運機のスターターは少しゆっくり引いた方がエンジンのかかりがよい。
・エンジンが温まっている時は、チョークは引かなくてもよい(常識?)。
・今回使用した荒壁土は、採掘した土を遠心分離器にかけ、砂利や砂などを取り除いて粘土だけを取り出し、乾燥させたものらしい。見た目は普通の粘土に見えるが、思ったより手間とエネルギーをかけて作っているようだ。

仕込み期間について
仕込み期間は、スケジュール、予算、工期などを考慮して約6ヶ月を予定している。人により3年は寝かせるとよい、夏を越すと熟成が進んでよい、切苆を追加して練り直しをした方がよいなど様々だが、壁を厚くできるのであれば、仕込みはあまり長くなくてもよいそうだ。仕込み期間が長く、加える藁の量が多いほど、繊維質を多く混ぜられるので、それだけ丈夫にできるらしい。また、藁が微生物によって分解され、微生物が糊の働きをして、塗りやすくなるという人もいる。一方で、壁が固まるのは粘土そのものの性質なので、有機物の混入は少ないほどよいという意見も。茶室などの薄い壁を塗る場合は、仕込みに3年は必要らしい。今回は竹小舞下地の中塗り仕上げで厚さ7cmを予定している。壁を丈夫にするには、材料に砂を増やしつつ何度も塗り重ねる、荒壁土を梅雨前に塗って十分乾かす、厚い貫を数多く入れる、竹小舞下地をきつくしっかり編む、外壁は漆喰で仕上げ軒の出を深くし下見板で覆う、などトータルで考える必要がありそうだ。

参考文献
『木造住宅私家版仕様書 コンプリート版 完全版 架構編+仕上げ編 究極の木組の家づくり図鑑』p206
『家づくりビジュアル大事典』p66

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約6cmの切苆

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トラックから捏ね場に土を降ろす

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土の上に切苆を被せる

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耕運機で捏ね始める

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まだまだ混ざっていない

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まだ捏ね足りない

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田んぼのようになってきた

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最後はブルーシートで覆い、熟成を待つ


初蛙浮かれて轢かれ地に還る

2010-03-02 23:23:23 | 歳時日記
 数日前、雨の降った後、駅に行く途中の道端でヒキガエルが轢かれて死んでいた。このところの暖かさで、冬眠から目覚めたのだろうか。そばの家に池があるらしく、雨の日には蛙の鳴き声が聞こえてくる。そして今日、ヒキガエルが道の上を移動しているのを発見した。また轢かれては大変と、家まで連れて帰って、庭に放してやった。これで2度目である。ということで、今日の一句。

  初蛙浮かれて轢かれ地に還る

 季語は、「初蛙(春)」。ヒキガエルや雨蛙は夏の季語なので、本来なら赤蛙や殿様蛙を初蛙というのであろう。ただし、ヒキガエルや雨蛙も昔は春の季語であったらしい。  もう20年以上前の話だが、梅雨の雨の降る日に、日比谷公園に行った時、そこらじゅうがヒキガエルであふれていた。60匹くらいまでは数えたが、途中であきらめてしまった。今はどうなっているのだろうか。

下萌の息吹きただよう窓の外

2010-03-01 23:23:23 | 歳時日記
 以前の日記で、旧暦の15日が必ずしも満月ではないと書いたが、今月の場合は今日が満月である。ずれる理由はいくつかある。まず、旧暦の1日は「新月を含んだ日」のことなので、新月の瞬間が午前零時から24時の直前までであれば、その日が1日ということになる。この時点で月によって約1日のずれが生じる。次に、月の満ち欠けの周期の半分は、平均で約14.76日になるので、この0.76日分だけ実際の満月が旧暦の15日よりも遅れる傾向にある。しかも、月の軌道は楕円なので、実際の日数は、13.8~15.8日の間で変化する。もっとも旧暦の時代に生きていた人は、こんな細かいことなど気にしていなかったとは思うが。。。
 今日は、七十二候の「草木萌えうごく」で、「萌えうごくとは草木が芽吹く様子、その色が萌黄色」(39頁)だそうだ。

萌黄色

萌黄色
 ここしばらく風邪を引いていて、更新ができなかったが、外の元気を分けてもらいたいという思いを込めて、一句。

  下萌の息吹きただよう窓の外

 季語は、「下萌(春)」(したもえ)です。

繭玉の鈴なり響く多摩の里

2010-02-28 23:23:23 | 歳時日記
 今日は、旧暦の小正月である。中国から暦が輸入される前は、満月の日が年の始まりとされていたらしく、その名残で小正月と呼ばれるようになったそうだ。小正月には、日本各地で様々な行事が行われるが、養蚕が盛んな地域では「繭玉(新年)」が飾られた。繭玉とは、「餅花(稲の花)の一種であり、米の粉を繭の形にして木にさしたもので、東日本に多くみられる」(139頁) ものだそうで、蚕の安全を祈るために飾る。実家でも一時期養蚕をしていたからか、今でも繭玉を作っている。ただし、自分が生まれてからは、繭玉の団子だけを作り、木にはさしていない。ということで、今日の一句。

  繭玉の鈴なり響く多摩の里

 実家では団子を米の粉で使って作っていたが、これは白繭といい、トウモロコシ粉の団子は黄繭といったそうだ。また、餡入りの少し大きめの団子も作ったが、この餡はサナギに見立てたものだそうだ。しかし、餡入り団子は、死に繭・染み繭につながるといって避けた地域もあったらしい。また、団子以外にもみかんやきんかんを飾ることもあったが、サビマユ(染み繭)になるからと嫌う人もいたそうだ。
 繭玉の団子は、16日か17日に収穫に見立てて枝から外す。団子は、小豆粥に入れたり、囲炉裏の灰に埋めて焼き、醤油などを付けて食べたそうだ。地域によっては、焼くと焼け繭(屑繭)になるからと焼かずにふかして砂糖をかけて食べたり、醤油を付けると屑繭ができるからと焼くだけでそのまま食べたりしたそうだ。昔の人の養蚕への思いが感じられる話だが、自分はそんなことは知らずに、オープントースターで焼いて、醤油を付けて食べていた。

不知火の潮風に舞えどんど焼き

2010-02-27 23:23:23 | 歳時日記
 2003年1月に「市民のための環境公開講座」の番外編として企画された水俣エコツアーに参加した。案内役は、地元学の生みの親の吉本哲郎さん。初日は、水源と水の神様、棚田と田の神様、吉本さんの家の水使いと有用植物を見学した。二日目は、環境マイスターでお茶の無農薬栽培をしている天野茂さんの畑を中心に地元学の実習を行った。最終日は、水俣病の語り部で、数年前に亡くなられた杉本栄子さんのお話を伺った。
 原因不明の奇病・伝染病と言われた水俣病の患者や家族に対して様々な差別と偏見が加えられた。夜ともなると患者のいる家の雨戸には石の雨が降った。そのため、発病者が出た家では、周りに知られないように患者を家の中に閉じ込めることもあった。チッソの企業城下町だった水俣では、チッソに勤める人も多く、たとえ身内に患者がいたとしても、チッソに対して批判の声を上げることは難しかった。また、批判する人に対しては、チッソが金を積み、一人また一人と反対派を買収していった。こうして、水俣では、自然が破壊されただけでなく、人と人との関係もまた壊されていった。
 水俣湾は、1977年から始まった水銀ヘドロの除去と埋め立て、その後の環境復元事業の結果、今では20種類以上のサンゴの生息が確認されているそうだ。しかし、その代償として、広さ58.2haの埋立地の下には、大量の水銀ヘドロと、ドラム缶詰めの魚たちが今も眠っている。一方で、水銀濃度25ppmを下回る汚泥は、今も水俣湾と八代海(不知火海)に残されたままだ。
 ツアー中の1月14日(新暦)に、地元の「どんど焼き(新年)」に参加させてもらった。ここでは、青竹を数本立てて、その周りに正月飾りを積み上げて焼いていた。ということで、今日の一句。

  不知火の潮風に舞えどんど焼き

 水俣では地域再生の取り組みを「もやい直し」と呼んでいる。そして、「火のまつり」を始めとした様々な試みは、今も続けられている。