ウォーキング・レボリューション

地に足を付けて、自然と伝統文化に寄り添いながら、日々の生活を丁寧に送っていく。そんな暮らしの革命です。

絹まとう御岳の山の初霞

2010-02-26 23:23:23 | 歳時日記
 実は2日前の七十二候「霞始めてたなびく」の意味を理解するまで、霞が棚引くという現象をあまり意識していなかった。言われてみれば、確かに遠くの空が薄ぼんやりして、霞が棚引いている。そして、体にも春の温もりが感じられる。
 歳時記にも「霞は春の季語として親しい。新春の野山にたなびく霞を、敢えて『初霞(新年)』、新霞という。関東以北では、新暦の正月に霞を見ることは稀であるから、一般的にいえば旧正月の季題としてふさわしい」(60頁)とある。
 霞も霧も大気が薄く濁って遠くのものがぼやけて見えなくなる現象をいうが、霞は文学表現であり学術的な定義はないそうだ。俳句では、霞が春の季語、霧が秋の季語とされる。同じ現象でも夜はとくに朧という。
 では、今日の一句。

  絹まとう御岳の山の初霞

 ちなみに、この句は霞台と呼ばれる地区にあるビルからの眺めを詠んだものである。この地区は、平地で特に霞が発生するようなところとは思えない。ひょっとすると、周りの山々がよく霞んで見えたから付けられた名なのかもしれない。

達磨市目当ては横の夜店かな

2010-02-25 23:23:23 | 歳時日記
 小さい頃、毎年1月12日(新暦)に立つ地元の「達磨市(新年)」によく行っていた。実家では今でも毎年達磨を買っていて、神棚には4年分の達磨が仲良く並んでいる。今年は、夕方からみぞれ混じりの天気だったが、それでも延期せず市がたったそうだ。
 達磨は、「商売繁盛、合格祈願、無病息災、家内安全等々開運の縁起物として家々で飾られているが、多摩ではこれが広まったのは養蚕に伴って」(224頁)だそうだ。なんでも多摩地域では繭玉のことをメエダマとも呼び、達磨の目玉にひっかけて、買った達磨に片目を入れることで沢山繭が取れるように願をかけたからだそうだ。
 実家でも一時期養蚕をやっていたので、その名残で今でも達磨を買っているのかもしれない。しかし、小さい頃は、そんなことは露とも知らず、露店の焼きそばや綿菓子、おもちゃなどが目当てで父の後をついて行った。ということで、今日の一句。

  達磨市目当ては横の夜店かな

鏡餅岩から溶けて餅の肌

2010-02-24 23:23:23 | 歳時日記
 今日は、七十二候の「霞始めてたなびく」で、「春めいて空に霞がたなびく」(39頁)頃だそうです。鳥たちの鳴き声もすっかり春めいてきて、日々過ごしやすくなってきました。
 今日は、旧暦の鏡開きです。実家では11日に行っていますが、日は地域によって異なるそうです。正月に年神に供えた鏡餅を雑煮や汁粉にして食べるらしいですが、実家ではいつもお汁粉にしていました。鏡餅は刃物で切ることを忌み、鎚などを用いて割って、開くというそうですが、実家の餅は餅つき機で作っていたせいか、自然にひび割れることも多かったです。今年の正月(新暦)は、横着をして、自然食品店で売っていたパックの鏡餅を買ってきましたが、いざ鏡開きをしようとした時、説明書に包丁を使って切って下さい、と書いてあって、拍子抜けをしました。餅が柔らかく、とても鎚で割れそうになかったので、結局、包丁で切ることにしましたが。。。
 鏡餅といえば、焼いた時に、中の方の柔らかいところが、溶けだして、ぷくっと膨らむところがなんとも楽しいです。固いところと柔らかいところの歯ごたえの違いもまた楽しめます。ということで、今日の一句。

  鏡餅岩から溶けて餅の肌

福寿草ぬくもり集め客を待つ

2010-02-23 23:23:23 | 歳時日記
 この時期、実家の裏庭に「福寿草(新年)」の花が咲きます。いつ頃から植えられたものかよく分かりませんが、花は一重で金平糖状の果実をつけます。江戸時代から正月の鑑賞用に栽培され、たくさんの栽培種があったそうです。一時期、栽培が途絶えましたが、今では50種ほどが復活しているそうです。実家のある地域では、明治初期から大正にかけて栽培し、東京などに出荷していたらしいです。園芸種は、八重咲きのものが多いので、実家のものは、どこからか自生種を手に入れたのではないでしょうか。別名、元日草(がんじつそう)や朔日草(ついたちそう)と呼ばれますが、新暦の新年に合わせようとすると促成栽培になってしまうようです。
 福寿草は、春の訪れを告げる花ですが、この時期はまだ気温も低いので、受粉を助けてくれるハナアブを呼ぶために特別な工夫をしているようです。福寿草の「花ははじめ地面に接するように咲いているが、花の柄が伸びてくると、太陽を追いかけるようになる。つねに太陽のほうを向き、光沢のある花びらが凹面鏡のように光を集めるのだ。そのため花の中の温度は外より10℃近くも高くなる」(59頁)そうです。火鉢のような花の中で暖まったハナアブは、花から花へと飛び回り、花粉を運んでくれるという仕組みです。ということで、今日の一句。

  福寿草ぬくもり集め客を待つ

嫁が君我が家はいつも嫁のまま

2010-02-22 23:23:23 | 歳時日記
 「嫁が君(新年)」とは、「鼠の呼び名である。ただし、正月の三が日に限り使われる忌詞(いみことば)である。昔から鼠は福の神とか、大黒様のお使いなどと呼ばれたので、正月にはこれをもてなす地方もある」(496頁)とのこと。「嫁」は「夜目」から来たのだとか。鼠の場合、夜目が利くというより、鼻が利くだと思うのですが。
 「秋茄子は嫁に食わすな」という諺の解釈には諸説あるそうですが、その一つに、「秋なすはおいしいので、嫁(鼠)に食わせるのはもったいない」という説があるそうです。我が家に住んでいる鼠たちは、三が日と言わず、大根やら白菜やら菓子パンやらなんでも好き放題に食べています。というわけで、今日の一句。

  嫁が君我が家はいつも嫁のまま

 ちなみに、猫の忌詞は、「皮袋」だそうです。猫は鼠を食べてくれるので、忌詞を使う必要はないと思いますが。なぜでしょうか。我が家では、鼠対策として食べ物を皮袋に入れてしまうことにします。

神棚に我が手で縒った牛蒡注連

2010-02-21 23:23:23 | 歳時日記
 今日の季語は、「注連縄(新年)」でいきたいと思います。「注連縄は、昔から神聖な場所を限って内と外の区別をつけ、不浄の侵入を防ぐしるしだった。元旦には注連縄を張って魔除けとする。左縒りの縄で、藁の端を出しておく。種類はいろいろある。縄から藁をいちめんに垂らし、白幣を挿した前垂れ注連がよく見られるほか、太く短くして藁を垂れない大根注連、やや細長い牛蒡注連などがある」(117頁)そうです。ということで、今日の一句。

  神棚に我が手で縒った牛蒡注連

 ある家では、稲がまだ青いうちに刈って陰干ししたものを用いたそうです。藁には格別気を使い、踏んだりまたいだりはせず、また、鎚で打たずに水を含ませて柔らかくし、手には唾でなくきれいな水をつけて綯ったそうです。
 今更ですが、注連縄は神聖なものだったのですね。実は数年前に作った牛蒡注連を仕込んだ味噌の蓋代わりに使ってしまいました。本来ならどんど焼きで焚き上げなければならなかったようです。当たり前ですか。
 日本では藁を使って生活に必要なものを色々と作っていました。縄に始まり、草履に草鞋、ムシロに米俵、座布団に蓑、とたくさんあります。おまけに、使い古して壊れてしまったものは、腐らせて肥料にもしました。茅葺や藁葺屋根も傷んだものは肥料にしたそうです。葺き替え時に、屋根からカブトムシの幼虫が出てくることもあったとか。このすばらしい藁の文化がこれからも残っていって欲しいものです。

箱庭に便りが三つ若菜摘み

2010-02-20 23:23:23 | 歳時日記
 今日は、五節句の一つ「人日」です。「中国で古くより、元日より八日までをそれぞれ鶏・狗(いぬ)・豕(ぶた)・羊・牛・馬・人・穀(こく)にあてたことによる」(504頁)そうだ。また、七草粥を食べて、その年一年の無病息災を祈る日でもあります。「せりなずな御形はこべら仏の座すずなすずしろこれや七草」と言われますが、地域によっては、牛蒡や人参、餅なども入れて食べるところもあるそうです。
 早速、庭に出て七草を探してみることにしました。まず、はこべら(ハコベ)を見つけました。すずしろ(大根)は、昨年種を蒔いたものを収穫です。続いて、御形(母子草)を発見です。これは以前、実家の庭から移植したものです。ということで、今日の一句。

  箱庭に便りが三つ若菜摘み

 季語は、「若菜(新年)」です。 
 最近は、新暦の7日に、スーパーで七草セットを売っているのを見かけます。しかし、この時期はまだ寒いので、露地で採れたものではないはずです。萌え出る若葉の生命力にあやかろうというのが本来の目的ですから、7種類集まらなくても、身近で採ったものを食べないと意味がないのではないでしょうか。

田の神に祈る豊作鍬始

2010-02-19 23:23:23 | 歳時日記
 今日は、二十四節季の「雨水」で、「空から降る雪も雨に変わる。積もった雪も解けて流れる。農耕の準備を始める目安」(39頁)頃だそうです。また、七十二候では「土潤い起こる」で、「潤いとは雨が降って湿気があること。凍っていた土が陽気で湿り気を帯びる。この頃降る雨が春雨」(39頁)といわれる頃でもあります。昨日は、朝方雪が積もりましたが、これからは雪は降らなくなるのでしょうか。
 農耕の準備を始める行事に「鍬始(新年)」があります。これは、「鍬で耕作の真似ごとをして、紙で作った幣と松の枝を立て、これに持参の餅・米・塩・魚などを供え」(306頁)、正月の田に田の神を迎え入れ、豊作を祈願するものだそうです。そこで一句。

  田の神に祈る豊作鍬始

 「昔から”一里違えば鍬が違う”といわれるように、使用する地域の土質の違いによってその角度と形状が決まる」(211頁)とのこと。以前、ある自治体の郷土博物館で、収蔵品整理の仕事をしたことがありましたが、その時も鍬や犂の種類や形状の多様さに驚きました。土質の違いに加えて、昔の道具は、使う人の体格に合わせて一つ一つがオーダーメイドで作られていたことも多様さの一因ではないでしょうか。ある行商人は、鍬や鎌を富山の薬屋とそっくりの方法で売っていたらしいです。最初の年は、鍬や鎌をそのまま置いていき、翌年来た時に代金を受け取るそうです。その際に切れ味や使い勝手についてあれこれ聞いていくそうです。そうやって毎年改良が加えられ、より使いやすいものになっていったのでしょう。

初暦今年めくるは花と鳥

2010-02-18 23:23:23 | 歳時日記
 これまで何回か旧暦に沿って生活しようと試みたが、1年を通して実践できたことはまだない。
 ということで、今日の一句。

  初暦今年めくるは花と鳥

 「初暦(新年)」とは、「旧年のうちに用意していた暦を、新年になって用いること」(485頁)で、暦開きともいうそうだ。今年は「旧暦カレンダー」を参考にしつつ、できるだけ自然の声に耳を傾けながら、生活したいと思う。
 体系的な暦ができる前は、自然の四季の移り変わりを暦として使っていたのだろう。今でも、山の残雪の形、桜やこぶしの開花などを目安にして、田起こしや種蒔きなどを行っているところもあるようだ。それがいつしか、時を司る権力の道具として使われるようにもなっていった。明治5年の「明治の改暦」は、日本がグローバルな経済システムに組み込まれた一つの分岐点であったといえよう。
 一口に旧暦といっても、色々と調べてみると、その仕組みはかなり複雑なようだ。その理由は、地球の一日、月の満ち欠けの周期、地球が太陽を一周する周期が割り切れない関係にあること、加えて、地球も月も軌道が楕円であること、月と地球の軌道面が一致していないこと、などによるらしい。その結果、年によって季節と暦月が30日近くずれたり、15日が必ずしも満月ではなくなったりするらしい。詳しくは、「こよみのページ」などを参考にして下さい。
 いずれにしても、太陽暦であるグレゴリオ暦に慣れ親しんでいる自分にとって、旧暦(太陰太陽暦)のアバウトさを実感するのはとても難しいようである。

田作やほろ苦き味噛みしめる

2010-02-17 23:23:23 | 歳時日記
 実家の正月のお節料理には、黒豆と田作が欠かさず出ている。黒豆は硬すぎだったり、シワが寄ったり、田作は苦かったリ、煮詰め過ぎて固まったり、毎年できあがりが微妙に違っている。そんなわけで、今日の一句。

  田作やほろ苦き味噛みしめる

 「田作(新年)」の名は、「材料のイワシを田の肥料にしたから」、「田植えの祝儀肴として用いたから」などの説がある。別名のごまめ(五万米)ともいい、五穀豊穣を祈って食べられる。
 イワシがいつ頃から肥料として使われるようになったのかは定かではないが、江戸初期の農書『百姓伝記』には、干鰯(ほしか)の記述があり、魚介類は、「よく腐熟させ、また灰に混ぜて充分ねかせて時期を間違えずに田に施せば、稲は生育もよいし実入りもよく、必ず満作になる」(246頁)とある。
 江戸時代の金肥の主要は干鰯だったそうで、各地の地引網漁を盛んにすると同時に、干鰯前貨制による問屋の農村支配をもたらしたそうだ。(235頁)この変化は、農村に貨幣経済が入り込み、肥料でさえも自給できなくなるキッカケを作った点で重要であろう。
 この田作が稲作農家で食べられるようになったのは、はたしていつ頃からなのだろうか。材料に醤油や味醂、砂糖などを使うことを考えると、わりと最近のことなのかもしれない。